メスガキは一日にしてならず

真のメスガキは多才でなくてはならぬのか。性欲と知的好奇心に赴くまま突っ走っていただけで、本来は才女なのがたまたまメスガキだっただけなのか。
残った行為が違法(法に触れるのは大人の方である)や肉体負荷(男側からの一方的な乱暴はなかったはずである)しかないところで切り上げ、メスガキ人脈を活かし短期間で文芸才女に身を変える。宇宙一セックスが上手い人間国宝も目指さず、快楽の為に地球上の人類を搾取もせず、更なる雌道(メスみち)を昇ることなく、あえて平均的な愛を求める。別に衝動的に襲わずにいられないサガを背負ったとかではないので、末永く穏やかな愛に包まれて過ごすことだろう。
メスガキは快楽を追求したり、他者を陥れたり、そのために人生を棒に振る事、いわゆる「快楽に堕ちる」事をよしとしなかった。元来知能も理性も倫理も強い方だったのだと思われる。なので自分の中で「極めた」「飽きた」と悟ってしまえばあっさりとメスガキを捨て、堅実な人生プランに移行した。メスガキは期間限定で、大人になると名乗るのが難しくなる。それはただのアバズレビッチだからだ。メスガキはビッチにはなりたくなかった。なるにしてもビッチなだけのメスガキになる気はなかったのだ。
メスガキとビッチは異なる。人を一人殺すのと二人殺すのが罪状ではそれほど差がなくとも違うように。なるほど文学的である。