第12話 何年でも待つ
驚いて飛び退った勇之進の目が捉えたのは…
「千草!…」
「勇之進さん、お久しぶりね」
眩しい笑顔を向けていたのは、勇之進が死ぬ間際まで、心の奥底で愛し続けた初めての恋人、早瀬千草だった。もとい、千草の幽霊だった。千草は、出会った頃の女学生のような初々しい姿で笑っていた。勇之進がいつの日だったか贈った緋色のリボンが、千草の豊かな髪を束ねていた。
勇之進は、絶句して突っ立っていた。千久良には勇之進の声だけが聴こえていた。千久良は勇仁の腕の中から視線だけで勇之進の姿を目で追ったが、勇之進の視線の先に何があるのかは見えなかった。
勇之進は腹の奥から突き上げてくる感情を涙に換えてはなるまいと、歯を食いしばっていた。
「勇之進さん、男は泣いちゃいけないと思っているの?」
「…くっ…当たり前だろ」
「古いわよ、千久良じゃないけど」
千草はゆっくりと勇之進に近づいて、彼の腰に両手を回し、勇之進の分厚い胸板に小さな頭を埋めた。勇之進は全身が震えるのを感じた。千草に応えるように、勇之進は彼女の小さく細い身体を抱きしめた。その様子を視線の端に捉えた千久良は、きっと曾祖母が現れたのだと合点した。
「勇之進さん…」
「千草…惚れてたよ…お前だけに、生涯惚れてた」
「私もよ、今も貴方を想っているわ」
「千草、あの時、駆け落ちしてでも思いを遂げていたら良かった。俺は家制度に逆らう気概もない男だったな」
「仕方なかったのよ。私も父を泣かせることはできなかったもの」
「どうしてここに現れた?」
「私、思いが残りすぎたのね、貴方をずっとここで待っていたのよ」
「俺を?」
「ええ、見覚えない? ここは初めて出会った本屋が在った場所よ」
「ああ、そうだったのか」
「ええ、貴方が亡くなったと聞いた時、私、神仏に7日7晩祈りを捧げたの。魂となって貴方と再会できますようにって」
「千草…それほどに俺を…」
「ええ、そうよ。怖いでしょう、女の情念は? ふふふ」
「いや、嬉しいよ。じゃあ、ふわふわ浮いていた時間は、お前がまだ生きていた時間だったんだな。そして、80数年後の未来に飛んで来たのは、お前が呼んだのか?」
「ええ、私、地縛霊になってしまったから動けなくて。そしたら、この学校に貴方そっくりの子が入学してきたから、ここで待とうと決めたのよ。ずっと祈りを捧げていたら貴方が時空を超えて飛んで来た」
「そうか、謎が解けたな。千久良が俺に気づいてくれなかったら、俺は辿り着けなかった」
「ええ、それは不思議なことね。千久良は幽霊が見える体質でもないはずよ。私のことは見えないみたいだもの」
「実に、不思議な因縁だ。あの二人も俺達同様に恋仲になった」
「勇之進さん、私たちとは違うわ。あの二人は新しい時代の恋人同士よ。家にも、古い価値観にも縛られることがない。自由な関係を築くのよ」
「そうだな。俺は、千久良に随分教わったよ。愛は何ものにも縛られてはいけない。二人だけのものなんだ」
「ええ」
千久良には、もうすでに勇之進の姿は見えていなかったが、二人の会話が心の中に聴こえてきた。千久良は、勇仁の胸に深く顔を埋めながら、自分の曾祖母と勇仁の曾祖父が、やっとお互いの思いを確認しあい、添うことができたと知り、熱い涙を流した。勇仁のシャツが濡れていた。
「千久良ちゃん? 泣いているの?」
「はい、嬉しくて、幸せで」
「俺も、俺も幸せだよ」
「ええ、皆が幸せで良かった…」
「え? 皆?」
「ええ、私たち、ご先祖様の分もたくさん愛し合って、幸せになりましょう」
「ああ、そうだな」
勇之進と千草は手を取り合い、真っ赤に萌える夕焼け空に溶けて行った。新しい時代に新しい生を受け、また、愛し合う為に。
完
幽霊の恋愛指南 くしき 妙 @kisaragimai
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます