蒼玉のアイスキャンディ
Knene[ネネ]
1
炎天下のうだるような暑さの中帰ってきたマンションの部屋は、外よりもひどい温度だった。サウナのように熱気のこもった自室の空調を即座に稼働させる。
心地よい涼風が吹きはじめたのを確認して、最後のアイスキャンディーを冷凍庫から取り出した。
木の棒をくるっくるっと回しつつ、アイスキャンディーをかじりながら、僕は数年前に見た、蒼玉みたいな美しいアイスキャンディーをふと思い出した。
☆
小さな和室の一室の、縁側の外には海がある。
そんな現実にはあり得ない風景が広がるのが仮想現実(VR)の世界だった。
入道雲が立ち上る夏の昼間がコンセプトのこのルームでは、風鈴が涼やかに鳴って遠くでクジラが海面上にジャンプしている。
日陰になる部屋の中で、僕と数人のフレンドは小さなグループになってそれぞれ歓談していた。そんな中、風鈴がひときわ大きく鳴って、誰かの入室を知らせた。みんなが入室スペースを振り返ると、可愛らしいケモ耳の少女がおどおどと身を縮めていた。
現実にはありえないぴょこんと生えた耳とふさふさの尻尾はこの仮想現実世界では誰もが見慣れたもので標準的なアバター(装い)だ。「こんばんは」と不安そうにかけられた声は機械を通して高さが変えられていた。それも珍しくはない。
「こんばんは」
みんなが声をかける中、一人が進み出て、その人に話しかけた。どうやらその二人がフレンドらしかった。フレンドのフレンドには「とりあえず」フレンド申請を送る主義の僕はその入室してきた人にフレンド申請だけ送り、話の輪に戻った。
これが、僕とAとの出会いだった。
☆
後日、学校が終わって宿題を終わらせた僕は仮想現実世界にいつものようにログインしたが、よく遊ぶフレンドが誰もログインしていなかった。仮想現実世界だけでの知り合いだし、基本的に時間の約束なんかもしていないので、そういうこともままあるのだ。
僕は、あまり遊ばないフレンドのところを何人かめぐることにした。が、何人かに遊びに行ってみても、すでに話が盛り上がっていて輪に入れなかったり、途中入室の人は遊べないタイプのゲーム部屋にいたりと、あまりかんばしくない結果だった。
これが最後と決めて遊びに行った人は、桜色の鳥籠のルームで一人ぽつんと佇んでいた。その背中に話しかけようか、部屋を移動しようか迷っていたら、その人が振り向いた。
「こんばんは」
「こんばんは。えっと……Aさん、なにしてるんですか?」
相手の頭上にあるネームプレートを確認して話しかけた。Aはケモ耳をぴょこぴょこ揺らして僕に近づいてきた。
「ルームをまだあまり知らないので、綺麗だと有名なところに入っていってたんです」
そう、ルームはたくさんある。そのほとんどが公式ではなく、プレイヤーが作ったルームだ。詳しい数は知らないが、数百はあるだろう。
「ここには初めて来たんですか?」
「はい」
「それならこっち来てください」
手招きをして鳥籠の檻に近づくと、人一人しか入れないような小さな門が現れた。
どうぞ、というように門を指し示すとAはその門に飛び込んだ。僕も続いてくぐる。
入った先には桜色のブランコがふたつ並んでいる
「わあ!可愛い」
喜んでブランコに座るAを見て僕は少し得意になった。
「知ってる人しか知らない隠し要素なんですよ」
「素敵ですね」
「よかったら別のルームにも案内しますよ」
そういったところで、就寝時間を知らせるスマホアラームが鳴り響いた。夜更かしをしないように自分でセットしているものだ。もう寝なくてはいけない。その旨を伝えるとAは残念がりながらまた今度案内してほしいと控えめに告げた。
僕は快諾して、仮想現実からログアウトした。
その日から僕とAはよく遊ぶようになった。二人でルームを巡ることも、他の人を交えて遊ぶこともあった。Aは最初は人見知りするが、なれると随分率直な気持ちや考えを言うタイプでなにかと言葉を濁しがちな僕はAに尊敬半分友愛半分の気持ちを抱くようになった。
以前から楽しかった仮想現実がAが来てからもっと楽しくなった。でも現実は楽しいだけではいられない。
☆
リビングのテーブルにに叩きつけられたのは、僕の成績表だった。
怒鳴り散らすのは父。心配そうな母。延々と続くお説教を聞き流していたら、父が大きくこれ見よがしなため息をついた。
「ゲームばかりしてるからそうなるんだ。VRだかなんだか知らないがお前のこれからの人生に必要なものじゃない」
一方的な宣言に僕はもちろん抗議したけれど、願いは聞き届けられなかった。最後に一回だけ友達にお別れを言いたいと言うと母が「いいじゃない、一回くらい」と間に入ってくれた。
☆
「もうログインできないんだ」
何人にそう言ったのかわからない。みんなが別れを惜しんでくれて、でも口を揃えて、勉強は大事だからがんばれよと年上だったり年齢不詳のフレンドが励ましてくれた。
Aに会いに行くと最初に出会ったルームの夜バージョンのところに一人で静かに座っていた。
挨拶を交わしたあと、みんなに言ったのと同じ言葉を言う。「もう会えない」と。
驚きと落胆と心配を見せながらも、Aも同じようにがんばってねと励ましてくれた。
たぶん二人きりだったからだろう。僕の本音が漏れた。
「はやく大人になりたい。大人になってなにも制限されず自分の好きなように生きたい。こんな風にみんなと別れなきゃいけないのが悲しいよ。僕がこの仮想現実に戻ってこれるのは何年先かわからない。その頃にはみんな僕のことなんか忘れてる」
Aは少しの沈黙の後、にっこり笑って言った。
「わたしが覚えてるよ。何年経っても、もう会えなくても仮想世界で出会った君が優しくて楽しいわたしの友人だったってずっと覚えてる。もう会えなくても、何回でも楽しかった想い出のなかで会おう」
僕は潤んでくる目に力を込めながら、「ありがとう」と言葉を絞り出した。
☆
VR機器を父に渡すと「お前はこれからもお父さんの言うことにしたがっていればいい」と言った。
部屋に戻った僕は転がっていた枕を壁に投げつけた。ただ敷かれたレールの上を行くだけの操り人形にならなきゃいけないなら、僕の意思や気持ちはどこにいけばいい。
人形でなければいけないなら僕に心なんて必要なかったのに。悲しみの渦に耐えるように僕はベッドの上で丸まった。
☆
その後僕は学校、塾、家を往復する日々で成績は上がり、父の指定した大学へ進学することになった。一人暮らしを始めバイトをしてはじめて買ったのはVR機器だった。
最新の機器は安いが性能もよく、学生にも手が届きやすかった。
数年振りに機器を装着しようとしたが、みんなが僕を忘れているだろうことを思うと気が進まなかった。
☆
VR機器を買って今日で一週間。何回か装着してみようと思ったが勇気がでなかった。
もういいかな……なんて思ったときに手元のアイスキャンディーを見て思った。
そういえば、Aとはじめて会ったルームには青くて透き通った宝石みたいに綺麗なアイスキャンディーがあった。
僕は実はそれが好きで仮想現実のものだからもちろん食べられはしない。
ただあのルームで雑談しながらそのアイスキャンディーを片手に持って眺めているのがとても好きだったのだ。
あのアイスキャンディーだけ見に行こう。別に誰と会う必要もない。あのルームですこし過ごしたらログアウトすればいい。
言い訳を手に入れて僕はVR機器を装着した。一度着けるとあんなに避けていたのに、今度はデータの読み込み時間が長く感じた。
そこは相変わらずの風鈴が涼しげな音を立てて出迎えてくれた。遠くに浮かぶ入道雲と縁側の外の海を泳ぐクジラ。相変わらずだ。
懐かしい想い出が蘇る。バカ騒ぎもしたし、心沸き立つおしゃべりも、喧嘩もなんだってした。夢だったんじゃないかなんて思えてくるけれど、あれは確かにあったことだ。楽しい想い出だ。
Aの言葉が蘇る。「何回でも楽しかった想い出のなかで会おう」
僕はそこであった楽しかった想い出を頭のなかで思い起こしはじめた。
☆
どれくらいたっただろう。時間を確認するともう寝る時間だった。明日もバイトがあるのだったな、そろそろログアウトするかとメニューを開こうとしたそのときに風鈴が高く鳴った。
入室スペースを見ると懐かしいケモ耳が嬉しそうにぴょこぴょこと動いていた。
-fin-
蒼玉のアイスキャンディ Knene[ネネ] @Knene
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