第25話

 人に頼る。

 茜ちゃんは、きっとそれをとても苦手としている。

 それが果たして、元々の性情なのか、あるいは姉さんの教育方針によって構築されたものなのか、それは分からない。ともすれば、そのどちらもあるのかもしれない。それくらい、茜ちゃんは滅多に人を頼ろうとしない。事実、わたしと一緒に暮らしていた、この二週間の間でも、手を貸してください、なんて言われたことはほとんどない。だからわたしは、なんとかして、茜ちゃんが頼ってくれるように、ありとあらゆる努力をした。しかし一方で、彼女が自分でしたいと思っていることに関しては、可能な限りの尊重も、心掛けた。

 人並みにしたい。そういった気持ちを持っている以上、下手に手助けをしすぎるというのも、それはそれで良くないことだから。

 しかし、わたしに向かって優しく微笑んだ茜ちゃんの一言は、そんなわたしの考えが、どうやら間違っていたと思い知らされるには、十分過ぎた。

「よかった、ようやく、わがまま言ってくれましたね」

 そういって、慈愛に満ちた様な表情を浮かべる茜ちゃん。しかしすぐに、慌てたように顔の前で手を振った。

「あっ、い、いやっ、わがままって、悪い意味じゃなくて! えっと、なんて言ったらいいんですかね。……姫子さん、も、あんまりわたしに頼ってくれないじゃないですか。なんていうか、わたしのことを考えてくれるのは、嬉しいんですけど、でも、そのせいで自分のしたいこととか、あんまり言ってくれないなーって思ってたので……」

 言葉を慎重に、綱渡りでもするかのように次の一手を見定めるように、茜ちゃんは話し続ける。

「だから、初めて姫子さんの、して欲しいことが聞けたみたいで、嬉しいなーって、思ったんです」

 伝わりましたかね? そういって、不安そうな表情に戻る茜ちゃん。

 わたしは、自分自身に対して、呆れ返りながら、眉尻を下げた。

「うん、伝わった、よ。……そう、ね。その通りね。……茜ちゃんに対して、初めてわがまま、言ったかも」

 相手に気を遣わせないように。相手に迷惑をかけないように。自分が我慢して、相手に自由に気持ちを言って欲しい。そんな、わたしが茜ちゃんに対して、普段抱いていた感情。それは全くそのまま、茜ちゃん自身も、わたしに対して、同じように抱いていた感情だった。

 わがままを言って欲しい。そう思っているのは、てっきりわたしの方だけだなんて、そんな烏滸がましいことを思っていた。だが確かに、考えてみれば至極当然だ。誰かにこうして欲しい、こうあって欲しいと望むなら、自分がまずはそうあるべきだ。そんなこと、当たり前のことのはずなのに。

 わがままを言えないように育っていたのは、実は茜ちゃんではなく、わたしの方だったのか。

 それから、わたしは何か憑き物が落ちた様な、それこそ二週間ぶりに、もっと言うならば、二十余年ぶりに肩の荷が下りた様な気持ちになって、ベッドに身体を沈めた。その隣で、茜ちゃんはしばらく、わたしのことをただ見つめて、肩をぽんぽんと、また叩いてくれていた。

 年下の、学生の、姪っ子。その子に看病され、あまつさえこんな風に、宥められながら、横になるだなんて、勿論多少の心苦しさはあった。だが、不幸中の幸いと言うべきか、わたしは風邪を引いて、そんな罪悪感に身を窶していられるほどの余裕もない。結局、その罪悪感を上回るほどの幸福感、充足感、そして安心した気持ちで、目を瞑ってしまっていたらしい。

 わがままを言うというのは、確かに勇気がいる。わたしも、こうして風邪を引いていなかったら、そもそもこんな風にわがままを言えていたかどうか、茜ちゃんに頼り切っていられたかどうか怪しい。だからまあ、幸いだったと思う。なにせこんなに難しいことなのだ。茜ちゃんからお先にわがままをどうぞ、なんてのは年上として、あまりにも無体だろう。

 いつだって、年上の大人が、先駆けとして行うべきなのだから。

 わたしからわがままを言うべきだった。そんなことに、今更気付くなんて。わたしもまだまだ、幼いということだろうか。

 今日から姫子改め、ロリ子として、ロリ月先生とコンビでも組もうかしら。

 それからわたしは、キッチンの物音で、目を覚ます。

 関節の痛む腕を伸ばし、枕元の時計を手に取る。そして、どうやらお昼過ぎまで、あれから眠ってしまっていたことに気付く。驚いた。自分ではてっきり、長くて一時間かそこらくらいしか寝ていないと思っていたのだが。どうやらその三倍は経過しているらしい。そして、目を覚ました要因にも気付く。

 キッチンの方から香る、美味しそうなご飯の匂い。それから、その物音。

 わたしは思わず、それが気になって、ベッドから少し身を乗り出す。本当なら、上体を起こしてみたいのだが、そこは体調が悪く、それほどの元気がないから。などではなく、ただの横着である。

 そしてその横着をしてしまったが故、わたしはその報いを受けることになる。

「わっ……わわ、きゃっ!!」

 そんな情けない断末魔を上げ、わたしは身体を無理に支えていた腕が滑り、ベッドから雪崩落ちる。といっても、そもそもそんなに高いベッドではない。それにタオルケットがあったので、ゆっくり、頭の方からずりずりと、落ちて行った感じだ。それでいうなら、そもそも雪崩落ちる原因になったのも、足と身体に絡みついたタオルが原因だったのだが。

 ともかく、そんな悲鳴を上げながら、年甲斐にもなく情けない失敗を披露してしまったわたし。当然、キッチンのほうからは、その物音を聞きつけ、茜ちゃんが走り寄ってきた。

「ひ、姫子さん?! おはようございます! じゃなかった、大丈夫ですか!」

 この間買ってあげた、お料理用のエプロンを器用に解いて脱ぎつつ、床で何とか身体を起こしたばかりのわたしへ近づいてきてくれる。

「……うん、大丈夫。……その、ちょっと、恥ずかしい失敗を、しただけ、だから」

 少し顔が赤くなるのを感じながら、わたしはいそいそとベッドに手を付いて、立ち上がろうとする。正直、こんな恥ずかしいところ、あまり見て欲しくない。ただでさえこっちは、何も茜ちゃんに大人らしいことを出来ていない。どころか、今思い返すと、寂しくて泣いてしまうという、大失態も犯している。

 いや。

 本当に。

 冷静に考えて恥ずかしすぎる。

 ともかく、立ち上がろうと足に力を入れた。だが、そんなわたしの目論見は、すぐに茜ちゃんの腕によって止められる。

「ちょっと、だ、大丈夫ですか? なんか、まだふらふらしてません?」

 とても心配そうな表情で、身を案じてくれている様子の茜ちゃん。確かに言われてみれば、薬が効いてきて、熱はだいぶ下がったとはいえ、しかしまだ身体はふらふらとするし、視界も少し覚束ない。

 事実、茜ちゃんに今だって、肩を支えていて貰っているぐらいだ。

 本当に、頼ってばっかりだな、わたし。

 そんなことを思って。いや、思っているだけで済ましているはずが、どうやら言葉にも出ていたらしい。

 それに気が付く頃には、そんなわたしの、これまで吐くまいとしていた弱音を聞いた茜ちゃんは、何故かにっこりと、満足そうに笑っていた。

「姫子さん。……たまにはわたしを、頼ってくださいよ」

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BLUE notE なすみ @nasumi

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