リゾートバイトで私が感情を捨てた話

風丸

リゾートバイトで私が感情を捨てた話

 大学4年生。就職先が決定し、ほぼ単位も取り終えた私はとにかく暇だった。そんな中、「学生である今しかできない経験がしたい!」と思い立ち、夏休み期間の8月――まるまる1ヶ月を使って、密かに興味のあった「リゾートバイト」を経験してきた。その時のことをここに書こうと思う。



 そもそも、リゾートバイトって何やねんという話なのだが、簡単に言うとリゾート地に住み込みでアルバイトをすることだ。その際、家賃や食費は無料のところが多く、お金もたまりやすいのがメリット。都心から地方にこのような形で出向く人は多く、仕事のない休日は自由にリゾート地を満喫……非日常生活を存分に味わうことができる。



 こう書くと、リゾートバイトって超魅力的じゃん! って感じだけど、この「リゾート」という魅惑の響きに騙されてはいけない。私が向かった先に待っていたのは、楽園とは程遠い環境だった。

 1人で違う環境に乗り込んで、誰も私を知らない場所でリゾート満喫したいという自分の好奇心を後で恨むことになろうとは……。



 リゾートバイト、私にとっては……――

 漢字1文字で感想を述べるとすると「苦」。

 漢字2文字で感想を述べるとすると「悲痛」。

 漢字3文字は飛ばして、漢字4文字だと「四苦八苦」だ。

 漢字3文字を飛ばしたのは単純に思い浮かばなかっただけである。しかし、これらの漢字の羅列からしてこの1ヶ月に私がどんな思いをしたかはご理解いただけたんじゃないかなと思う。



 私が行ったのは静岡県の伊豆にある、とある旅館。

 まず最初に、寝泊まりする寮に案内されたが、古びた扉を開けた先広がっていた――夏の温風の中に浮かぶ埃が私の視界を曇らせた。カビだらけの水道、ささくれのたくさんついたハゲちらかった畳……。異様な存在感を漂わせているのは浴室へと続くドア。恐る恐る開けてみて声が出た。



「Oh...No...MazikaYO☆」



 初日にして、「リゾート」という言葉にかけた私の夢と希望は浴槽に広がるドス黒くこびりついたカビによって打ち砕かれた。形式がユニットバスだったため、浴槽の横にはトイレがあるのだが、こちらも浴槽同様、もうなんか……ここに書くのも、適切な表現を探すのも嫌になるくらいにやばかったため、このトイレと浴槽を使うことを私は断念した。

 トイレは近所のスーパーのものを、そして風呂は近くにあった銭湯を使用することにし、もう二度と浴室に繋がるこの禁断の扉を開けまいと心に誓ったのだ。

 リゾートバイトは家賃無料なのでお金がかからないことがメリットのはずなのに、この時点で毎日の風呂代が私の給料からは差し引かれることになった。



 まぁ環境面は運が悪かった。そう腹を据え、アルバイト先である旅館に向かう。

 説明された主な業務は、食事の配膳、下膳、片付け、お客さんの接客など。飲食店で2年ほどアルバイトをしたことがある私からすれば、できない仕事内容ではない。

 ただ業務時間が朝の6:30~10:00、16:00~21:00の1日2回。間に6時間が空く。この6時間は自由に過ごしても良いのだが、また夕方に勤務があると思うと時計を気にするため心置きなく休むことはできないし、お酒も飲めない。そして朝は早いので5時半起きだった。当然夜更かしなんてできたもんじゃない。

 個人的には、変に間が空くよりはぶっ通しで働いた方が良いなと思う。



 業務は特殊なマニュアルはないものの、お皿の置き方や並べ方が徹底されており少しでも違ったやり方をすると怒られてしまう。

「いや、これこうした方が効率良くない?」と思うのだがそのやり方を実践しようものならお局から「勝手なことをするな!」と言われてしまう。

 旅館にはアルバイトのみならず社員さんもアルバイトに混じって配膳などを行なっているが、社員さんがミスをしたのでカバーしようと動くと「私の仕事をとるな!」と怒られた。



 ……は?



「効率を追求し、周りのミスは皆がカバーしていくんだ」という私の仕事感はここでは合わないんじゃないかと若干初日から感じてはいたが、日数を積み重ねるほどにそれは確信に変わっていった。

 マニュアル通りに、機械のように徹底して動くが、お客様に対する人間的なおもてなしの心は忘れないという就業環境。

「こうすれば1.5倍は早く仕事が片付くのに」と思いながら手を動かす。溜まったゴミをちりとりで取るか、掃除機で吸うかなら絶対後者が良いはずなのにあえて前者でやらなければならないのは非常にストレスだった。



 環境悪し、業務悪し……

 ここまできたらもう一緒に働く人にかけるしかない。職場での人間関係は仕事のモチベーションに大きく影響するので、ここに期待したかったが、その場を取り仕切るお局がまあ性根がねじ曲がった人で、機嫌が悪いと理不尽にも社員やアルバイトに当たり散らすような人だった。

 具体的なエピソードをあげるとすると、お局の言葉がうまく聞き取れなかったので

「すいません、もう一度おっしゃっていただけますか」と言うと、「はぁ(ため息)……あたし聞き返されるの嫌いなんだけど」と真顔で返してくる。じゃあどうすればええんや。分かったふりをしろというのか、それとも聴力をとことん追求すれば良いのか。聴力どうやって上げるんだよ、私はバンドマンだから爆音スピーカーで耳は人より弱いんだよくそう、もう、Ahhhh……。

 ……取り乱しそうになったので仕切り直す。



 こんな劣悪な環境の中。

 リゾートバイトが始まってから10日目くらいが精神状況のピークだった。頭に常に浮かぶのは「家に帰りたい」の文字。なんせ部屋にはWifiもなく通信環境も最悪だったので、ネットを使うにもロード時間がいつもの倍。必要最低限しか使わないという選択肢を取る他なく、現場には友達もいなく、知ってる人もいない。孤独が精神をじわじわと蝕んでいく感覚が分かった。

「誰も自分を知らないところに行きたい」なんて数日前の自分は浮かれていたが、やはり辛かったり苦しかったりすると、人の優しさというのは妙に恋しくなるものだ。



 私と同じタイミングで入った同い年くらいの派遣の男子は9日目にして名簿が消えていた。要はばっくれだ。彼は戦線から離脱した。このクソみたいな環境にきっと耐えられなくなったんだと思う。

 ばっくれの選択肢があるんだということを改めて知った。私はどこまで耐えられるだろうか、なんて思いながら、毎日のように「リゾートバイト ばっくれ」で検索をかけては、実際にばっくれた人の投稿記事を読んでニヤニヤしていた。

 ……お分かりいただけただろうか。ネット通信の速度がめちゃくちゃ遅い中、携帯は必要最低限しか使わない、と心に誓った私にとって必要最低限のことが「ばっくれ」について検索をかけることだったのだ。それくらいの精神状態だった。

 13日目にして検索のかけすぎでネット回線は更に低速になった。携帯はゴミと化した。部屋にはテレビが1台ポツンと置かれているだけ。この日から私の日常は寝るか、テレビを観るかの二択になった。



 正気のない目で働く。もう何を楽しみにして生きていけば良いのか分からない。1日が恐ろしく長い。時計の針は全然進まない。早く帰りたい。

 決められた業務を徹底的に機械のように行うことには慣れて来た。感情をなくしたロボットになりきった。しかしその反面、接客面で人間的な部分を取り戻すことができなくなっていた。どうしても機械的な接客になってしまうし、お局や他の社員やアルバイト対してもそれは同様だった。

 職場には接客に命をかけているアルバイターがいた。私と同じタイミングで入った人で、その人曰く「自分は接客が好き。本気で接客に向き合いたい」と話していて、その熱意が態度から滲み出ていてすごいなと思った。皆接客のバイトなんて嫌で、お金のために我慢してやってることだと思っていたから、こんな人がいるんだということに刺激を受けた。私にはここまで熱意を注ぐ気力などないから。純粋に尊敬する。

 一方で、そんな接客命な人にとっては私の感情のこもっていない接客態度は良く思われないようで、「こうした方がいい」、「ああした方がいい」と望んでもいないアドバイスの言葉が飛んでくるのでそれを右から左に受け流す。

 私と君。どちらかしか採用できないのであれば、当然接客態度が素晴らしい君が選ばれるだろう。しかし今はどうだ? 私と君は同じ時給で働いている。必要最低限のことはこなしている私。ただでさえ死にそうなのに、労力を使い、君のアドバイスに従ったところで私の給料は増えるのか? そんなことにはならないだろう。同じアルバイト同士で君は私の上司でもないのだから、頼むからもう放っておいてくれ。



 お局と口うるさいアルバイトに挟まれながらも感情を無にして働き続けた。帰りの荷物を何度もまとめたが、直前で思いとどまる日々。一応中学は運動部だったので根性は多少なりともあったのだろうと思う。

 開始から2週間を過ぎる頃、いままでの苦しさのようなものがだんだんと薄れていった。自分にとってずっと苦しいことを続けていると、それが「当たり前」になりあまり苦に感じなくなる原理があるが、その意味が改めて分かった瞬間だった。

 勤務後は極力人と関わることを避け、コンビニで缶ビールと缶チューハイを何本も購入してグデグデになるまで飲んではすぐに寝ていた私が、「誰かと飲みに行きたいな」とこの頃から思えるようになってきた。



「この後飲みに行かない?」


「え……?」



 ぽかんとした顔でバイトの子がこちらを見た。

 東京の接客の専門学校に通っていて、短期バイトという形で私より少し遅れて入ってきた人だ。年は私よりも後輩。今まで仕事以外のことで口を利くことはなかったので、驚いた表情をしていた。ツンとした態度でロボット化していた私からそんなことを言われたので尚更だろう。

 メンタル病み病みだった自分からこんな言葉が出るなんて思っておらず、我ながらに驚いたのを覚えている。



「あ、嫌なら大丈夫だよ!」


「えと……」


「付き合ってくれるなら奢るけど……。あぁ、無理しないで! 休みたいとかだったら全然言ってくれて良いから!」


「い、行きます!」



 これがきっかけでその後輩とはみるみる仲良くなっていった。業務の間、業務の後、寮に何度も遊びに来てくれるようになり、同じ専門学校に通っている友達を何人も紹介してくれた。その人たちを業務後に飲みに誘ってちょっと先輩らしいことしようとお酒を奢り、そして好感度ポイントを稼ぐ日々……。ちょっとあざとい先輩だったと思う。

 職場ではロボット対応を貫いてたから、お局には好かれることはなかった。正直嫌われていたと思う。しかし、ここに来て私にも「仲間」と呼べる存在ができたのは大きなことだった。

 一緒に働く「人」は大事だ。業務外でも交友関係が持てる人を作ることは何より大事だと学んだ。



 この時から、地獄だった日々が「楽しい」と思えるようになる。

 そんな最中、内定先の同期が客としてリゾートバイト先に会いに来てくれた。そして、私は同期が遊びにきたタイミングで休みを取って、レンタカーを使い同期たちと静岡の観光。まさにリゾートを満喫したのだ!



「どう?」


「仕事うまくやってる?」


「お局の性格やばくてハゲ散らかりそうだけど、一緒に働いてる後輩達が良い人だから、前半で抜け落ちた髪もすぐ生えてくると思う。元から髪の毛の量は多い方だし少しくらい抜けてもまぁ気にしないんだけどね」


「髪の毛のこと聞いてないんだけど」



 同期たちから残り少しだから頑張れと励まされ、ラストスパートをかけ、1ヶ月が終了した時、「やりきった感」で感無量になった。最終日に、最初に声をかけた後輩に唇を奪われるというプチハプニングもあったけれど今となっては良い思い出である。



 リゾートバイトで仲良くなった後輩たちとは、リゾートバイトが終わってからも何度か遊んだりした。今では連絡は取ってないけれど、元気だろうか。連絡先は残っているのでたまには連絡してみようかな、と書きながら思っている。



 最初は辛く、ばっくれで何度も検索をかけていた時のことを考えると、たった1ヶ月のことかもしれないけれど最後までやりきれたことは成功経験として1つ積み上げられたかなと思う。結論としては行って良かった。



 あくまで私の行ったところはこんな感じだったけれど、もっと良い環境のリゾートバイトもあるんじゃないかなと思う。



 一つの体験談として参考になれば幸いです。

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