エピローグ~きっと大丈夫だよ~

「奈緒さん、一体どうしたんだよ?もうこの世には降りてこないって聞いたけど」

「だって、幸次郎さんと亜沙美さん、すごく仲が良くて羨ましかったんだもん。もっと近くで見たくて、ちょっとだけ降りてきちゃったんだ」

「ちょ、ちょっとだけって。随分軽いなあ、おい」


 幸次郎は久し振りに見た奈緒の姿に驚きつつも、相も変わらずの天然ぶりに辟易した。


「奈緒さん。亜沙美のこと知ってるんだね?」

「うん、知ってるよ。いつもお空の上で、一緒に遊んでるもん」


 奈緒は長い髪を後ろで縛るしぐさをしながら、幸次郎の問いに答えた。


「亜沙美さん、事あるごとに言ってたんだ。この中川の町に、そして好きだった人に未練があったって。でも、好きな人が幸次郎さんだったとはね。私も今日知って、ビックリしちゃった」

「何でビックリするんだよ!俺じゃない奴だと思ってたのか?」

「だって、健太郎くんの弟だったんだもん。でも、幸次郎さんのおかげで、彼女はずっと好きだった人に自分の気持ちを伝えられたし、もうこの世に未練がなくなったかもね」

「お、俺は未練だらけだよ!俺はこれから先、亜沙美と一緒に生きていきたいって心に決めていたんだ。それなのに……ちくしょう!」


 地面にひざまずき、涙を流して嗚咽する幸次郎を見て、奈緒は両足でびょんと跳ねて幸次郎の前に飛び出すと、優しく頭を撫でた。


「幸次郎さん」

「え?」

「亜沙美さんを幸せにしてあげられた幸次郎さんだもん。いつかきっと素敵な人に出会い、ちゃんと結ばれると思うよ」

「どういうことだよ?そのうち他にいい女に出会えるだろうってことか?今の俺は、亜沙美じゃなきゃ、意味ねえんだよ!」


 すると奈緒は苦笑いして、白いワンピースを風にひるがしながら、手を振ってはるか闇の向こうへと歩き始めた。


「何だよ奈緒さん!もう帰っちゃうのかよ?せっかく久しぶりに会えたのに」

「私も帰らなくちゃ。もう送り火が消えそうだし、すごく疲れて眠くなってきちゃったんだもん」

「そんな!待ってくれよ。俺、これからどうしたらいいんだよ?またひとりぼっちに逆戻り?そんなのもう耐えられねえよ!」


 幸次郎は次第に闇の中に走り去っていく奈緒の後ろ姿を追い続けたが、奈緒の姿は闇に紛れてだんだん見えなくなっていった。

 泣きわめいていた幸次郎も、さすがに諦めがついたのか、涙を拭うと、低い声で奈緒を呼び止めた。


「奈緒さん……!最後に一言だけ、いいか?」

「なあに?」

「兄貴は元気でやってるよ。みゆきさんとの間に今年やっと子どもが出来て、それなりに幸せそうだよ」

「良かった。健太郎くんに会ったらよろしく言ってて。パパになったんだね、おめでとうって」


 そう言うと、奈緒は少しだけ後ろを振り向いて薄笑いを浮かべた。そして、すぐさま前を向き、闇に包まれた堤防の奥の方へとあっという間に走り去っていった。


 ★☆★☆


 盆休みが終わり、幸次郎は再び仕事が始まった。

 何の行事もなくあっという間に終わってしまった今年の盆。

 幸次郎は父親の営む工務店を手伝っていたが、社長である父親の隆二が、事あるごとにさつきとの見合い話を持ちかけてきて、顔を合わせるのも嫌になっていた。


 夕闇が中川の町を包み込み始めた頃、仕事を終えた幸次郎は、いつものように煙草とビールを買いに、一人コンビニエンスストアへと歩いていた。

 以前よりも暑さが和らぎ、草むらからは虫の声が騒がしく聞こえてきた。

 店にたどり着くと、店長の金子が商品棚に次々と陳列していた。


「店長、いつものマイルドセブン。あと、マチルダベイビーもね」

「はいよ。まったく、相変わらず人使いが荒いな」


 カウンターで金子がレジを打っているのを待っていたその時、髪の長い、ちょっとだけ肌の色が黒い女性がドアを開けて入って来た。

 女性は雑誌コーナーに向かうと、女性向けの雑誌を見つけ、ページをめくりながら立ち読みを始めた。


「あれ?あの人、どこかで……」


 幸次郎は女性の姿をより近くで見ようと、レジカウンターから離れ、陳列棚越しに女性の姿を見つめた。

 女性は茶褐色の長い髪を揺らし、グラマラスな体型をアピールするかのように、ぴったりとした細身のTシャツを着こなしていた。


「亜沙美!」


 その姿を見て幸次郎は思わず叫び、女性の目の前に倒れこむように駆け出した。  女性は、目や口を大きく開いて驚きの表情を見せた。


「だ、誰ですか?」

「あんた、亜沙美だろ?井上亜沙美だろ?」

「え?」


 女性は口元に手を当てると、驚いた様子で後方へのけ反っていた。

 表情を良く見ると、女性の顔つきは亜沙美のような南方系のはっきりした感じではなく、目も細く口も小さめで、全体的に優しくおだやかな感じが漂っていた。


「あ……ごめんね、人違いだったよ」


 幸次郎はうなだれると、とぼとぼとレジカウンターへと戻ろうとした。


「ちょっと待ってください」


 うなだれた幸次郎の後ろから、さっきの女性が大声で呼び止めた。


「さっき、亜沙美って言ってましたよね?」

「俺の昔好きだった人の名前でさ、井上亜沙美っていうんだ。あなたの後ろ姿が、亜沙美とそっくりだったからさ」

「好きだった人?」

「うん。でももうこの世には帰ってこないんだ。俺が今までの人生で一番好きだった人だった。結婚も考えてたのに……って、何言ってんだ!俺は」


 幸次郎は思わず口を押さえると、女性の前で何度も「ごめん」と言っては頭を下げた。


「素敵ですね、いつまでも好きな人を心の中で大事にしてるのって」


 女性は幸次郎の元へ歩み寄ると、にこやかに微笑みながら、じっと幸次郎の顔を見つめていた。


「本人も、あなたのような優しい人と出会えて、きっと幸せだったと思いますよ」

「本人?ど、どういうことですか?」


 すると、女性はバッグから免許証を取り出し、幸次郎の目の前に差し出した。

 名前の欄には『井上澄玲』と書いてあった。


「ごめん。あなたの名前、難しいんだけど、何て読むの?」

「これで、『すみれ』って言うんです」

「すみれ?」

「はい。私、井上亜沙美の実の妹なんですよ」


 澄玲はそう言うと、にっこりとほほ笑んだ。その顔つきは確かに亜沙美とは違うけれど、後ろ姿や体型、髪型は亜沙美と瓜二つだった。


「妹さんが……何で今、ここに?」

「もうすぐ姉の命日で、今年は亡くなってちょうど十年なので、お墓参りしてきたんです。本当は両親と来たかったけど、両親はもう年老いて病気がちなので、一人で来ました。このお店の近くにお墓があるんですよ」

「ああ、だからいつもこの店の近くで姿を消していたのか……」

「何か?」

「いや、何でもないよ。妹さんか、道理でそっくりだと思ったよ」


 幸次郎は余計なことまでしゃべってしまったことを後悔したが、澄玲は気にすることも無く、幸次郎のすぐ傍に立っていた。


「さしつかえなければ、姉の話、色々聞かせてもらえますか?姉は不憫な死に方をしたけど、あなたのような人がそばにいたのならば、きっと幸せな人生だったんじゃないかなと思いますし。いいですか?お時間いただいて」

「ああ、いいよ。じゃあ、ビールをもう一本買うかな。澄玲さん、お酒大丈夫?」

「はい。私も姉と一緒で、コーラとビールが大好きです」

「じゃあ決まりだ。店長、マチルダベイビー、一本追加ね」

「はいよ。しかし、調子のいい奴だな。ついさっきまで暗い顔していたくせに」

「う、うるせえな」


 幸次郎は財布から小銭を取り出すと、金子はビール二本と煙草を幸次郎に手渡した。


「はい、ビール。そこのベンチに腰かけて、一緒に飲もうぜ」

「ありがとうございます。いただきます」


 幸次郎と澄玲は夜空に向かってビールを開けた。


「ぷはぁ~、夜空の下で飲むビール、美味しいよな」

「そうですね。風も気持ちいいし、ビールも美味しいですね」


 ある程度酔いが回った所で、幸次郎は亜沙美との思い出を話し始めた。

 澄玲は缶ビールを片手に、幸次郎の話を遮らずじっと聞き入っていた。


「そうなんだ……姉はお盆にこの町に戻ってきてたんですね。でも、思い残すことなくあの世に行ったようで、何よりです」

「まあね。俺は一人取り残されて寂しいけどさ」

「そうですか?幸次郎さんは一人じゃないですよ」

「え?」

「だって、姉に幸せな思い出を残し、姉を今も心の中で大事にしてくれている幸次郎さんのことを、私は妹として、一人の女として、放っておけるわけないじゃないですか」

「そ、それって……まさか?」


 幸次郎は顔を紅潮させたまま澄玲に問いかけると、澄玲は笑顔でうなずいた。


「いいのか?澄玲さんは姉さんと違って優しそうだけど、俺は一応元ヤンだし、わがまま気ままな性格だから、色々と足を引っ張られるかもしれねえぞ」

「その点はご心配なく。私、今は姉と同じ看護師をしてるんですけど、高校の時、クラスの女子からは『総長』って呼ばれてましたから」

「そ、総長……か、そりゃ上等だな」

「これからもよろしくお願いしますね、幸次郎さん」


 澄玲は頭を下げると、ベンチから立ち上がり、幸次郎に身体が触れる位の場所に腰かけ直した。


「あの、俺、一体何といえば良いんだろう?夢でも見てるのかな?」


 すぐ隣に腰かけた澄玲の姿を見て、幸次郎はどう反応して良いかわからず頭を掻いてとまどっていたが、澄玲はそんな幸次郎を見て、口元を押さえて大笑いしていた。


初秋の澄んだ夜空には、大きな満月が煌々と輝いていた。

月から注がれる優しいレモン色の光は、暗闇の中で寄り添う二人を、まるでスポットライトのように明るく照らし出していた。


(おわり)






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一瞬の夏~あの時、好きだと言えなくて~ Youlife @youlifebaby

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