第2話

 鍵を回せば、重低音が夜陰に響く。愛車が覚醒したのを確認して、サカエはヘルメットに内蔵されたマイクに声を吹き込んだ。


「ゼファー。東京タワーへのルートを検索」

『了解。ルート検索中』


 耳元のスピーカーから応えたのは、青年男性を模した無機質な電子音声だ。サカエと同じくヘルメットから流れた応答を聴いたマオが、背後から驚きの声を上げる。


「ナビゲートAIを搭載しているの?」


 サカエのバイクは、一見して普通の自動二輪車だ。丸目一灯、パイプ鋼管フレーム、空冷直列四気筒が特徴のビンテージレッドのネイキッドバイク。趣味を前面に押し出した車種に、そんな高度な精密機械が乗っているとは思わなかったのだろう。


「こういう仕事、道はまあ別に良いんだが、異形どもがいるからな。衛星から敵の少ないルートを送ってもらっているわけよ」

「異形と戦うのが仕事でしょ?」


 眉を顰めていることが容易に想像できそうなマオの声に、サカエは大げさに肩を竦めた。


「戦うんじゃなくって、異形がいるようなところを通って、もの運んだりするのがお仕事。戦えるからって、無闇に戦いたかねーのよ」


 サカエは、銃の心得こそあるが、戦闘狂ではない。大義のために命を懸けるような志もない。戦えるという事実はあくまでスキルの一つ。


『ルート検索完了』


 ゼファーの声とともに、ヘルメットシールドの画面にマップが表示される。その青く示された道筋に、サカエは右の拳を左の掌に打ちつけた。


「よっしゃ、新宿線が使えるな」


 目の前にある高速道路が使えるとあって、サカエの気分は浮上した。


「首都高って確か使えないんじゃ……?」


 マオがいぶかしむのも無理はない。現在異形の巣窟となった東京都心は、中央環状線に沿って造られた壁に囲われているからだ。特に高架となった道路は、柱を折って横倒しにすることで壁の一部となっている。地下トンネルも崩落させて、瓦礫で穴埋め状態。


「中央環状以外は一応残ってる。まあ、異形に壊されたり風化したりで壊れているところもあるけどな」


 それでも、異形の巣窟のど真ん中を通る下道を突っ切るよりはずっと安全だ。そういうこともあって、東京で活動する傭兵には、常に最新の情報を提供してくれるゼファーのようなナビゲートAIが必要なのである。


 さてそれじゃあ、といよいよグリップに手を掛けたサカエに、


『要請:同乗者の登録』


 いささか責めるような響きをもって、ゼファーが訴えた。

 ああ、そうだった、とサカエは腰に嫌々手を回した背後の少女を振り返った。


「ほれ、自己紹介」


 マオが戸惑った声を出す。


「照れんなよ。名前を言や良いだけだって」


 というか、本人に名乗ってもらわなくては困るのだ。本人識別のため、名前と同時に声も登録するために。なにもゼファーの仕事は道案内ナビゲートだけではない。バイクのセキュリティもその一つ。


「寺川マオ」


 虚空に向かって話し掛けるような感覚に戸惑うマオの声は硬かった。


『同乗者登録完了。よろしく、マオ』


 相変わらず無味乾燥なAIの台詞だったが、なにか感じるところがあったのだろうか。彼女はクリアブラックのシールドの向こうで目を瞠った。


「これ、意思とかあるの?」

「さあ? でも、お喋りの相手としてはあんまふさわしくねーぞ」


 設定された個性なのか、それともはじめからその仕様なのか、こういった精密機器には詳しくないのでよく知らないが、このゼファーが話すのはだいたい事務的要件だけだ。楽しい会話が期待できる相手ではない。

 そっか、と応じるマオは少し残念そうだった。


「……それにしても、〝ゼファー〟って、バイクと同じじゃない」

「なんだよ、女の名前でも付けろってか?」

「それはそれで気持ち悪いわ」

「だろ?」


 うんうん、と頷いて、サカエは今度こそグリップに手を掛けた。左のクラッチレバーを握り、チェンジペダルを押し下げる。


「さーて、飛ばすぞ。しっかり捕まれよ」

 

 アクセルをひねると、待機状態だったエンジンが唸り声をあげはじめる。

 首都高を走る。崩壊した東京を行く、静かな夜間走行ナイトラン。朽ちたビルの合間、ひび割れたアスファルトの上を、ゼファーは真っ直ぐに抜けていく。かつて不夜城の如く光またたいていた大都会は、月明かりの陰影呑まれてモノクロに。バイクのエンジン音も、冷たい夜闇に溶けるばかり。

 滅びた東京は、まるで石化したようだった。


 そんな静謐な一時を破ったのは、ゼファーだった。


『警告:五キロ先に敵影有。数は十』


 淡々と無機質なガイドと同時に、シールドに円形のマップが現れる。縮尺を大きくした表示の情報に、赤い点の塊が見えた。

 マオの身体が緊張で硬くなる。サカエの腰に回した腕が強張った。

 一方サカエは慣れたもので、あいよ、とだけ返事をして左手を自分の背後へと回した。器用に腰から拳銃を引き抜くと、銃把を握りしめた拳をバイクのグリップに軽く乗せる。

 そうこうしている間に、敵の姿があらわになっていく。その外見は、一言で表すならワニ人間。二本足で立つ人型の頭部を鰐にすげ替えたようだ。体表は闇に紛れやすくもテカリのある黒色。鱗でもあるのかボコボコしている。

 だが、異形が異形たる所以ゆえんは、それだけではない。身体のあちこちから橙色に光る水膨れのような腫瘍しゅようが飛び出しているのが、一番の特徴と言えるだろう。実に不快感と嫌悪感を与える見た目。サカエは見慣れているが、マオはそうではないらしく、彼女は呻き声を漏らしていた。


「お嬢ちゃん、怖かったら目ぇ瞑っときな」


 サカエは両手を伸ばし銃を構えた。太腿で車体を挟んだだけの格好。AIゼファーによって速度は維持されるが、そのバランス感覚は目を瞠るものがある。


「ガキ扱いしないで!」


 受け答えるマオも、自分が今どのような曲芸に付き合わされているのかを知りながら、強気を見せている。相当な胆力だ。

 シールドの下で、サカエの口の端が持ち上がる。と同時に発砲音。七体いるうちの一番手前側にいた個体にヘッドショットが決まる。銃弾を受けた異形は、オレンジの液体を撒き散らして崩れ落ちた。

 二体目、三体目と同じように頭を撃ち抜いたところで、サカエは銃をしまった。代わりに抜いたのは、伸縮式の警棒だ。バイクの速度の所為で、あっという間に敵との距離が縮まった。接近戦となるのなら、こちらの方が便利だ。何故なら――


「ぅらぁっ!」


 ――速度に乗せて相手を殴ったほうが、殺傷能力が上がるうえに、確実に相手にヒットする。

 異形とのすれ違いざまに、サカエは警棒を振り回した。時速六十近い速度で人間大の重いものを吹き飛ばしても、腕を痛めることはない。彼もまた〈大崩落〉の後の世で数々の死線を潜り抜けてきた男なのだ。

 だがそれでも、背後の少女はただ黙って傍観していることなどできないようだ。


「〈火球ignis放てvirga〉っ!」


 凛々しい声が背後から上がったかと思うと、サカエの脇を炎の球が走り抜けた。火球は一番奥にいた異形へ。被弾した異形は、ぶすぶすと煙を上げながら頭を燃やしていた。

 ひゅー、とサカエの唇から笛の音が漏れる。


「やるじゃん」

「このくらいはね」


 余裕を見せるようにそう言うマオの手が震えているのをサカエは感じたが、何も言わないことにした。慣れない戦場で的確に魔法を放つ判断を下せるのだ。その精神力は、むしろ称賛に値する。


 異形の群れを抜けたゼファーは、崩壊したトンネルを走り抜けた。ヘッドライトが照らす瓦礫を、サカエは器用に躱して抜けていく。

 坂を登ると、かつての皇居の側面に出る。そこでサカエは高速を下りる準備に入った。片側の車線に寄り、『霞が関・出口』を抜ける。


『警告』


 そこでまた、ゼファーが声を上げた。


『この先、進路を阻む不明車両あり』

「不明車両?」


 シールドの下でサカエは眉を顰めた。

 ほどなくして、不明車両とやらがサカエの視界に飛び込んだ。夜目にも鮮やかな黄色のボディ。〝進路を阻む〟とはいうものの、そう大きな車両ではない――むしろ小さな、丸い二人乗りの軽のオープンカー。

 日本車でも特に車高の低いその車は、運転席側のドアをこちらに見せて停まっていた。

 その前に人影がある。


「あ……」


 マオが溜め息に似た声を溢した。知り合いか? 疑問に思うが、尋ねない。代わりにバイクを車から少し離れたところで停めた。ヘッドライトがあぶり出した人影の正体は、若い女だ。チャコールグレーのパンツスーツに身を包み、後頭部で髪の毛先をバレッタで留めている。年の頃は二十半ばか。一昔前ならフレッシュさもあっただろうが、傍らに携えた刀がいろいろと台無しだ。カタギとは思えない装いに、自分と同類だろう、とサカエは当たりをつけた。

 長い脚でバイクの車体を支えたサカエは、ヘルメットのシールドを持ち上げて、その女へと顔をさらす。


「ねぇちゃん悪いな。ちょっとそこ、通りたいんだけど。車どかしてくんねーか?」


 そうは言いつつも、左右へ視線を走らせる。小さい車だ、道路を完全に塞いでいるわけではないから、その気になれば脇を抜けることは可能。ただし女が素直に通してくれない場合は、少々面倒なことになる。


「いいえ」


 サカエの期待虚しく、女は首を横に振った。


「ここを通すことはできません」


 ヘッドライトの光量に立ち向かうようにサカエを見据えた女は、左手の鞘から刀を抜いた。


「マオを東京タワーに行かせることは許さない」


 正眼に刀を構えた姿はまさに戦闘モード。突如向けられた敵意に、サカエは思わず背後を振り返った。


「なあちょっと、妨害者がいるなんて聞いてねーんだけど!」

「わ、私だって予想外よ!」


 受け答えるマオの声が裏返る。隠していたわけでもなんでもなく、彼女にとってもこの事態は想定外のようだ。気になることはいくつかあったが、それらすべてを脇に置き、サカエは素早く打開策を打ち出した。


「よし。お前、運転しろ」


 マオが目を白黒させたことは言うまでもない。


「無理よ!」

「大丈夫、自転車と同じだから」


 サカエの暴論を、当然マオは受け入れなかった。


「ハンドル握って、脚を上げてりゃいい。そうすりゃあとはゼファーがやる。東京タワーまで一直線だ」

「貴方はどうすんのよ!」

「あいつを足止めする」


 サカエはヘルメットを下ろし、バイクを下りた。傾いた車体を慌ててマオが支えようとする。不自然な体勢でどうにか車体を支えられているのは、ひとえにゼファーのサポートがあるからだ。


「ゼファー、マオを頼む」


 腰のコンバットナイフを抜いた。刀の長さを考えるとリーチの差で不利になるが、サカエは彼女を相当な使い手と見ていた。警棒で張り合うより、使い慣れたナイフのほうがまだ歩があると判断したのだ。


『了解。サポートする』


 外部スピーカーからゼファーの無機質な応答。マオはすでに運転席に跨っており、怖々としながら発進のときを待っていた。

 エンジン音が轟き、ビンテージレッドの車体が傍らを抜けていく。女が身を挺してでも止めようとするのを、サカエは先回りして阻止した。


「待ってください、マオ!」


 手を伸ばしながら、女は叫ぶ。やはり知り合いか。サカエは眉を顰めた。だが、ただマオの行動を妨害しに来たというわけでもないような気もする。


「なあ、ちょっと聞きたいんだけど――」

「邪魔をするな!」


 込み入った事情があるなら、もう少し穏便に済ませられるかもしれない。そう思ってサカエは口を開いたが、頭に血を昇らせた女に、あえなく両断されてしまった。

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