第1話 その7

 目視での確認と、猫と視覚を共有している麗奈が見た景色の情報の確認を交互に繰り返して、比べながら進んだ。

 最初は普通の道を歩く猫の後ろをついて行くだけでよかったが、段々と複雑な道や猫にしか通れないような道に入ることが多くなっていった。そしてその度に麗奈は、猫が曲がった方向や見える景色を私に報告して、それを聞いた私が場所や方向を推測して進む道を修正した。

 意外と集中力を必要とする作業だった。少しでも気を抜くと見失ってしまう。おまけに目を閉じた麗奈が隣にいる。私は細心の注意を払いながら麗奈の手を引いて歩いた。


 そして三十分ほど歩いた後、ついに麗奈は目を開けた。猫が目的地に着き、その場所が特定できたのだろう。

 こちらを向いて「家に入った。しかもここ、多分佐々木先生の家だ」と少し面白そうに言った。


 佐々木先生はこの島で唯一のお医者さんだ。偶にに私たちの学校の保健室にも顔を出してくれるのもあって(そもそも保健室の先生というものがいない)、私と麗奈とも交流が深く、よくお世話になっている。

 歳もかなり若い。と言っても私も麗奈も遠慮して実際に年齢を聞いたことは無い。私たちが小学生の時にはもうお医者さんだったから、今は流石に二十代ではないだろうけど、四十代にも見えないので、多分そのくらい。あと凄く美人。

 佐々木先生の家に猫が入っていったということは、飼い猫になったのだろうか。あの大雨とは関係が無かったのだろうか。残りの二匹は、と様々な疑問が浮かぶが、ひとまずあの猫についての真相を聞くために佐々木先生の家に向かうことにした。


 先生の家は少し古い一軒家で、海沿いの道路に正面を向けて建っていた。玄関を開けたらすぐに海が臨めるのはなんだか羨ましいと思った。麗奈が家の周りを囲う塀の足元に少しだけ空いた穴を指さして「ここから猫さんが入っていったんだよ」と教えてくれた。

 インターホンを鳴らしながら、なんて挨拶しようか考える。いきなり「お宅で飼われてる猫について伺いたいのですが」なんて言ったら変に思われるだろうか。いや、佐々木先生も小さいころから私たちを知っているから、なんとなく部活動の一環であることは察してくれそうだけど。

 色々と考えてるうちに扉の奥から足音が聞こえてきた。

 タイムリミットが近づくと諦める癖がある私は、その一瞬でもう行き当たりばったりで話す決心を済ませていた。

 扉が開いて部屋着を着た佐々木先生が出てきた。白衣を着ていない先生はなんだか新鮮だ。いつものように長い黒髪を肩あたりの位置で緩く結んで、右肩から前に流している。

「あら、水織ちゃんと麗奈ちゃん。こんな時間にどうしたの?あ、もしかして部活動?」

「探偵です!お宅の猫さんについてお話を伺いたいのですが!」

 こら麗奈。

「猫?ああ、あの子たちのことかな。様子を見に来てくれたの?」

 あの子たち。ということは他の二匹もいるのだろうか。

「にしてもよく知ってたわね。紗季ちゃんに聞いたの?」

 紗季ちゃんとは私たちの担任の工藤紗季先生のことだろう。そういえばもともと同級生だったって聞いたことがある気がする。二人が話してるとこほとんど見たことないけど。

 にしてもいきなり困った。どう説明したものだろうか。猫を尾行してきました、と説明するわけにもいかない。

「えっと…ですね」

「とにかく上がって。あの子たちにも合わせてあげるね」

 言葉選びに手こずっていると先生が気を利かせて家に上がらせてくれた。

 玄関から上がってすぐ左手の広い居間に入ると、そこには三匹の猫がいた。

 写真で見たあの猫たちだった。


「なんだかあっさり見つかっちゃったね」

「あっさり、だったかな…」

 先生がお茶を入れてくれる間、麗奈と小声で話していた。

「とにかく、三匹とも無事でよかったね!」

「それは、そうだね…」

 とそのとき、先生が台所からお茶とお菓子を持ってきてくれた。今回は飴じゃない。

「それで、今日はどんな活動をしていたの?」

 ただ猫を見に来ただけではないことくらいは見抜かれているのだろう。私たちが答えやすい質問の仕方をしてくれた。

「はい。実は…」

 私たちは今日の出来事、魚屋のおばちゃんから話を聞いてから今までの一連の活動を先生に説明した。先生も「なんだか探偵っぽいね!」と楽しそうに相槌を打ちながら聞いてくれた。確かに今日一日、なんだかんだ言って、とても楽しかった。

 一通り説明し終えると、先生は近くにいた三匹の猫のうちの一匹を撫でながら、「そういうことだったのね」と少しおかしそうに微笑んで、この猫たちのことを話してくれた。

 どうやらこの三匹は、もともと怪我をしていたらしい。原因は恐らく猫同士の喧嘩ではないかと言っていた。そしてそこへ例の大雨が降りはじめ、怪我のせいもあって屋根探しに苦労してしまい、弱っていたところを先生が見つけて家まで連れて帰ったらしい。三匹とも別の場所にいたので、全員見つけられたことは奇跡だったとか。

 そして応急手当をした後、一応島の外の動物病院に連れて行って診てもらったそうだが、三匹とも特に大した怪我ではないそうだったので、つい昨日まで先生の家で安静にしていたそうだ。

 そりゃここ数日見つからないわけだ。私たちは目を合わせて、そのままつい笑ってしまった。

 私は座ったまま腕を大きく上に伸ばし、そのまま後ろにごろんと倒れた。

「あーあ、なんかぜーんぶ辻褄が合っちゃって逆に変な感じ」

「ふふ、まさか町でそんなことになってたなんてね」

「でもよかったね、猫さんたち無事で」

「今の話聞いたら余計にそうだね」

 すると麗奈が机に身を乗り出した。

「ねえ先生!この子たち飼うの?」

「そうねえ、一応飼い主になってくれそうなところ何件かまわってみるつもりだけど、この子たちもなんだかんだここに居ついちゃったみたいだし、多分このまま飼うかな」

「じゃあまた猫さんに会いに来てもいい?みっちゃんと」

「もちろんよ、この子たちも喜ぶと思うわ」

「でも麗奈、さっきそこの子大声でびっくりさせてたよね」

「わ、私だってことはバレてないよ…きっと」

 なんてことを話しながら三人で笑っていた。

「ねえ先生。猫さんのいる生活ってどんな感じ?私飼ったことなくて」

「そうねえ」

 そう言って先生はまた手近にいた猫の背中を撫で始めた。

「私が結構長い間ひとり暮らしだったからなのかもしれないんだけど…」

 そう言いながら先生は、その猫たちに「ありがとう」と言っているかのような柔らかい微笑みを向けながら言った。

「“行ってきます”とか“ただいま”って言える相手がいるのって、とっても素敵なことだなって思ったの」

 先生の口調は、猫たちに感謝を伝えるようでもあり、私たち子どもに、大人として、大切なことを教えているようでもあった。

 私は恐る恐る尋ねる。

「自分の居場所…みたいなものですか?」

「うーん、居場所というより“帰る場所”、かな。行ってきますって言う相手がいるだけで、その日一日頑張れる。ただいまって言うだけで心が温まる。そして明日も頑張ろうって思えるの。もちろんこの子たちは返事はしてくれないけど。でもただいまって言うと玄関まで迎えに来てくれるのよ。そんな相手が、人間にはやっぱり必要なのかもね」

「わかります」

 そう言って麗奈は、一瞬こちらを見たような気がした。

 私は、どうなのだろうか。

 家にいることはあまりないが、私にはもちろん家族がいる。

 でも、先生の言っている心の支えのようなものとは、少しだけ違うような気がしていた。

 だとしたら何だろうか。私にとっての部活や魔法のことだろうか。

 そこで、先ほど麗奈とした会話を思い出した。私がいれば何も怖くないと言ってくれたあの会話を。

 だとしたらきっと、私のはどれも違うのだろう。

 それらはきっと心の支えなんかじゃない。

 弱い私が縋っているものだ。

 ただ必死にしがみついているものだ。

「それと、やっぱり猫は可愛い!」

「わかります!」

 急に高くなった二人のテンションに、またしても悲観の泥沼から引っ張り出された。

「朝、通勤や通学のときに猫を見つけると、何かいいことあるかもって思うじゃない」

「ですよね、見るだけで癒されますよね。猫さんは生きてるだけで人類の癒しなんですよ。だから生きてるだけで偉いんです!」

 大層な役回りだな、やっぱり猫も大変だったんだなあと、昼に部室でした会話を思い出す。

「そうね。でもそういう存在がいてくれることって、きっととても幸せなことなの」

 そう言って先生は猫を見て、そして私たち二人を見て、微笑んだ。

「だから二人とも。周りの人は大切にするのよ」

「はい」

 と話がひと段落したところで、先生が別の話題を切り出した。


 それは、今の私が一番聞きたくなかった言葉だった。


「そういえば二人とも今年は受験生だっけ。頑張ってね」

 突然、私は自分に話しかけられている感じがしなくなった。

 隣では麗奈が楽しそうに返事をしている。

 だけど私は、まるで水を入れる際にお椀を最初からひっくり返しているかのように、その応援を受け止められずにいた。

 私のような逃げて迷ってばかりの人間に、受験生なんて大層な肩書が乗っているなんてどうしても信じられなかった。

 いや、きっとこれも、信じたくないだけなのだろう。

 逃げているのだろう。


「はい、ありがとうございます」


 外はすっかり暗くなっていた。先生には危ないから送っていこうかと言われたが、携帯も持っているし大丈夫だと伝えて断った。この狭い島だ。事件は滅多に起こらない。

 麗奈と二人で先ほど来た道を帰る。来るときは手を繋いでいたことを思い出して、急に気恥ずかしくなった。幸い外は暗いので、顔に出ていてもわからないだろう。

「猫さんたち可愛かったね」

「そうだね」

「また今度行ってみようよ」

「うん」

「今日は楽しかったね」

「楽しかったね」




「今年は、受験だね」



 麗奈には。



「そうだね」



 麗奈にだけは。



「そしたらもうすぐ…」




 この世の誰よりも、麗奈にだけは。





「この島とはお別れだね」





 その言葉を言ってほしくなかった。






「お互い頑張ろうね」

 嫌だよ。

 怖いよ。

 ずっとこのままでいたいよ。

「うん、頑張ろう」

 暗い夜の帰り道。

 私の涙は、この女の子に気づかれていないだろうか。


 私は、気づいて欲しいんだろうか。

 気づかれることを怖れているんだろうか。


「麗奈。手、握っていい…?」

「え!?う、うん…。は、はい…」


 まただ。

 麗奈を近くに感じて、安心しようとしている。

 あわよくば、麗奈がずっと近くに居てくれることを、逃げてばかりの私と一緒に居てくれることを期待している。

 そんなこと。あるわけないのに。

 許されるわけないのに。


「麗奈の手、やっぱり温かいね」

「みっちゃんの手が冷たいんだよ」


 こんな会話だけ、していたかった。


「私、やっぱり猫になりたいな」


「またそんなこと言う。じゃあさ、もし猫になったら、誰に飼われてみたい?」


「それは…、内緒」


 そんなの。

 麗奈に決まってる。







 第1話 終わり

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ノスタルまジック 落葉ほたる @kagaribi_hotaru

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