TOKYO Night Run 〜東京夜行〜

森陰五十鈴

第1話

「おいおい、ちょっと待ってくれよ!」


 高さ二十メートルのアーチの連なる半戸外空間に、男の声が響き渡る。漏れ入った月光に舐められて罅と砂埃だらけになった白壁の、かつて〈ガレリア〉と呼ばれた場所。そこに三人の男女がいた。男の一人は壮年。もう一人は中年。紅一点は、大人びてはいるもののまだ少女と呼べる年頃だ。


「あんた正気か? 娘を東京タワーに連れていけ、だって?」


 中年の男が、声を荒らげながら壮年の男に詰め寄った。染髪により根本が黒い金髪。目に掛かりそうな長さの前髪を左側をピンで留めている。目尻とほうれい線の皺が目立ちはじめた四角い顔、顎にだけ残された無精髭。夏期のミリタリーファッションに身を包んだ腰には、三年前まではなかなかお目にかかれなかった大口径の拳銃とコンバットナイフがぶら下がる。

 一方、詰め寄られている方は、洗練されたロマンスグレー。今日日きょうび東京において、オーダーメイドのスーツなどお目にかかれはしない。そしてただ立っているだけで漂う風格。

 一見すると、金持ち紳士がチンピラおっさんにタカられている図だが、会話の中身を聴く限りでは、被害を受けそうなのは中年の男の方であるらしい。詰め寄る方が必死の表情をしている。


「あそこがどういうところだか知らないわけじゃねぇだろう?」


 金髪の男は、両手を広げながらさらに言い募った。


「〈大崩落〉の崖っぷち。目的地にも、そこまでの道にも異形がわんさか居るんだぜ?」


 危ないなんてもんじゃねーよ。金髪男はそう付け加えるが。


「だからあなたを雇っているんでしょう? 寝ぼけたこと言わないで」


 反論したのは、壮年の男ではなく、少女の方だ。ショートヘアーの毛先を少し遊ばせ、大人びた顔つきに嵌った目を吊り上げている。紺色の襟付きシャツに白いスカーフを巻き、脚は七分丈のスラックス。裸足の足にはスリッポン。お嬢様の休日、とでも題名付けられそうな、ラフでいてさり気なく洒落っ気のある組み合わせ。顔を見れば、ロマンスグレーの娘であることは一発だ。

 ただ、落ち着きを持って構えている父親に比べ、彼女はずっと感情的だ。人に命令することに慣れた居丈高な態度に苛立ちが見え隠れする。

 そんな、たかだか十六、七の小娘に気後れする金髪男――いい加減名乗ろう、伊吹サカエではない。


「いいや、悪いが言わせてもらうぜ。正気とは思えない。だいたいなんでそんなところに――」

「世界を救うためよ」

「は……?」


 ポカン、とサカエは口を開けた。幻聴かを疑ったのだが、少女は若干後悔を滲ませつつも、取り消す気は全くないようだった。


「貴方の仕事はこの私のエスコート。口出しは許可していないわ」


 強引に話を終わらせようとする少女に、サカエは黙り込んだ。



 二〇二〇年代の半ば、世界は突如〈大崩落〉と呼ばれる現象に見舞われた。世界各都市部の一部が崩れ去って大穴が空き、そこから人とも動物ともしれない〝異形〟が溢れ出したのだ。

 二〇年代初頭の世界的感染症大流行パンデミックさえかすむほど大事件。このときから、世界の在り方は本当に大きく変わってしまった。

 まず、魔法の発現。細かい理由・理屈はさておいて、本当にRPGみたいなことができるようになってしまった。

 次に、サカエたちのような傭兵の出現。この時代、傭兵とは、無国籍で戦争に介入する者たちのことではなく、異形たちが徘徊する中で護衛や運搬をはじめとした仕事を行う者たちのことを指す。

 あとは一般人が日常を過ごす〈避難区域シェルター〉の建設、何故か異形たちを崇め始めた新興宗教の誕生などあるが、サカエたちの話題には現在無関係であるだろう。



「世界を救う、ね」


 衝撃ショックから立ち直ったサカエは、娘の言葉を繰り返す。胸ポケットを弄り、煙草を取り出しかけて、娘の据わった目に気がついた。どうやらこういう嗜好品はお気に召さないらしい。大人しくポケットに戻し、代わりに後頭部を掻いて自らを慰撫する。


「誰もが自分のことで精一杯な中で、そんなことを考えるなんてたいしたもんだが――」

「だからこそ」


 荒廃した空間に涼やかな音がなったかのように、サカエの言葉を遮る少女の声はよく通った。


「恵まれている私が救ってあげようっていうんじゃない」


 月光に勝る強さを持った、挑むような眼差し。引き下がる気はないと見える。

 サカエは、指なし手袋を嵌めた両手を挙げた。降参のポーズ。


「……わーったよ。引き受けましょ。――報酬は弾んで貰うからな」

「善処しよう」


 久方ぶりに、父親が喋った。低く渋いハスキーヴォイス。口論の前に依頼内容を伝えて以来だ。

 にっこりと少女が笑う。不敵な――少し意地の悪い笑み。


「さあ、もたもたしている時間はないわ。さっさとこの悪夢を終わらせに行くわよ」


 後ろ手に手を組んで、くるり、と身体を反転させる。


「……行ってきます、お父さん」


 サカエからは、表情は見えなかったが。

 その哀切たる声は、なんたることか。


 言葉少なに父娘は挨拶を交わし、娘はサカエを伴って、〈ガレリア〉――東京オペラシティの商業ゾーンを出た。

 目の前には、高速4号新宿線の高架が聳えている。夏の夜空を覆うばかりか、甲州街道の対岸さえ見えにくい始末。この胸の圧迫感は、〝使命〟に対するものだけではないだろう。


「えーっと、お嬢さん」


 ロータリーに面したところで、サカエは前を行く娘を呼び止めた。


「マオよ。寺川マオ」


 少女は振り向かないまま名乗る。

 因みに、〈ガレリア〉に置いてきた父親は寺川ハンジ。大手通信会社TERAホールディングスの社長とその娘であることは、タブレットPCに名前を打ち込むだけで判る。


「お、名前で呼んでいいのか?」

「そうね。……命を預けるんだし、特別」


 これもまた、微妙な陰影ニュアンスを感じる。


「じゃあ、マオ。なんで東京タワーなんだ?」


 行き先に悩んだ彼女を追い越す。サカエは、ロータリー出口付近に停めてあったオートバイに近寄ると、シルバーのボディに赤いラインの入ったフルフェイスのヘルメットをマオに放った。受け止めたマオは、長めの前髪の下で不服そうな色を覗かせる。自動車で送ってもらえるとでも思ったのだろうか。


「知っていると思うけど、世界各地の〈大崩落〉、すべて電波塔付近で起こっているわ」


 周知の事実だった。フランスのエッフェル塔。中国・上海の東方明珠電視塔。その足元にどでかい穴が空いている。東京では、大穴の円周上に東京タワー東京とスカイツリーが建っている有様だ。


「そこから推測するに、現在の世界の有様には、電波塔が絡んでいるわ。私たちが魔法を使えるようになったのも、異形が出てくるようになったのも、電波塔から発生する怪電波によるものよ」

「まさか」


 否定しつつぞっとした。自分の頭が、いまもその怪電波とやらに侵されているとしたら? 自分が突然化物に変じてしまうような気がして、慰めにサカエはヘルメットを被った。


「因みに、割と信憑性のある話よ。テレビ放送もラジオ放送も行われていないのに、東京タワーからはなんかの電波が発生しているし」

「はーん。それで、その電波を止めりゃ、この世界の異常は収まるって言うんだな? でも、それだとまだ疑問があるぜ」


 サカエはバイクの前に仁王立ちになったあと、左手を腰に当て、右手の人差し指をマオに向けた。


「何故、社長でも技術者でもなく、お嬢さんじゃなきゃならない」

「それは……」


 マオは言い淀んだあと、項までしかないくせに髪を手で払うような動作をした。


「私が、天才だから」

「あーはいはい」


 さっさと被れ、とサカエはマオを促した。

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