後編



 OBから吊るし上げを食らうだけの息詰まる会議が終わった後、現役職員三名は市役所の屋上に集まり愚痴をぶつけ合っていました。

 最も本音をぶっちゃけているのは、大学を出たばかりのスズキ君です。



「だいたい花火大会なんてやってる場合なんスかね? 今の日本は。オリンピックなんかもよおすものだからすっかり皆の気持ちが緩んじゃって、東京都の感染者数が過去最大っスよ」

「あーわかるー。花火大会なんかやって東京から感染者が押し寄せたら怖いわよね」


「二人ともそれはちょっと違うんじゃないかな」



 夕焼けで染まった屋上のフェンスに寄りかかり、佐藤大介は厳かな調子で後輩二人に告げました。



「それはまだ日本におけるコロナのワクチン接種が進んでいないから、そう感じるだけ。つまりさ、現時点の感想に過ぎないだろ。ワクチンを打てば高齢者でも重症化は防げるそうだし。やがては感染を恐れる気持ちすら前時代的な価値観になるかもしれないんだぜ。結核だって江戸時代には致死性のはやり病として恐れられていたんだ」

「先輩は……ワクチン肯定こうてい派なんスね。まだ判ってないことも多いのに。副反応とか怖くないんですか?」

「職業柄多くの人と接するからな。リスクを受け入れるしかないだろう。ワクチンの接種後には……そうだな、今と変わらぬ感染予防を心掛けつつも、誰もが経済を回すことを優先するようになる。観光業や外食産業はそこに一縷いちるの望みをかけているんだ。政府も九月までには全国民の四十パーセントが接種できる環境を整えると約束した。接種済みの人間が過半数を超えればやがて社会全体の意識も変わる」

「ワクチンを打てない人は置いていかれちゃうんですか? たとえ打ちたくてもワクチン不足だって話も聞くし……やだ怖いな、どうしよう」

「金田は心配性だな。供給もいずれ需要に追いつくさ。それに君の年齢なら感染しても重症化はしないんじゃないのか? 今はただ、ご両親やお爺ちゃんお婆ちゃんにうつさないよう気を付けていればいいんだ。彼らの接種が完了するまでの辛抱だろう。俺が言いたいのは、今の状況がやがては変わっていくということだ」

「そう上手いこといきますかね……ワクチンへの不信は根深いっスよ」

「それでも現代社会を成り立たせるのに必要不可欠だからな」



 コロナウイルスのワクチンは急ピッチで開発が進められた為、良くない噂も沢山あるのです。接種後に副反応で高熱が出て(主に二回目の接種でそうなるようです)少数ですが不幸にも亡くなってしまった方もいます。人体実験の材料にされるのは嫌だと接種を拒絶する人も少なくないのです。

 コロナの脅威は人類が初めて経験する規模の感染拡大。

 未知のウイルスゆえに、この状況で何が正解だと決められる人は誰も居ないのでした。


 スズキ君が腕を組んで、どうにか困難な状況を整理しようと思慮を巡らせました。



「花火大会は十月っス、その頃には国民の過半数以上がワクチンの接種を完了していると……先輩はそう踏んでいるんですか」

「あの政府が言うことだからな……アテになるかは判らんが」

「ワクチン不足から約束を反故ほごにされるかも!」

「まさか、どっちに転んでも良いように世相の流れを読み切った上で……今から花火大会の計画を立てろって事ッスか? 無茶ですよ、予知能力者じゃあるまいし」

「酷い話だが、そうなるかな。なんせ花火大会の予算は三億を超えるそうだから。えらく高いんだよ、打ち上げ花火は。残念だが『無観客なら責められないから安心』なんて生易しい決断の許される戦いじゃないんだ。俺たちのいくさは」

「コロナだけでも頭が痛いのに、強風対策もあるんですよね? そこまでして今年の大会をやる意味ってあるんでしょうか? その三億は別の用途で使えないんですか」

「この土浦が、日本に誇れる最後のものだからな。たったのそれだけだよ、会議で委員長がキレてた理由は。三大花火大会の栄誉を諦め、いっそ辞めちまうか?」



 それは即ち、伝統が途絶えることを意味しているのです。

 余りの重責に後輩二人はうなだれて口をつぐむのでした。


 そもそも彼らが働いているこの市役所の本庁舎。

 ここがまた随分とイワクありげな建物でして。

 なんと市役所が土浦駅の西口を出て僅か五分の所にあり、外観も駅ビルにそっくりなのです。建物の外壁をよく見れば『ウララ』と謎の看板が掲げられ、一見して市役所のビルには見えません。それもそのはず、ここは元々駅前の複合施設『ウララビル』だったのですから。

 かつてはイトーヨーカドー土浦支店がウララビルのメインを任されていたのですが、売り上げ不振により撤退。

 半ば廃墟化した駅ビルを有効活用するべく後釜に収まったのがなんと市役所という凄まじい逸話いつわをもっているのです。


 なんということでしょう。ここは、駅前のビルから百貨店が撤退する街なのです。

 悲しいかな、それが土浦市の現実。やはり花火大会を切り捨てて、土浦市の未来は有り得ないのです。











 その日の晩のことです。

 佐藤が自宅のアパートに帰る時、階段の所で知人とすれ違いました。



「あれ、ミツコじゃないか。ずーいぶん久しぶりじゃねーげ、どうしたんだ急に。おなごが、夜更けにうすうすあるってんな(ほっつき歩くなよ)」

「ちょっとね。佐藤くんとはこれまで仲良くしてもらったし、ちゃんと挨拶あいさつしておこうかなって……」



 花山ミツコは地元のT大学で共に学んだ同期です。

 茶髪のボブカットでありながら黒眉は凛々りりしく弧を描き、歯に衣きせぬハツラツとした物言いで文芸サークルの姫ともてはやされた女性なのでした。

 アタシは実家のつくだ煮屋を継いでくれる男としか付き合えない、そう豪語して堂々とサークル内で男を吟味しているような性格でした。正直いえば、佐藤は当時からつくだ煮には興味が持てなかったので彼女とは一人の友達として仲良くやっていました。

 大学卒業後はたまに連絡を取り合う程度で顔を合わせることも滅多になかったのですが、そんなミツコがどうしたことか佐藤に挨拶があるというのです。

 立ち尽くす深刻そうな姿に、佐藤は何かを感じ取りました。



挨拶あいさつってなんだよ? 何かあったんけ?」

「実は……つくだ煮屋を閉めることになって」

「えっ! どうして?」

「さぁ、経営努力が足りなかったのかな。お客さんが来なければ店は潰れるものよ」

「それで、ミツコはどうするんだ」

「親戚のおじさんがウチの会社に来ないかと誘ってくれたの。そこでお世話になるつもり。東京の会社だから、私もいよいよ地元を離れて巣立つ時が来たってわけ」

「でも、その、恋人のタツヤはどうなるんだ? 長らく結婚を前提に付き合っていたんだろ?」

「知らなかった? 彼とは二年前に終わっていたの」

「そうか……お互い忙しかったからな。すまん、いらぬことを訊いた」

「別にもうスッキリよ。お互い色々と不満があったんだけどさ、二年前の花火大会でそれが爆発しちゃったのよ」

「え!!」



 佐藤が花火大会実行委員会のメンバーであることは、家族以外誰にも話していません。ミツコがそれを知っている筈がないのです。つまりは、この話が出たのはただの偶然ということになります。日常会話でひょんなことから名前が出てくる、それだけこの花火大会は地元と縁の深いものなのです。

 まさか相手が関係者だとも知らず、ミツコはせきを切ったように不満をぶちまけました。



「二年前の花火大会、事故で突然中止になったでしょ? それで土浦駅に人が殺到したもんだからさ。警察が駅を封鎖して拡声器で『近場の方は徒歩でお帰り下さい』とか訴えていたじゃない」

「……えらい騒ぎだったもんな」

「あっ、佐藤くんも行ってたんだ。酷かったよねー、アレ。おかげで私と彼は土浦駅から荒川沖駅までトボトボ歩いて帰ることになってさー。道路は大渋滞でタクシーもバスも使えないし。こちらは浴衣にツッカケなんだから歩くのも大変。とうとう途中で喧嘩になったのよ。したっけね、結局ダメんなっちった(そしたらね、結局ダメになっちゃった)私たち以外にも同じようなカップルが多数居て、今から思えば笑えてくるぐらいの光景ね」



 実は、土浦市には二つの駅があるのです。

 花火大会の会場に最寄りの土浦駅と、常磐線で一駅のぼった荒川沖駅。

 わずか一駅区間といえども、その距離は五キロ以上離れています。


 大会に慣れた地元民なら花火大会終了時には駅が混雑することは織り込み済み。メインプログラムが終了した時点で鑑賞を切り上げて帰路につくため、全ての客が駅に押し寄せることなど本来は有り得ない事態なのですが。アクシデントによってプログラムが中断した場合はその限りではないのです。

 大会当日は付近の駐車場が全て満車となるため、多くの観客が電車を交通手段に選んだのも悲劇に拍車はくしゃをかけていました。

 大会を中止にされただけでなく、深夜のロングウォークという苦行のオマケつき。それでも帰宅できた地元民はまだマシな方で、遠路はるばるやってきたお客様は泊まる場所を探す羽目におちいったのです。それでいて、桟敷席さじきせきのパスポート購入者であっても保証は一切なし。

 花火大会の評価が地に落ちたのは、このような不始末を放置した結果でした。

 当然の帰結であったのです。


 自分たちの不手際が知人を破局させてしまったと知れた以上、佐藤は頭を下げずにはいられませんでした。



「それは、すまなかった。……本当にすまなかった」

「なによ、頭を下げちゃって。別に佐藤くんのせいじゃないでしょ」

「……」



 今更、真実を告白したところで何になるのでしょう?

 佐藤は込み上げる感情をぐっとこらえて口をつぐみました。

 ミツコは佐藤の気持ちを知ってか知らずか、肩をすくめてみせました。



「もういいのよ。ご自慢の花火大会ですらこのザマなら、この街も終わり。案外、離れた方が幸せになれるかもよ」

「いいや、まだ終わらない。すぐやっから(やるから)俺がやったっけれ、ただじゃすまねど(俺がやったら、ただじゃすまさないぞ)」

「あら、そう?」

「人には寿命があるけどよ、都市にそんなものはねー。受け継ぐ人さえ居れば町は何度でも蘇る。たとえ多くの人から『遠くにありて想うもの』なんて背を向けられるだけの存在に成り果てたとしても、故郷はいつまでも此処にあり続けるんだ。きっと、そうあるべきなんだ」

「あはは、相変わらず、急に暑苦しくなるんだね。部屋のドアにウチのつくだ煮かけておいたから、早めに食べてよね」



 サラリと佐藤の発言を受け流してミツコは手を振りながら去っていきました。



 ―― ゴメンね。実は知っていたんだ。君のお母さんに聞いたから。花火大会の実行委員会をやっているんだって? だからね、二年前のあの時も見に行ったんだよ。そしたらタツヤの奴が帰り道で佐藤のことをボロクソに言うもんだからさ……頭にきて喧嘩しちゃったんだよ。


 ―― きっと上手くやれるよね? たとえ私たちが見てなかったとしても。



 胸中の想いを伏せたまま、彼女はそのまま駅へと向かうのでした。











 翌日のこと、会議が始まるや否や佐藤の挙手きょしゅによって長らく続いた停滞は破られました。

 ここから一地方公務員にすぎない男の独壇場どくだんじょうが幕を切って落とされたのです。



「今日は皆さまに大切なお願いがあって来ました。この困難な事態を打開する窮余きゅうよの一手、それに皆様のお力添えを頼みたいのです。包み隠さず申してしまえば、花火大会の開催日を一ヶ月遅らせて欲しいのです」


「な、なんだべよ、今更? あと二ヶ月しかないのに?」

「花火職人の年間スケジュールには空きなんてねーぞ。いくらなんでもよ、頭を下げられたからといって『はいそうですか』と簡単に変えられないべよ」

「警察も交通整備に相当の人員を割いているのですよ? 何故に、今から予定を変更するのです?」

「どうしてそうなっぺ? かまねから(構わないから)ワケを言ってくれよ」


「ひとえに強風対策の為です。先日、金田の口からも出たように、大会当日になっても強風がやまなかったのは、八月九月とせつっぱずれ(季節外れ)の台風が発生し、大気の状態が不安定だった為だと考えられます。温暖化によって海面の温度が上昇している昨今、このような事態が今後も繰り返される可能性は高い。気象データを参考にした所、年末が近づくにつれ大気の状態はむしろ安定しているのです。思い返して下さい。ここ数年で正月やクリスマスに雨や雪を目にした記憶はありますか?」

「確かにそうだべ……でもよ、今更日程の変更なんてすんのか、あだまいでーぞ(頭痛いな)それによ、十一月じゃもうすぐ冬だっぺよ」

「三億の予算をかけた万に一つもしくじれない大切な祭りです。万全を期すのは当然かと」

「OB会は反対すんぞ。何も十月の開催はいい加減に日にちを決めたわけじゃあんめ。歴史の所以ゆえんがあってのことだべ。君は伝統と格式を軽んじてねえか?」

「では逆にお尋ねするけどよ……皆様は伝統と地元と、どっちが大切なのですか?」

「うぬ……だっぺ」

「即答出来ぬのであれば、失礼ですが退出をお願いできますか。我々は遊びで会議をしているわけではないのです」

「コイツ……そこまで言うのかよ。命を張ってるべな、たかが天候ひとつに。面白いじゃないの。こんぐれーでちょうどいがっぺ(このぐらいで丁度よいだろう)」



 佐藤の懸命な説得の甲斐もあって、会議室の空気は少しずつ保守から改革へと傾き始めました。


 皆が何とか大会を実現しようと真剣に考え始めたのです。



「強風はそれでいいとして、コロナ対策はどうする? 桟敷席さじきせきの外の屋台通り、あのままでいいのか? 凄まじい人の密集だし、屋台の商品を食べるときは皆マスクを外すのではないのか?」

「それについても考えがあります。まず、オリンピックでも問題になった路上飲み対策として酒類の提供は全面禁止。そして『ある物』の位置を運営が決めておくことで、ある程度は人の流れをコントロールできるのではないかと考えています」

「ある物とはなんだべ? もったいぶらずに言ってくれよ」

「ゴミ箱と簡易トイレです。会場内は食事を禁止にして、会場の周辺、少し離れた所にトイレとゴミ箱を分散させるのです。出来れば屋台の配置も一か所に集めず、ゴミ箱やトイレの位置を基準として各地に分散させましょう」

「なるほど、確かに祭りの会場ではトイレとゴミ箱を探して歩き回るものだべ。会場と離れていると不便だけどよ……」

「申し訳ありませんが、安全のためです。花火を見る際、会場に入る際は、飲食禁止。感動の分かち合いはSNS等でやってもらうとして、今年からはただ寡黙かもくに花火を楽しむのです」

「成程、言わんとすることは判った。ルールの周知徹底が大変そうだし、無法者の路上飲みは防ぎきれるか怪しいものだが」


「それならば、我々警察が力になれるかと。廃棄物処理法違反は犯罪ですから」

「なんですって?」

「つまりはゴミのポイ捨てです。たかがゴミ捨てと思われるでしょうが、罰金一千万以下、もしくは懲役ちょうえき五年と結構な罰則ですよ。会場内にゴミ箱がなければ、路上飲みをしようという輩は嫌でも罪を犯すわけですから。現行犯逮捕ですね」

「おったまげた(怖っ)!」

「もちろん余程悪質な連中以外は警告で済ませますよ。国民の理解あっての警察ですからねぇ。せっかくのお祭りではないですか、楽しくやりましょう」

「はぁ、せやねーな(世話ないが転じて、手間がかからないor呆れてものがいえない)」


「でもよ、どうにか まとまってきたんと違うか」



 喧々諤々けんけんごうごう。凄まじい熱気です。

 ですが到底実現不可能に思えた土浦花火大会の開催に向けて、少しずつ重い歯車が回り始めたようです。五里霧中で先の見えぬ厄介な問題に取り組む際、やはり大切なのは誰かが音頭をとってけん引役を務めることなのです。それは独り善がりではいけません。周囲を納得させるだけの説得力と大義名分、そして何より覚悟と愛情がなければ人はついてこないのであります。


 迷いと葛藤かっとうを超えて道を指し示す者。

 それこそが真の指導者というものなのでしょう。


 現状は予断を許さない厳しさですが、熱意を抱く者たちが団結してことに挑む時、あるいは小さな奇跡が起きるのかもしれません。

 令和の時代を迎え新しく生まれ変わった土浦花火大会が皆さまにお目見えする日もそう遠くはないでしょう。


 大輪の花よ、今一度夜空を照らしたまえ。

 炎のナイアガラよ、邪気を払いたまえ。

 百連発のスターマインよ、人々の不満を吹き飛ばしたまえ。

 空のキャンバスにハートを描く仕掛け花火よ、恋人たちを祝福したまえ。


 夜に咲き、パッと散る炎の花。

 それは大勢の苦労が散華した瞬間でもあります。花火職人のみならず、裏方を含めた多数の想いが、その瞬間に報われているのです。


 日本三大花火大会の名にかけて。

 土浦花火大会はまだ終わらない。




 今年はいいやんばいだね(今年はよい天気だね)

 さぁ、土浦さいってみっか?













※ 作者からのお詫び(追記:2021年8月5日)


 この作品は現実を基にしたフィクションであり、諸設定を現実から拝借してはいますが、いくつか大きく異なる箇所があります。

 実際の所は中止となった2020年度大会の時点で既に「開催日を一ヶ月遅らせることが決まっていた」そうなのです。


 実行委員会の方々に迷惑をかけるわけにはいかず、さりとて作品は公開済みなので……このような形で「現実との相違」を触れておくことにしました。 

 あくまでフィクションとしてお楽しみ頂ければ幸いであります。


 

 

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復活の花火都市 一矢射的 @taitan2345

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