第11話 作戦

千久良は勇仁と親しくなれたとは思った。しかし、唯一の女には未だなれていないと焦りが生まれた。


「勇之進さん、どうしたら勇仁さんの心を私のものにできるんでしょうか?」

「千久良、昔から言うだろう、押してダメなら引いてみろだ。いいかわざと視界に入って勇仁が話しかけてきたら素っ気ない態度をとれ、男は自分に気があると思っていた女が冷たくすると途端に不安になって追いかける」

「そうですか、やってみます」


 千久良は、翌日の登校途中で物陰に隠れて勇仁が来るのを待った。勇仁は少し疲れた顔をして歩いてきた。受験勉強も佳境なのだ。


 勇仁が千久良の姿を認めた。


「千久良ちゃん!」

「あ、おはようございます」

「おはよう!」

「千久良ちゃんは血色がいいな!」

「藤原先輩は顔色悪いですね」

「ああ、昨夜は遅くまで歴史の教科書と格闘したからね」


 勇之進が、目くばせしてくる。もう突き離せという合図だ。千久良は冷たくするなんて自分の身を切られる気がしたが、思い切って笑顔を消して言い放った。


「くれぐれも志望校に落っこちないでくださいね!それじゃ!」

「え!待ってよ、千久良ちゃん!」

「じゃあ!!」


 千久良は、思い切り、嘘!すごく応援してます!と言いたい!と心の中で叫びながら、走り去った。勇仁は呆気に取られて千久良の背中を見つめていた。優しい言葉、応援してますと言う言葉を待っていたのに、素っ気ない態度に吃驚してしまったのだ。


 勇仁は、千久良は自分を思っているとひそかに自信を持っていた。まさか、まさかと急に自信を失った。


 勇之進は、内心では腹を抱えて笑いたかった。自分に惚れていると信じていた女に肘鉄を喰らった勇仁の顔は、鳩が豆鉄砲喰らったという例えを地でいっていた。可笑しくてならなかった。


「千久良、いいぞ、これでいい」

「嫌われたんじゃないですか?」

「馬鹿言え!そんなことはない」

「どうして、そんなに自信があるんです?」

「それはな、もう、恋仲だと思ってたお前のひい婆さんにツンとされてな…。胸が痛んだ。俺は花を買ってご機嫌取りに行ったら、千草の作戦だったらしいんだよ」

「へえ、ひいおばあちゃんってなかなかの策士だったんだ」

「ああ、俺はいつも掌で躍らされてたぞ」

「ふふふ」


 笑った顔がやはり千草に似ていると勇之進は微笑ましかった。撫でてやりたがったが、触れない。幽霊は不便だ。


 昼休みになると、教室の前が急に騒がしくなった。勇之進が振り返ると、勇仁が千久良を見つめている。その姿をみた女子達が、廊下でも、教室の中からも嬌声をあげているのだ。


「千久良ちゃん…」

「藤原先輩…」


 二人は教室の窓越しに見つめ合っていた。勇仁は、ズカズカと教室に入ってきた。


「千久良ちゃん、放課後、話がある」

「分かりました」


 勇仁は頷いて踵を返した。急に水を打ったように教室が静かになった。一斉に刺す様な視線が千久良に集まった。男子が女子に放課後話がある。そんなの話題は一つだ。嫉妬の焼き付くような目が、2つ、4つ、6つ、8つ、10,12…48…。千久良はいたたまれなくなった。


 その時、耳に響いたのは勇之進の声だった。


「負けるな、千久良。堂々としていろ、お前が勝ったんだぞ」


 千久良は頷き、口角をあげた。勝った女は美しかった。教室に憎悪が渦巻いた。その日は放課後を迎えるまで、憎悪の視線を体中に浴びたが、千久良は勇之進に励まされ、絶対に目を伏せなかった。


 そしてとうとう放課後がやってきた。勇仁が教室に現れた。


「千久良ちゃん、行こう」

「はい」


 勇仁の後ろをついて行く。勇仁の広い背中は僅かに緊張していた。勇仁が千久良を連れてきたのは、学校の屋上だった。


 振り返った勇仁は、いきなり、千久良を腕に抱きしめた。

「藤原先輩!」

「千久良ちゃん、どうして今朝、冷たかったんだ?」

「藤原先輩、離してください」

「ダメだ。なぜ、素っ気なくした? 俺が嫌いなのか?」

「違う…」


 勇之進は屋上の手すりに腰掛けてニヤニヤしていた。自分と千草のあの時の会話とそっくりそのままだなと思って懐かしかったのだ。


「違うの?じゃあ、なぜ?」

「藤原先輩…」


 勇仁は、千久良の唇を奪った。突然のことに驚いて声が出ない千久良の唇には、勇仁の熱い吐息がかかる。はっと気づいた時には、勇仁が千久良の舌を絡めとっていた。これには、勇之進が驚愕した。そんなことは閨でやれ!と叫びだしそうだった。


「千久良ちゃん、酷いよ、俺の心をかき乱すなよ」

「藤原先輩…ごめんなさい。私だけを見てほしかったの」


 その言葉に、勇仁は一瞬目を大きく瞠った。そして、次の瞬間にはその目は弧を描いた。


「馬鹿だな。君しか見てないって、最初からそうだよ」

「本当に?」

「ああ」


 若い二人が抱き合うのを勇之進は目を細めて見つめていた。その勇之進の耳に、そっと息を吹きかける者がいた。


 驚いて飛び退った勇之進の目が捉えたのは…

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