デート3 ウミネコと飛ぼう、雪の松島

 松島市、というのは実は存在せず、松島町と東松島市という、なかなか微妙に違う名前の町が二つあるのだと、仙台在住の方に教えてもらったことがある。

 名勝としての松島、その観光の拠点となっているのは松島海岸駅や松島港のある松島町のほうで、東松島市のほうには奥松島というのがあるそうだ。

 もっとも、松島湾を囲む町は五つあるらしく、別に松島がどこの持ち物とかいうわけではないのだろう。


 と、遊覧船が発着する松島港の観光桟橋で、僕はぶつぶつと独り言をつぶやく。本当なら、隣にいる彼女に説明するはずの内容だった。

 そこに彼女、稲子いなこはいない。冬の海を眺めながら、僕は一人きりで立っていた。

 風は冷たかったが、空は恐ろしいくらいに青く澄んで、陽射しは意外なくらいに強い。湾内に点在する無数の小島は、それぞれ雪化粧をまとっていて、つまりは見事な絶景であった。

 彼女にも、見せてあげたかった。それなのに……。何で、喧嘩などしてしまったのだろう。あの時、僕たちは。


 松島へとつながる、JR仙石線の始発駅であるあおば通駅は、仙台駅のすぐ西側に位置する地下駅である。市営地下鉄との、乗換駅にもなっている。

 駅の入り口付近は、まさに都会の真ん中で、立派なビル群が交差点の四隅をがっちりと固めていた。

「アユさん、すごいね。仙台ってこんな大都会だったんだ」

 白いダッフルコートのフードをかぶった稲子が、興奮気味に周囲をグルグルと見回す。僕を「おじさん」と呼ばないくらいだから、よっぽど機嫌がいいらしい。

「当たり前だろ、もりの都っていうくらいなんだから。さとう宗幸が、『青葉城恋歌』でだな、」

「ほら、ロフトとパルコもあるよ!」

 通りの彼方を、彼女は指さす。買い物スポットを見つける能力は、いつもながら大したものだ。


「さあ、時間がないから。電車乗るよ。今日は芭蕉もビックリの松島が見られるよ」

「ねえ、ちょっとだけ買い物してからにしようよ。せっかくだし」

「いや、ロフトもパルコもいつも行ってるだろ? 売ってるものなんか、みんな一緒だよ」

 僕は、腕時計に目を遣った。仙台近郊だけに、電車の本数はそんなに少なくはないのだが、それでも次の電車を逃すと三十分は待つことになる。せっかく考えてあった、今日のスケジュールがまた狂ってしまう。


「おじさんはおじさんだから知らないのよ。最近のロフトは、地元の人気グッズとか売ってたりするんだから」

 彼女の言葉に、突然むかっとした。そんなグッズ、どうでもいいじゃないか。

「まず松島に行って、観光って決めてただろ、今日は」

「別に次の電車でいいじゃない、ちょっとくらい遅れたって……」

 ちょっとくらいには、ならない。それは良く知っている。仙台ロフトが何階建てか知らないが、恐らく、ワンフロア平均二十分はかかる。普段なら、別に構わないが。

「……じゃあ、いいです。僕は先に、電車に乗って松島行ってます。遊覧船に一人で乗る。瑞巌寺も、一人で拝んでくる」

「もう、アユさんねないでよ、大人でしょ?」

「拗ねてないやい!」

 地下駅の階段を駆け降り、発車直前の仙石線に飛び乗った。


 再度記しておくが、僕はアラフォーである。十歳下の稲子相手に、この大人げなさは、ただ事ではない。

 電車が走り出してから、何をやってるんだ自分はと頭を抱えたが、それでも決めた予定を曲げる気になれず、そのまま松島海岸の駅まで到着してしまった。そして今、こうして一人で海を見ているわけだ。

 先ほどから何度もスマホを見ているが、稲子からは連絡がない。怒っているのか、呆れているのか。こちらから謝るべきなのか。謝るべきだろう、そりゃ。しかし、どうしてこうも、決めた予定通りでないと嫌なのか、僕は。

 吹き付ける風の中、観光桟橋の擬宝珠ぎぼしのついた欄干にもたれ、同じことを何度も何度も考えた。そして、実はかなり体が冷え切っている、と気づいたその時、誰かが背中を叩いた。


「ごめん、遅くなって」

 フードをかぶったままの稲子が、ニコニコしながらそこに立っていた。

 いつの間にか、三十分以上経っていたらしい。良かった、怒ってはいないようだ。一気に、身体が温まったような気がした。

「……ごめん」

 ほっとしつつ、僕も謝る。

「こんなところでずっと待ってたら、寒かったでしょ。はい、これお土産。ロフトで売ってた」

 黄色い袋から彼女が差し出したのは、「超リアル牛タン焼肉味・キャラメル」という、牛の絵が書かれたお菓子のパッケージだった。正直、あまりおいしそうに見えない。

「ああ、ありがとう」

 直行でポケットに入れようとすると。

「食べなさい。今、ここで食べなさい」

 稲子は僕に命じた。ニコニコはしているが、目が笑っていない。

 

 内心土下座する気持ちで桟橋に座り込み、僕はそのキャラメルを口にした。肉の旨味とキャラメルのすさまじい甘さが渾然一体となったその味については、どうもあまり思い出したくない。しかし、これは罰なのだ。仕方ない。

 そんな僕を見下ろしながら、彼女は「ずんだシェイク・キットカット」というのを嬉しそうに食べていた。あちらはおいしそうだ。


 みそぎの済んだところで、僕と稲子は観光船に乗り込んだ。一緒に船に乗るのは、宮島の時以来だ。

 船室内には入らず、僕らは二階のオープンデッキに立った。屋根しかないから、もちろん寒い。しかし絶景を楽しむには、やはり外だ。その点では、彼女にも異議は無かった。

 船が動き始めると、やはり風が強まる。しかし意外にも、思ったほど寒くはなかった。稲子を待っていた時よりもずっとましだ。陽の光も、射しこんでくる。

 雪化粧の木立を頭に載せたかわいらしい小島がいくつも、次々と近づいては離れて行く。

 湾内にはこんな島が二百以上もあるらしいから、簡単には終わらない。風に逆らいながら前方を見渡すと、水平線に列をなした小島がずらりと待ち構えている。


「この子かわいい!」「こっちの子はクジラに似てる!」「あの子、穴がいっぱい開いてる!」

 などと、島々を「子」呼ばわりして喜んでいた稲子がふいに、

「えらいなあ。この子たち、頑張ったんだ」

 と言った。こんな寒い海の中に浮かんでいる島々の姿を見ての感想なのか、もしかすると、あの大きな災害のことを想っているのか。僕は敢えて、何も聞かなかった。彼女の心の中に、踏み込むべきではないだろう。


「昔は、ウミネコに餌やりが出来たんだけどね。かっぱえびせんあげると、いっぱい集まって来たんだよ。船の横を一緒に飛んでくれたりね」

 と僕は説明した。糞の害を防止するために、やめになってしまったらしい。

「今は駄目なの?」

 稲子は残念そうな顔をすると、

「ウミネコー!」

 とすごい大声で海に向かって叫んだ。


 すると、どうだろう。何を勘違いしたのか、どこからともなく一羽のウミネコが飛来して、船のそばをトンビの如くくるりと旋回すると、僕らと並走するように目の前を飛び始めたではないか。

「やった、来た! アユさん、ネコ来たよ」

 彼女は両腕を大きく左右に広げ、前方を向いた。これは「タイタニック」の真似か、後ろから抱きついていいのか、と思っていると、

「一緒に飛んでる、つもり」

 こちらを向いて、笑った。僕も思わず、笑ってしまう。ウミネコは「ミャア」と鳴いた。

「笑ってないで、写真!」

 かじかむ手で、僕はスマホを取り出した。バッグのデジカメのほうが確実なのだが、恐らく間に合わない。シャッターのアイコンを、素早く叩く。


 島々と、飛ぶ彼女とウミネコ。ほぼ偶然だが、見事なフレーミングでの撮影ができた。スマホをのぞき込んだ彼女が、大喜びでほめてくれたことは言うまでもないだろう。

 その写真は、のちに夫婦となった僕と稲子が住むマンションのリビングに、今も大切に飾ってある。

(了)

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日本三景デート旅(全三話) 天野橋立 @hashidateamano

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