調整者【コーディネーター】

流々(るる)

淘汰

 地下鉄の階段を上がると白い日差しが目に飛び込んできた。この暑さにもひるまず、休日の午後に多くの人が行き交っている。

 交差点の対角に見えるあの建物はここ日本へ来る前から知っていた。

 この街の象徴であり、東京Tokyoのランドマークとして有名な時計塔だ。ブロンズの透かし模様が入った塔の装飾もさることながら、それを頂きに載せている建物の陰影がまた美しい。

 現代では見ることも少なくなった、彫りの深い単窓が規則をもって並ぶさまはまさに時間ときの流れを感じさせた。ゆるく弧を描いた壁面と、重厚さを印象付ける自然石の外装も見事に調和している。確か建築学ではネオ・ルネッサンス様式と呼ばれていたはず。


 ネオしき再生ルネッサンスを象徴する建物か――我らにとって、何と相応しい場所だろう。

 閉じた左手に力を込める。


 右へ視線を移せば老舗の百貨店がある。こちらは外装だけを現代風のカーテンウォールに改装してしまった。

 何とも中途半端な代物しろものだ。

 歴史を残すでもなく、新しいものを生み出したわけでもないのだから。


 二つの建物に挟まれた大通りは思い思いの休日を楽しむ人たちでにぎわっていた。

 流行りの飲み物に太いストローを指している姿もちらほらと見掛けるが、高級店のショーウインドウが連なり、家族連れも目立つせいなのか、どことなく街全体に落ち着いた雰囲気がある。

「マンハッタンの5th Avenue五番街と似てるのかしら」

 そうつぶやいた時、ウエストミンスターの鐘を模した音色が響き渡る。

 この地日本でアメリカへ思いを馳せたときに、イングランドので現実へと引き戻された。


 ここが私に割り当てられたことにも感謝しよう。

 ギドルが向かったのは若い女性が多い街だという。彼は嬉しそうにしていたけれど、きっと騒々しいに違いない。

 大通りへ目を戻すと、高く澄んだ空を甘受するかのように車道の中央にまで人があふれている。と言ってもそこを走る車はない。通行止めによる歩行者天国と呼ぶらしい。


 、ね。


 思わず皮肉な笑みを浮かべてしまう。

 時計塔のネオ・ルネッサンスと言い、どうやら我らが教授プロフェッサー洒落ジョークがお好きなようだ。

 もう一度、時計塔を見上げる。


「お姉さん、迷子?」

 母親に手を引かれた小さな女の子が声を掛けてくれた。

 雑踏の中で立ち止まり、辺りを見回していたからか。きっと彼女の目にはそう映ったのだろう。


 長い間、私は迷子のようなものだった。

 自分がどこにいるのか、どこへ向かえばいいのかも分からず、不安に包まれながら手探りで歩いて来た。

 でも今は違う。

 自分の存在意義を疑うことはない。


「大丈夫よ。心配してくれてありがとう」

 にっこりとほほ笑むと、日本語で答えたことに母親は安堵した表情を見せた。

「お姉さんは外国の人でしょ?」

「そうよ。フランスから来たの」

「日本は好き?」

 私の日本語もまんざらではないようだ。

「ええ。とても素敵なところね」

 少し腰を落とし、彼女の視線に合わせて微笑んだ。

 うれしそうに彼女もにっこり笑うと、小さな手を振りながら去っていく。

 母親も軽く頭を下げた。あれが別れ際のお辞儀というやつか。


 歩行者天国と直行する通りには車も走っている。

 あの親子は横断歩道の前で立ち止まった。

 向こう側へ渡るらしい。

 信号が代わり、車が停まる。


 さて――。



冷酷無比エターナルフリーズ!」

 左手に込めた念を解き放つ。


 私を中心にした見えない波紋が、音もたてず瞬時に広がっていく。

 波にのまれた人々は――その場で凍りついた。

 自らに何が起こったのかさえ分からぬ間に。

 あの親子も横断歩道の途中で動かぬ塑像となっていた。

 ざわめきが途絶え、刹那の静寂が訪れる。


「きゃー!」「な、なんだっ!?」「うわぁーっ!」


 すぐに至るところから叫び声が上がった。

 運が良いのか悪いのか、私の念が届かなかった者たちは目の前の現実を認識できずに狼狽し、恐怖し、動転している。

 今まで隣を歩いていた男性が突然動かなくなり、すがって涙する女性も見えた。

 信号が変わっても動き出さない車に、後ろからクラクションを鳴らしていた者も異変に気づき降りてくる。

 そして、誰かの「逃げろっ!」という叫び声を合図にパニックが始まった。

 悲鳴を上げながら走り出す女。

 こどもを抱き上げて駆ける男。

 車同士がぶつかり、前にも後ろにも動けない。

「愚かな。力を持たない者が逃げてどうなるというのだ」

 半径五十メートルほどの円を描くように、動くことのない人間たちが立っている。

 それを見捨てて我先にと散らばっていく中、こちらへ走ってくる男が見えた。


「くっそぉ! 遅かったか……」

 塑像たちの輪の中へたどり着くと、呆然と見回す。

 その視線が私へと向いた。

「貴様の仕業かっ!」

 敵がい心を隠そうともせず、ゆっくりと歩いてくる。

 どう見たって外国人である私に言葉が通じないとは全く考えていないようだ。

「何だ、お前は」

「俺は警視庁異能対策課、進藤烈だ」

 ご丁寧に自己紹介とは。名前をたずねたわけではないというのに。


 黙ったままでいると、三メートルほどまで近づいて立ち止まった。

「貴様が調整者コーディネーターだな」

「ほぉ、私たちを知っているのか」

 それで間合いを取ったのか。日本の警察も情報収集能力はあるようだ。

「なぜこんな真似をする」

 男の声が一段低くなった。

 それに反比例して刺し貫くような視線を送ってくる。


「この地球ほしに不要な者たちだからさ」


 両手を広げ青い空へ向かって言い放った。

 男へ向き直り、閉じた左手をそっと背中に回す。

「己に力がないくせに思い上がり、自然や文化、環境を破壊するだけの者たちから地球を守るのさ。人は増え過ぎた。我々が淘汰し、支配下に置く。何も滅ぼそうなんて言うつもりはない。正しい在り方へ導くだけだ」

 これもすべて教授プロフェッサー言葉おしえだけどな。


「それならほかにやり方があるだろ」

 二度と話し出すこともない塑像の群れが私たちを取り囲んでいる。

「お前の国では大勢の人間を人ゴミと呼ぶそうじゃないか。地球にとってはまさにゴミなのさ、この者たちは」

「ゴミなんかじゃないっ! この人たちが何をしたって言うんだ!」

「そうさ、何もしなかった。誰も何もしてくれなかった!」

 男の怒りに触発され、感情が高ぶる。

「私は望んでこの力を手に入れたわけじゃない。それなのに誰もが私を遠ざけた。恐ろしい化け物を見るような目で……。父さんさえ私がいないかのようにふるまい、母さんなんてあからさまに気味悪がった。私の居場所なんてどこにもなかったんだ、教授プロフェッサーと出会うまでは!」

 男に口をはさむ隙を与えず、畳みかける。

「何もしないことは罪だ。自らルールも作れず、作ったルールさえも守れないならば、何もしていないことと同じ。だから、我々はこの力で人々を支配しこの地球を守る。そのために与えられた力なのだ」

「そんな勝手な理屈、俺は認めないっ」

「ふんっ、お前に何が分かる」

 背中に回した左手に力を込める。


「分かるさっ、俺も!」

 一瞬、虚を突かれた。


猪突猛進ショルダーチャージ!」


 いきなり男が炎を身にまとい、地面を蹴る。左肩を前に出し、低い体勢で向かってきた。

(早いっ)

 こちらの攻撃は間に合いそうもない。


永久凍土ツンドラ!」


 とっさに右へ体を開きながら左手を前に突き出し、氷壁を作る。

 炎塊は氷壁にぶつかると向きを変え、やがて男の姿へと戻った。

 それでも炎の勢いが強く、左肩にかかった金色の髪がくすぶって嫌な臭いをさせている。

 奴の攻撃を弾いた氷壁もかげろうのように蒸発していく。


 この男は普通ただの人間ではなかった。

 私たちと同じ、異能の持ち主だとは。

 互いに言葉を発しないまま、視線は相手から離さない。

(この能力なら間合いを広げた方が有利だ)

 少しずつ後ろへ下がるが、奴も前へ詰めてくる。

 微妙な間合いを保ったまま、お互いの念を溜める時間だけがじりじりと過ぎていく。


 突然、張りつめた空気を裂くようにバイクの爆音が近づいてきた。

 私の背後でタイヤをきしませながら急停車する。

「サリア、乗れ。今はこの男の相手をしている時ではない」

 この声はジョシュか。

 有無を言わさぬ口調に少しイラっとしたけれど、仕方なく駆け寄り後ろにまたがる。

「待てっ!」

 叫びながら走って追いかけてくる男へ、軽く頭を下げた。

 塑像に囲まれた奴の姿が小さくなっていく。

 あの男、進藤烈と言ったか。

 異能者でありながら人間たちの側に立つとは。

 奴とはまたすぐに会うのだろう。きっと。




― 了 ―

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