第1話 その6

 鳴き声のした方へ走る。意味があるかはわからないけど、二人ともなんとなく足音は抑えていた。

 まさかおばちゃんに聞いてた鳴き声の情報が役に立つなんて。やっぱりどんな情報がどこで役に立つのかなんてわからない。

 どんな経験、どんな知識がどんな場面で役に立つのかわからない。よく人生の体験談なんかで耳にする言葉だけど、それらは大概結果論として語られる。でも、まだこれから経験や知識を積み重ねなければならない歳であろう私からすると、どこで何が役に立つのか教えてもらえた方がずっといい、と思う。「とりあえず今は蓄えなさい」と言われても、いまいちピンとこない。

 もっとも必要な情報だけを得ようとしても、何に必要なのかの「何に」の部分が全く決められていないのが問題なんだけど。

 なんだか、大人や将来に対しての文句を考えてると毎度こんな風に自分の粗に行きつく気がする。

 いや、反抗しようにも素直に言うことを聞こうにも、そのための何かが私には欠けている。アドバイスを受け取るための器に穴のようなものが開いている、そんな感覚だ。

 多分、お互いの前提のようなものが食い違っているんだ。

 私が弱いせいで。


 猫はあっさりと見つかった。だがそこにいるのは写真で見た三匹のうちの一匹だけだった。

 私たちは気づかれないように距離を取り、道の曲がり角に隠れて様子を伺っていた。

「もう二匹はどうしてるんだろう」

「わからないけど、あの猫さんについて行ってみよう。なにかわかるかも」

「そうだね、今日は遅くなるなあ…。でもついて行くって、もし通れない道とかに入っちゃったらどうしよう」

「そんな時こそ視覚共有魔法だよ。私が使うね。みっちゃん、しっかりエスコートしてよ」

「なるほどね。もちろんです、お嬢さん」

 片方が猫の視覚を共有しておくことで、予期しない道に入った場合でも居場所をある程度掴むことができる。麗奈が言っていることはそういうことだ。

 麗奈は曲がり角から出て一度大きく深呼吸をした。そしてまず遠視魔法を使った。

 視覚共有魔法は対象と一度目を合わせないと使えない。だから対象が遠くにいた場合は、先に遠視魔法を使ってくっきりと見える状態で視界に捉える必要がある。

 そして準備が整うと麗奈はもう一度息を吸って。

「猫さん!」

 大声で呼んだ。猫は驚いて振り向き、向こう側へ走って逃げていった。

 その振り向いた一瞬を、もちろん麗奈は見逃さなかったのだろう。視覚共有魔法が発動した。

「ちょっと、そんな大声、遠くまで逃げちゃったらどうするの」

「その時は走って追いかけようと思ったけど、大丈夫、もう普通に歩いてるよ」

「走って追いかけることになってたら危なかったんじゃ…」

「まあまあ。さあみっちゃん、手!」

「はいはい」

 私は麗奈の白い手を取った。

 視覚共有魔法を使う際は目を瞑らなければならない。瞑らなくても使えるけど、目を開けたままだと送られてくるもう一つの視覚情報と混ざってしまって気持ち悪くなる。

 だからこうして魔法を使っていない方が、危なくないようにもう一人の手を引いて歩く、そんな作戦だ。

 猫が遠くへ行ってしまう前に、私たちは手をつないで歩き出した。


 夕焼けに染まる海沿いの道路を二人で歩く。危なくないようにゆっくりと。

 私の隣で手をつないで、夕暮れに照らされながら目を閉じている少女は、なんだかとても幻想的で、息を吞むほど美しかった。

 私は思わず猫そっちのけで見惚れてしまっていた。

「みっちゃん、ちゃんと前見てる?」

「ふえぇ!?いや、も、もちろん…」

 変な声が出てしまった。ばれてないだろうか。

 思えば目を開けたところで魔法が解除されるわけではないので、言ってしまえば麗奈はいつ目を開けても何の問題も無いはずだった。つまりじっと見てたらいつかばれる。

 うん。集中しよう。集中。麗奈のためにも。

「そういえば、最初は探偵さんみたいに魔法なしで事件解決するんだーって思ってたけど、結局普通に使っちゃってるね」

 目を閉じたまま麗奈がそう言った。

「仕方ないよ。魔法少女はずるしなくっちゃ」

「中学三年生ってまだ魔法少女って言えるのかな…。魔法少女が中学三年生にもなったら某管理局の戦技教導官とかやってる年齢だよ」

「それはその子だけでしょ…。それに某黄色いお姉さんは中三でも現役魔法少女だったじゃない」

「あ、そっか。というか私たち、もう黄色いお姉さんと同い年なんだ…。なんだか信じら…うわっと!」

「おっと」

 突然麗奈がこちら側によろけてきた。幸い何とか支えることができたので二人とも無事だ。

 考えてみれば当然だ。まだ猫が複雑な道に入っていないとはいえ、麗奈が見ている景色と実際に歩いている場所は全く違うのだから。十分危ないし、麗奈だって本当は怖くて仕方がないはずだ。

「ごめんね、私がしっかりしてなかったから…。大丈夫?」

「大丈夫!平気だよ。さあ早く行こ、置いてかれちゃうよ」

「ねえ、やっぱり危ないよ。麗奈だって怖いでしょ?」

 私が情けなくそう聞くと、麗奈はまだ目を閉じたまま、また前を向いて少し微笑んだ。

「確かにちょっと危ないし、怖いけど。でもね、平気だよ。みっちゃんが手を握ってくれているから。みっちゃんが隣にいてくれたら、どんなに知らない道でも怖くない。いや、ちょっと違うかな。“怖い”なんて平気、かな」

「そう、なの?」

 いきなりそんなことを言われて戸惑ってしまう。麗奈は、まるでずっと思っていた別のことを今になって告白するような、迷いのない口調でそう言ったのだった。

 どうしてこの子は、こんなにも私を信頼してくれているのだろうか。

 心の支え、というようなものなのだろうか。私にとっての、魔法や、この島や、部活や、麗奈のような。


 いや、どれも違う。

 麗奈は私が隣にいるから怖いのだって平気だと言ってくれた。前を向いて、そう言った。

 私がいるから、前に進むことができると。

 私のは、違う。私は前なんか向いていない。

 前を向くのが怖いから、隣の麗奈を見て安心したいだけだ。


「あ、別の道に入っていったよ」

 麗奈のその一言で、私の意識は悲観や悩みの海から強引に引き上げられた。

「それじゃあ行くよ、みっちゃん」

 麗奈の握る手に、少し力がこもる。

「…うん」


 私は先刻よりも少しだけ、形だけでも堂々として歩いた。

 麗奈はまだ少しふらつくこともあるけど、それでも迷いのない足で私の隣を歩いていた。

 目を開けている私よりも、堂々と。

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