第3話

 運転どころか今日まで乗ったことのない自動二輪におっかなびっくり跨りながら、マオはなんとか一人東京タワーの足元に辿り着いた。ヘルメットを下ろすと、馬を労うようにバイクの車体ボディに触れる。


「ありがとう、ゼファー。ここまで送り届けてくれて」

『礼には及ばない』


 電子音声の返事に、マオはくすりと笑った。堅い台詞も今となっては愛嬌があるように聴こえてくる。


「最後の話し相手として悪くなかったわ。……サカエにもよろしくね」


 そうして車体を降り、目の前の塔を見上げる。月明かりに浮かび上がる赤い塔。ライトアップした過去などとうに置き去りにした電波塔は、夜闇の所為か、それとも風化の所為か、鉄錆に覆われて血のような色だった。

 これから立ち向かうべき相手をしっかりと頭の先から足元まで見据えたあと、マオは広がった塔の脚元に蹲る四角い商業施設フットタウンへと向かう。

 自動ドアの前に立ち、端末を自分の鞄から取り出して操作すると、一分ほどの時間を経てドアが動き出した。マオのアクセスを受け入れた建物は、かつての栄華を思い出したように光り出す。

 夜闇に浮かび上がる赤い塔。この上が、夜行ナイトランの終着点。

 自動ドアを潜り抜けようとしたそのとき。


『マオ』


 単なる支援AIのはずのゼファーに呼び止められ、マオは驚き振り返った。

 ゼファーは変わらず淡々とした電子声で告げる。


『提案:あなたの取り得るべき行動と未来の再考』


 マオの目が見開かれた。完全に虚を突かれた支援AIの言動。こちらを気遣うような物言いに、心さえ感じてしまいそうになる。

 けれど。マオは瞑目めいもくした。胸の奥に渦巻くものが呼び起こされようとしていた。奔流ほんりゅうに巻き込まれそうなのをぐっと堪え、押さえつけ、マオは静かに眼を開く。


「考えているわ。――その答えが、これよ」


 硬い声で応えると、マオは未練を振り払うようにセンサが感知して開きっぱなしだった自動ドアをくぐり、蛍光灯の光の中へと身を躍らせた。




「まったく、あの嬢ちゃんはよぉっ!」


 幌を開いた黄色の軽自動車の助手席でサカエは叫んだ。車が猛スピードで走る所為で、エンジン音も中年のがなり声も後方に流されていった。


「プライドたっけぇなと思ったら、やっぱり思い上がりもはなはだしいんじゃないの!?」


 苛立ち紛れに拳を膝に叩きつける。その隣では、サカエに襲いかかってきたあの刀使いの女が、ハンドルを握り、表情を曇らせながら車を走らせていた。


「マオは……自分が恵まれた育ちであることを、ずっと気にしていました。〈大崩落〉で誰もがいろいろなものを失くした中で、自分は何も喪っていない、と……」


実澄みすみハヤ〟と名乗った女はそうして唇を噛んだ。


『貴方は、マオが何をしようとしているのか、知っているのか!』


 刀とナイフでの攻防の最中、ハヤは切実な様子で叫んだ。サカエが何やらおかしいと思い始めたのは、その頃からだ。


『世界を救うんだろ? そのために東京タワーに行く必要があるって』

『そう。マオは自らを犠牲にして、この世界を元に戻そうとしている!』


 そうして伏せられた事実をハヤから聞きだしたサカエは、彼女と協力してマオを止めることを選んだ。ハヤの話が本当だとすれば、マオの行動はまるで人身御供ひとみごくう。そうまでしてこの世界をどうにかしたいとは、サカエには思えなかった。

 だからこうして、ハヤと共に行動している。


「悪かったな、ねぇちゃん。邪魔しちまって」

「……いえ。私こそ、突然切りかかってしまい申し訳ありませんでした」


 申し訳無さそうなハヤの声には恥じ入るような色があった。出くわして早々に頭に血を昇らせたことを後悔しているのだろう。

 だが、サカエにはその若さが好ましく映った。……何事もなかったからこそ、そう思うのだろうが。


「ねぇちゃんの気持ちも分かるさ」


 小さく笑った後、サカエは窓の外の景色に目を向ける。そびえ立つビル。そこにはもう誰もいない。


「大事なモンに何も言われずに置いてかれるってのは、辛ぇよな……」


 ふと、サカエは過去を幻視した。住み慣れた小さな部屋と、そこに居たひと。月光に揺れるカーテンの向こうに去ってしまった恋人のことを。


「見えました」


 運転席のハヤは、硬い声で告げる。

 サカエは視線を上げ、わずかに目をみはった。住む者の居ない東京のど真ん中で、赤い塔が光り輝いている。

 マオがあの中に居るのだ。


「ゼファー!」


 フットタウンの入口付近に横付けした車のドアを開けることなく飛び降りたサカエは、見覚えのある自動二輪に駆け寄った。


『マオは中に』

「だろうな!」


 遅れて自車から降りてきたハヤに目配せし、頷き合う。二人は物言わず駆け出した。


「あ、時間稼ぎ御苦労!」


 ふと思い出し、バイクに向かって後ろ手に手を振る。ハヤから話を聴いたサカエは、無線を通して密かにゼファーに足留めをお願いした。彼はその命令を反映した結果が、あの〝提案〟だ。

 足留めは一瞬だった。それでも、マオとの距離は縮まっているに違いない。


 商業施設に飛び込んだサカエは、正面のエレベーターの表示を確認した。建物中心を貫くエレベーターの一つが上昇中であることを確認する。近くのボタンを押せば、一つのエレベーターが作動した。すぐさまハヤとエレベーターに乗り込む。

 地上百五十メートルの高さへと辿り着くまでの間がもどかしくて仕方なかった。


「マオ!」


 メインデッキに飛び込んだハヤが叫ぶ。

 展望窓から塔を染める照明だけが光源となった展望台では、床を覆い尽くすほどのケーブルが張り巡らされていた。その線はかつてクラブとして使われていた区画にまで延びている。部屋に飛び込んでみると、中は何かの装置でみっしりと埋まっていた。暗がりの中、モニタの光が眩しい。

 サカエは、その部屋の中央壁側に残されたステージに登壇しているマオを見つけた。


「どういうこと……?」


 彼女はハヤをまじまじと見つめたあと、怒りに満ちた目でサカエを見下ろした。


「このねぇちゃんから大体のことは聴いたよ。お前さんがその装置に入ることで、怪電波に干渉できるんだって?」


 マオは傍らの装置を振り仰いだ。大きな黒い卵を思わせるカプセル。それこそがマオが東京タワーを目指す理由だった。


「TERAの技術力を集結して作った装置よ。扱えるのは私だけ」


 サカエは旅立ちの会話を振り返る。あのとき答えをはぐらかされたことを気にするべきだったのだ。そうすればマオをここまで連れてくることもなかったというのに。


「これで世界から異形が居なくなるのよ。貴方に止める理由はないでしょう?」

「だからって貴女が犠牲になることはない!」


 我慢ならないとばかりに、隣のハヤは声を張り上げる。


「その装置は貴女が電波を通じて人の意識に入り込むことで異形化を阻止するためのもの。貴女の負担が大きすぎる!」

「……どういうことだ?」


 ハヤに悲鳴のような言葉にサカエは眉を顰めた。マオが自らを犠牲にして、怪電波とやらを止めようとしているのは聴いていた。だが、異形化云々うんぬんの話は聴いていない。

 ハヤはばつが悪そうにサカエから顔を背けた。つまり、意図的に隠していたのだ。


「魔法と同じよ」


 壇上から抑揚よくようのない声が降ってくる。


「異形は、各地で発生している電波によって人や生物の脳波を書き換えられたことで変態したもの。元は人なのよ。放っておけばいつ私たちも異形になるともしれない」


 だから今のうちに手を打つのだ、とニヒルな笑みを浮かべて、マオはサカエを見据える。


「どう? サカエ。それでも貴方は私を止める?」


 挑発的に笑うマオを、サカエは冷静に見上げた。


「俺はねぇちゃんの肩を持つぜ」


 マオは目を瞠った。


「どっちも不確かな話だ。もう少し詳しいことを聴かないことにゃ、犠牲になれなんて言えねぇよ」


 異形が元は人間だったという話が本当だとして、何故今サカエたちはそうならないのか。そこに何らかの理由があるはずだ。

 それを知るまで、判断を下せるはずもない。誰かが犠牲になるというのなら、尚更に。


「だからお前さんも救世主気取りはやめろ」


 そう言うと、マオは血相を変えた。


「馬鹿にしてるの!?」

「お前さんこそ、いろいろ下らないこと考えてるんじゃねーの!?」


 たまらなくなって、サカエは叫んだ。


「いいか、あの事件で生活が変わんなかった人間なんて、誰一人としていねぇんだよ! そして、運が良かった奴だって、一人じゃねぇ! お前一人が世界を背負わなきゃいけない理由なんてねーんだよ!」

「それでも!」


 マオは高所から飛び込むような顔で、サカエの言葉を遮った。


「私はやらなければいけないの! だから――」


 邪魔をするな、とマオは魔法を放った。部屋の中央を割るように走る炎に、サカエとハヤはそれぞれ左右に分かれる。


「マオ!」


 ハヤが制止の声を上げるが、マオは容赦なく雷を浴びせようとした。咄嗟とっさにハヤも雷を放ち、マオの攻撃を受け流す。ハヤの側方に流れていった電流は、近くの計器に衝突した。

 ふつん、と明かりが一つ消える。


「やめてください!」


 抜かぬ刀の鞘を強く握りしめ、ハヤはもう一度訴えた。

 

「貴女がいなくなれば、私の大切なものはつゆと消えてしまう。そんなこと耐えられない。どうか私から、貴女を奪わないでください!」

「そんなこと、言われたって――っ」


 悲壮な表情を浮かべるマオの前で、銃声が一つ鳴った。首をすくめて身を硬くした少女の足元に、装置の一つを撃ち抜いたサカエが近寄る。


「いい加減冷静になれよ。お前さんだって、本当は犠牲になりたいわけじゃないんだろ?」


 その証拠にさっきから声が震えている――そう指摘すると、目を見開いたマオはその場にしゃがみ込み、自らを抱きしめた。その方が震えているのを、サカエは少ない光源の中でしかと捉えた。

 それに、とサカエは続ける。


「ここまで熱烈に告白されてるっていうのによ、無碍にするのもどうなのよ?」


 暗がりでも判るほど、ハヤの頬が赤くなった。

 対してマオは、自分の二の腕を掴んだまま、何かを堪えるように俯いている。

 マオ、と一歩前に踏み出してハヤが名前を呼ぶ。しかし、その後に続く言葉はない。彼女は無言でマオに右手を差し伸べた。切実な光を瞳に浮かべて。

 がくん、とマオの肩が落ちる。


「……もう、せっかく覚悟を決めて、怖いのを我慢してここまで来たっていうのに。台無し」


 自嘲とも苦笑ともつかない笑みを浮かべて、立ち上がる。

 マオはステージから飛び下りると、伸ばしたままのハヤの手を包むように握った。


「分かったわ。今回は諦める」

「今回は、かよ」


 あまり潔くない言葉に肩を落としたサカエに、マオは彼女本来の勝気な表情を向けた。


「ええ。確実だって分かったなら、私は今度こそ躊躇ためらわないわよ」


 宣言に、ハヤは顔を歪めて俯いた。だが、すぐに表情を引き締めて顔を上げる。これは諦める気はないぞ、とサカエは密かにほくそ笑んだ。ハヤが居る限り、マオが自らのを達成することは困難を極めるだろう。


「なんにせよ、これで一件落着――ってことかね」


 ぎゅう、と音が鳴りそうなほど手を握り締めるハヤに戸惑うマオを眺め、サカエは銃を腰にしまい、肩を竦めた。そして思い浮かべるのは報酬のこと。

 マオの務めは達成されていないのだが、果たして契約通りに貰えるのだろうか、と少しだけ心配になった。

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