第10話 令和風の迫り方
「千久良、勇仁は古風な女が好きだ。間違いないぞ」
「どうすれば?」
「そうだな、古典的な男の攻略法は、胃袋だ。男の心は胃袋から掴めってことだ」
「お料理ですね? 好物を知りませんが」
「1週間ほど観察してみた。勇仁はコロッケが好きだ」
「コロッケはつくったことがないです」
「練習しろ。俺達の子供の頃はコロッケは高級料理だったな。千草が得意だった料理だ」
「ひいおばあちゃんが?」
「ああ、オムライスもつくってくれたなあ、懐かしいな」
「私、コロッケとオムライスを練習しますね」
「おお、頑張れ!」
それからというもの早瀬家では千久良が台所に立ってコロッケとオムライスの失敗作を量産し、始末はお父さんという日々が続いた。そして、勇乃進が下した決断は、千久良には料理は無理ということだった。
そのうち、勇仁にとって高校最後の球技大会が催されることになった。勇仁は背が高いのでバスケットボールの試合に出る。女の子達が、応援グッズをつくりはじめた。どこぞのアイドル集団のコンサート並みの応援である。
千久良は上級生の女子達の背後から声も出さずにただ見守った。勇仁の活躍で3年Aチームが見事な勝利を収めると千久良は胸元で小さく拍手した。勇乃進はその仕草が昔、勇乃進がなにか面白いことを言うと、嬉しそうに胸元で小さく手を打っていた千草と重なって、また胸が疼いた。
勇乃進がいつまでも千久良を見つめていると、突然、勇仁が千久良に歩み寄った。
「千久良ちゃん、応援ありがとう」
「いえ、私は見てただけです」
「最初から気づいてたよ、君がいるって」
「え!」
千久良は嬉しさのあまり真っ赤になった。そのやりとりを聞いていた3年女子達の顔に般若の面が張りついている。勇乃進は恐怖した。女は菩薩であるべきだろう。男狩りで獲物を巡っての競争では、男も真っ青になるほどの闘争心、嫉妬、獲物を絶対取り逃がさないという執着を見せるものなのだと思うと、背中がぞく~っとした。
怖ろしい。昔の女達はしおらしく男に摘まれるのを待つ野菊の花ように可憐だった。今の女達は、自分から運命を掴み取ろうとする分、エネルギーに満ち溢れている。そのエネルギーを勉強に向けたらどうだと勇乃進は心で呟いた。
千久良がおずおずと自分用につくってきたコロッケを差し出した。
「あの~、動いてお腹空きましたよね? 良かったら私が自分であげたコロッケなんですけど」
「へ~、君が? うん、喜んで頂くよ!」
勇乃進は、千久良の焦げたコロッケを勇仁が食べて幻滅しないか心配した。こそっと千久良の耳元で囁く。
「おい、焦げてんじゃないのか?」
「大丈夫です。今日はすごく上手くできたから持ってきたんです。自分で食べようと思ってたけど」
「え? 何か言った?」
「いえ、こちらの話です」
「そう? 美味しそう! 綺麗なキツネ色に揚がっているね」
勇仁はパクッと被りついた。
「うん! 美味いね!」
「本当ですか?」
「ああ、すごく俺好み」
「良かったぁ」
勇乃進は、千久良がいつの間にか腕をあげたのか、それとも勇仁がバカ舌なのかはわからなかった。幽霊は味見ができないのが残念だった。
千久良に嫉妬している女子達が千久良に嫌がらせをしてきた。千久良が廊下を通るのを待ち伏せて足元に犬の糞を投げて踏ませたり、後ろから追い抜くときに背中に、「千円で本番OK」と書いた紙を貼ったりした。上級生に取り囲まれて、「勇仁君から手を引かないと、痛い目に合わせるわよ」と脅された。
千久良はそういう脅しに屈するタイプではない。かえって反発心が燃え上がった。
「勇之進さん、苛めには負けたくないです」
「軍隊はな、生意気な奴がいると上官や先輩たちが壮絶な苛めをした。時代が変わっても苛めをする日本人の惨めったらしい精神は変わっていないということだな」
「軍隊ではどんな苛めがあったんですか?」
「軍隊っていうところは上下関係が厳しい。初年兵を古参兵が理不尽に殴る。意味もなく、理由もなく。気に入らないというだけでな」
「勇之進さんは苛められたことはあるんですか?」
「俺もあったぞ、でも俺は図体がでかいからな。ひと睨みで終わったな。体格の大小は、即、力の優劣だからな」
「私は、そんなに大きくないですけど……」
「女の優劣は何で決まるんだろうな、俺たちの時代は親父の地位とか婚約者の家の格だったがな」
「今の時代も親の地位を振りかざす女子はいますよ。一度苛めのターゲットを決めたら、そういう親が偉い女子は皆を巻き込んで苛めをするんですよね」
「人間の心理というのは、自分よりも弱いものは苛める。強いものからは逃げてへつらうんだ。だから、お前が強くなれ」
「どういう強さが必要ですか?」」
「こういう場合の強さは単純だろう? 腕っぷしだ」
「喧嘩ですか?」
「見せるだけでいいぞ、強いということを見せるんだ。それだけでシッポを巻いて逃げる」
「どうしたら?」
「空手の型を教えてやるぞ」
それから、幽霊が指南役となって千久良は空手の型を覚えた。その間も、千久良への嫌がらせはやまなかった。しかし、千久良は屈しなかった。犬の糞を頭から被った時は、流石に悔し涙がこみ上げたが、運動場の水飲み場で、頭から水道水を被って犬の糞を洗い落している時に、勇仁が通りかかった。
「千久良ちゃん、どうしたんだい?夏でもないのに頭から水被って風邪をひくよ」
「ええ、でも、頭がすっきりしました」
「ほら、ハンカチだけじゃ水をふき取りきれないだろう、タオル使って」
勇仁がズボンのポケットに無造作に突っ込んでいたタオルを取り出して、千久良の頭に被せ、ごしごしと拭いてくれた。それを物陰から見ていた3年女子軍団は、眦を吊り上げて般若顔にますます凄みを現していった。
勇之進は千久良の耳元で囁いた。
「勇仁に空手の型を見せてやれ」
「はい」
「藤原先輩! 私、空手の型を覚えたんです。見てくれますか?」
「へ~凄いな。俺はお爺さんが教えてくれたから多少知っているよ、やってみて」
「はい!」
物陰から3年の取り巻き軍団が、悔しそうに見つめている。千久良は勇之進に教わった空手の型アーナンクーを勇仁に見せた。
「それはアーナンクーだね。俺がお爺さんに教わった型の一つだよ」
「そうですか!」
「もう少し、キレをだすためには、スピードが必要だな。腕の振りだけどね……」
そう言って、勇仁は千久良の背後に回り、後ろから腕を持って直接指導しはじめた。それは遠目に見ていると、男が愛しい女を背後から抱きしめいているようにしか見えなかった。3年女子の悲鳴が響き渡った。
「え????」
勇仁がびっくりして振り返ると、取り巻き軍団が背中を見せて走り去るところだった。勇之進は腹を抱えて笑った。愉快だった。アーナンクーは勇之進が孫の勇三に教えたものだ。勇三が勇仁に教えていたんだと思うと嬉しさで胸がいっぱいになる。自分が生きてきた軌跡が、子孫に脈打っているのだ。こんな愉快なことがあるだろうか。
その後、どこで取り囲まれようと千久良が型を見せ、勇之進が幽霊パワーで風を起こせば、誰もが逃げていくのだった。
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