第4話 あなたに会えてよかった

 二人がモーテルを出た時、雨は上がり、すっかり外は暗くなっていた。

 無数の星がまたたき、外は大雨で冷やされたひんやりとした空気に覆われていた。腕を組んで寄り添いながら歩く幸次郎と亜沙美は、笑いながらスカイラインに乗り込んだ。


「何だよ、さっきまであんなに狂ったかのように雨が降ってたのに」

「そうだよね。さっきのは一体何だったんだろうね」

「これなら安心して帰れそうだ。さ、車に乗ろうぜ」

「ねえ、幸ちゃん」

「何だい?」

「明日もどっか遊びに行きたい」

「俺も行きたいな。今度はゲーセンやカラオケでも行こうか?」

「いいね~。あの頃みたいにUFOキャッチャーでぬいぐるみ沢山欲しいし、カラオケで幸ちゃんがX JAPANの『紅』を絶叫しながら唄う所も見たいな」

「あ、あのな。そんなに俺に期待すんなよ」

「いいの。私は幸ちゃんとこうして一緒に過ごせることが嬉しいんだから」


 亜沙美は幸次郎の頬に口づけると車のドアを開け、大きく手を振りながらコンビニエンスストアの建物の陰へと走り出した。そして、幸次郎が気が付かないうちに、闇の中へと姿を消してしまった。


 ★☆★☆


 幸次郎と亜沙美は、翌日も、その翌日も、朝から晩までともに過ごした。

 ゲームセンターやカラオケ、隣町のショッピングモールに行き、子どものようにはしゃぎ回った。そして、帰りにはモーテルに立ち寄り、お互いの体を絡めて愛し合った。

 幸次郎にとっては、今年の盆休みは誰も帰らず行事もない寂しい日々になるはずが、気が付けば、毎日夢のような日々を過ごしていた。


 お盆最後の日の夜、幸次郎はいつものようにコンビニエンスストアの前で車を停めた。店の前では、店長の金子が焚いた送り火が暗闇に浮かびあがっていた。


「さ、着いたよ。今日もここで良いの?」

「うん。ここで降りるよ」

「送り火、きれいだね。今日で盆休みも終わりかあ」

「そうだね……終わりだよね」

「俺、こんなに楽しかった盆休みは生まれて初めてだよ。亜沙美に会えて、本当に良かったよ」

「私も幸ちゃんといっぱい楽しんで、いっぱい愛し合って、すごく楽しかったよ。ありがと、幸ちゃん」


 そう言うと、亜沙美は大きな瞳を潤ませながら、幸次郎の目を見つめた。幸次郎は亜沙美の目を見た時、思わず赤面し、胸が徐々に高鳴りだした。

 高校時代は遊び仲間であった亜沙美が、いつの間にか恋仲、そしてその先まで考える相手になっていた。うっとりとした表情で幸次郎を見続ける亜沙美を見て、幸次郎は確信した。


 自分はこれからも亜沙美と一緒に生きていきたい。彼女となら、楽しい人生を歩めそうな気がする。そして、今こそ自分の気持ちを伝える最大のチャンスである。


 幸次郎はしばらく沈黙していたが、意を決し、目を閉じて軽く深呼吸すると、真剣なまなざしで亜沙美を見つめた。


「亜沙美、俺……」

「何?急にマジな目つきで、どうしたの?」

「亜沙美が嫌じゃなかったら、これからもずっと俺と一緒に居て欲しいんだ」

「幸ちゃん……」

「あ、ごめんな。びっくりさせちゃって。でもほら、俺も亜沙美もいい歳だしさ」

「いい歳?私、二十一歳だけど」

「何?に、二十一?」


 亜沙美の口から出た言葉に、幸次郎は衝撃を受けた。

 確かに亜沙美は高校時代から見た目が大人びていたが、目の前にいる亜沙美は少なくとも三十一歳である幸次郎より肌や髪にもつやがあるように感じた。


「そういえばお前、自分は十年前の世界からやってきたって言わなかったっけ?」

「まあ、そうだけど?」


 思い返せば、出会って以来、亜沙美の言動には不自然に感じる部分が多かった。そもそも彼女は十年前からやってきたと言っていたが、一体どうしてここにいるんだろうか?


「亜沙美。お前、本当に生きているのか?幽霊とかじゃないよな?」


 幸次郎は強い口調で、亜沙美を問い詰めた。亜沙美は長い髪をかき分けもせずしばらくうつむいていたが、しばらくすると、大きな唇を少しずつ開き、言葉を発し始めた。


「生きてるのか?幽霊だ?失礼な言葉だよ、まったく!」


 そう言うと、亜沙美は幸次郎の手を掴み、自分の胸の辺りに手を当てさせた。


「おい!何でよりによって胸に手を当てさせるんだよ。恥ずかしいだろ?」


 幸次郎は赤面して手を引き抜こうとしたが、亜沙美の柔らかく大きなバストの上からは、しっかりと心臓の動きを感じ取ることができた。


「ねえ、私の胸の感触どう?ちゃんと動悸がするでしょ?」

「そ……そうだけどさ、何もわざわざ触らせなくたって」

「私はちゃんと生きてるよ。ただ、今日までだけどね」

「何だって!?」


 亜沙美は車から降りると、燃え盛る真っ赤な送り火の前に立った。


「私は十年前にもう死んでるんだ。でも、毎年この火が燃え盛ってる間、私はこの世にいられるんだ。どうしてなのかは分からないけどさ。この火が私に命を吹き込んで、この世に再び甦らせてくれるんだよ」


 そう言うと、亜沙美は送り火の前にしゃがみこみ、頬杖をしながら立ち上る炎を見つめていた。


「じゃあ、お前はもうこの世には……」

「まあ、色々あってね。正直幸ちゃんに話すのは、プライドが許さなかったけど」


 幸次郎は地面にしゃがみこむと、亜沙美は幸次郎の肩にもたれながら、今まで語ってくれなかった過去のことを話してくれた。

 亜沙美は就職した病院で、担当になった医師の嫌がらせを受けていたとのことだった。医師から執拗にセクハラを受けていた同期の看護師を守ろうと直談判したところ、セクハラ自体は収まったものの、今度は亜沙美が医師からターゲットとみなされ、同じ看護師の先輩をも抱き込んで相当ないじめや嫌がらせをされたらしい。

 亜沙美も徹底抗戦していたものの、やがて精神的に追い込まれ、誰に相談することも無く、自ら命を絶つことを決意したようだ。


「そうか……『番格』の亜沙美でも、その医者に太刀打ちできなかったんだな」

「私の病院に長く勤めるベテランで患者さんからの信頼もあるし、県の医師会の役員とかもやってる人だからさ。病院の事務局にも告発したんだけど、私の言うことなんて誰も信じてくれなかった」

「それは悔しいな……でもさ、亜沙美らしいよな。弱い奴がいじめられてるのを見ると黙ってられないところは、高校の時と同じじゃん」

「まあ、今思うとやりすぎちゃったかな?って思う所はあったね。セクハラ受けた子を守るため、先生の部屋に単身で乗り込んで『おい、これ以上あの子に嫌がらせするなら、ただじゃおかねえぞ!』って壁を叩きながら凄んだからね」

「ハハハ、それも亜沙美らしいや」


 幸次郎は思わず笑い転げたが、亜沙美の横顔はちょっと憂鬱そうだった。


「ホントは自殺する前に一度中川に帰ってきたかったんだ。でも、諦めたの。落ち込んで惨めな姿を親や友達に晒すことは、どうしても自分自身が許せなかった」

「そうか……だから亜沙美はずっと音信不通だったんだな。亜沙美の家族も他所の町に引っ越しちゃったから、全然分からなくなったんだよね」

「私には両親と妹がいたけど、多分この町に残っていたんじゃ、しつこく私の居所を聞かれると思ったからじゃないかな。それに、田舎だからあっという間に噂も広まるし」

「そうか……」

「でもね、死んだ後になってから、死ぬ前にこの町に戻らなかったこと、そして、ずっと好きだった人に自分の気持ちを伝えられなかったことをすっごく後悔したんだ」

「好きな人?」

「そう、幸ちゃんのことだよ」

「……」


 幸次郎は亜沙美の話を聞くうちに、胸が強く締め付けられた。本当はこの場で思い切り泣き出したかったけど、今は亜沙美を寂しがらせないよう、顔の筋肉に力を込めて、ひたすらこらえ続けていた。


「本当はこれからもお前と一緒にいたかった。このまま別れたくなんかないよ」

「私もだよ、幸ちゃん」


 二人は送り火を見届けながら、唇を重ねた。

 ちょうどその時、コンビニエンスストアの店長である金子が送り火を消そうとバケツを持って店内から出てきた。しかし、二人が体を寄せ合って唇を交わし合う後姿を見て、慌てて店内へと戻った。


「へえ。幸次郎、なかなかやるな。火を消すのはもう少し待ってやるか」


 時間が経ち、やがて送り火は風に吹かれて次第に勢いを失い、火の形が徐々に小さくなってきた。


「送り火、もう消えそうだよね。幸ちゃん。私、そろそろ行かなくちゃ。幸ちゃん、いい女見つけるんだぞ。私が悔しがるくらいいい女をね」

「バカ言うな。亜沙美以上の女なんて出て来ねえよ」

「だといいけど。じゃ、あ・ば・よ!」


 亜沙美は幸次郎の肩に手を載せると、ブチュっと音を立てて頬に大きな唇を押しあてた。そして、満面の笑顔で両手を大きく振りながら、コンビニエンスストアの陰の方へと全力で走り去っていった。


「亜沙美!」


 幸次郎はキスされた頬を押さえながら、全力で亜沙美の後を追いかけた。息を切らして建物の陰を必死に探し回った。建物の裏を流れる川の堤防に出て、何度も亜沙美の名前を呼んだ。

 しかし、亜沙美らしき人影も、呼びかけへの反応もなかった。

 幸次郎は暗闇の中でうなだれると、こらえていた涙が一気にあふれ出した。


「亜沙美……また俺を一人ぼっちにするのかよ?俺、亜沙美とずっと一緒にいたかったのに!」


 蛍が飛び交う堤防の上で、幸次郎は力なく座り込むと、大声を上げて泣き始めた。


『どうしたの?そんなに泣いて、大丈夫?』


 ひざまずいて泣き崩れる幸次郎の元に、突然、耳元で誰かのささやく声が聞こえた。その声は亜沙美と違い、トーンの高い透き通った声であった。

 幸次郎は後ろを振り返ると、そこには奈緒が立っていた。


「な、奈緒さん!」

「久しぶりね。幸次郎さん」

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