不幸な事故
森上サナオ
不幸な事故
「不幸な事故」
それは不幸な事故でした。
高速道路を走行中の大型トラックが突然蛇行しはじめ、防壁を突き破って高架から落下してしまったのです。トラックが落下したのは、高架下の空き地を利用した公園でした。
平日の午後三時。公園には、学校帰りで遊んでいた小学生の集団がいました。
公園で遊んでいた小学生15人の内、7人が死亡、5人が重軽傷を負いました。
警察は、事故原因を調査しました。
その結果、トラックの運転手は事故数分前に心臓発作で既に死亡していたという事実が明らかになりました。運転手に何らかの持病はなく、二ヶ月前の健康診断でも異常は見つかっていないことが確認されました。そして、トラックそのものにも、事故に繋がるような異常は何ら発見されませんでした。
つまり、これは不幸な事故だったのです。
事故原因がはっきりすると、警察のとある部署が事故現場に急行しました。
彼らは、緩衝材が詰まった、黒いコンテナを車から降ろし、中身を取り出しました。
一見すると、古いSF映画に出てきそうな光線銃のような見た目ですが、これはれっきとした最新機材です。
担当の警察官が事故現場に向けて光線銃を向け、引き金を引きます。
ビビビ……と、ガラスが震えるような音がして、事故現場の公園が一瞬光に包まれます。
光が消えると、公園の真ん中にゆらゆらと湯気が上がる一角が出来上がっていました。
湯気が晴れると、そこに立っていたのは、一人の男でした。
歳は40代後半ぐらい、背は低めで腹回りにでっぷりと贅肉がついていて、着込んだワイシャツがパンパンに張っていました。黒のスラックスのウエストサイズは間違いなく100を超えるでしょう。底がぺたんこになった安物の革靴を履いて、よれたネクタイを首からぶら下げています。
前髪がずいぶん後退した額に汗を浮かべ、男はトイレで用を足しているときに突然ドアを開けられたような顔で固まっています。
警察官は男に歩み寄り、こう言いました。
「《重大交通事故》第10489号、《事故存在罪》の現行犯でお前を逮捕する」
ぽかんとした顔の男を、背後から近づいてきていた警察官が取り押さえ、手早く手錠をかけました。
「え、ちょ、ちょっと、待って下さい……」
男──《重大交通事故》第10489号は、おろおろと声を上げますが、警察官は誰一人取り合ってはくれません。
第10489号がパトカーに連行される様子を、多くの人々が、取材陣が見つめていました。
「この人殺し!」「あの子を返せ!」「人でなし!」「自分が何をしたのか解ってるのか!?」「謝れ! 何だその顔は!」「地獄に落ちろ!」
様々な罵倒が10489号に浴びせかけられました。取材陣はテレビカメラを向け、フラッシュの集中砲火を放ちます。
「──今、《重大交通事故》第10489号が現場から連行されていきます」「まるで悪びれる様子もなく──」「40代後半、だらしない身体で──」「その顔は笑っているようにも見えます──」
何が何だか解らないまま、第10489号はパトカーに押し込められ、連行されていきました。
「──この十年で最悪の《事故存在犯》となった第10489号の裁判は、三日後の正午から、特別法廷で始まります。ご覧下さい、傍聴席の整理券を求めて、長蛇の列が出来ています。この事件に対する社会の関心の高さが窺い知れます」
「被告人、《重大交通事故》第10489号は、○月○日午後2時56分から同日午後3時03分にかけて、△県△市の高速道路高架において《重大交通事故として存在》した。これにより、小学生7人とトラック運転手だった×××××さんが死亡、小学生5名が重軽傷を負った。この事件が近年希に見る凶悪《事故存在罪》であることは疑いがなく、未来ある子供の命を残酷にも奪ったその罪は重い。よって、《重大交通事故》第10489号に終身刑を言い渡す。なお、執行猶予は認められない」
判決文が読み上げられると、満場の傍聴席から割れんばかりの拍手喝采が湧き起こりました。
第10489号は、この数日間着替えることも、ひげを剃ることも許されず、実に不衛生な格好のまま、落ちくぼんだ目で判決文を聞いていました。
第10489号は独房に収監されました。この刑務所は、第10489号のような《事故存在犯》を収監する特別な刑務所です。普通の刑務所とは違って、高い塀はありません。代わりに四角い角砂糖のような建物の周囲には、充分な広さの広場があります。
そこには今日も、多くの人々が集まっていました。
「第10489号を許すな!」「終身刑では生ぬるい!」「子供の命を何だと思っているんだ!」「私たちはずっと見てるぞ!」「安心して眠れると思うなよ!」「懺悔し続けろ!」
集まった人たちは、思い思いに第10489号へ怒りの言葉を投げつけます。もっとも、投げつける標的は第10489号以外にもいますが、今のところは、第10489号が「一番人気」でした。
第10489号は、人々の罵声から一番離れた部屋の角──といっても狭い独房では一畳ほどの距離でしかありませんが──で膝を抱えて瞬きもせずに視線を落としていました。
この数日というもの、第10489号はまともな睡眠すら取れていませんでした。昼間は今のようなシュプレヒコールが続き、夜はというと、強烈な光を発するライトの光が、広場から第10489号の独房目がけて照射され、目をつぶっても眩しいくらいでした。
第10489号はすっかり憔悴していました。食事はろくに喉を通らず、焦点の定まらない視線を彷徨わせて、うわごとを呟くばかりでした。
第10489号を最も苦しめたのは、その罪悪感でした。
《事故存在擬人化光線発生装置》で擬人化された第10489号には、自分の意志とは関係なく、自分が引き起こした事故への罪の意識が存在してしまうのです。
広場に集まる人々の罵声は、第10489号を正当な理由で殴り続けました。
そんな日々が、それから二週間ほど続きました。
ある晩、第10489号はいつものように部屋に差し込む強烈な光の下で、彼に与えられていた唯一の筆記用具である木炭と和紙を手に取りました。
すっかり肉の落ちた腕でなんとか文字をしたためると、第10489号は残された力を振り絞って、寝具のタオルケットを引き裂き始めました。
翌朝、看守が第10489号の独房を確認すると、第10489号は引き裂いたタオルケットを紐状に繋げて、それを鉄格子に結びつけて首を吊っていました。
首に手製のロープをくくりつけ、壁に寄りかかるように座り込んで自分の体重で首を締め上げたのです。それが出来るほどには、第10489号の体重は残っていたのでした。
第10489号の手には、手汗を吸ってボロボロになった和紙が握られていました。そこには木炭で文字のようなものが書かれていましたが、ぐちゃぐちゃで、ほとんど読み取ることは出来ませんでした。
かろうじて判読できたのは、
「りゅういん、さがりましたか、だめですかね」
の三つだけでした。
第10489号の死体を発見した看守は大慌てで警察に連絡しました。
《独房内での囚人の死亡》というこの不祥事に対して、警察は熟考の末、《事故存在擬人化光線発生装置》の使用を許可しました。
担当の警察官が第10489号の自殺現場に向けて《事故存在擬人化光線発生装置》の引き金を引きます。光が瞬き、そこに姿を現したのは、
白いワンピースを着た、黒髪の美少女でした。
日焼けなどこれまで一度も経験したことのないようなきめ細かい肌に、憂いを帯びたアーモンド型の美しい瞳、墨を流したような髪はしっとりとしていて、誰もが思わず触れてみたいと思うような美しさでした。
警察官は若干うろたえましたが、なんとか自分の仕事を成し遂げました。
「《囚人死亡事故》第381号、《事故存在罪》の現行犯で、お前を逮捕する」
《囚人死亡事故》第381号の存在は、社会を大きく揺さぶりました。というのも、
「あれはあのクソデブが勝手にやった自殺だ!」「自殺は事故じゃないだろう!」「彼女に罪はない!」「警察の横暴だ!」「事実の隠蔽だ!」「責任問題だ!」
第10489号への嫌悪からか、それとも第381号の見目麗しい外見のせいか、はたまたその両方か、世論は第381号を味方しました。
「──希に見る《事故存在罪》裁判の行方は!? 果たして第381号は本当に凶悪な《事故存在犯》なのでしょうか。警察内部での不祥事もみ消しの情報が飛び交う中、彼女の裁判が本日正午より行われます」
第381号の裁判には、第10489号のとき以上の傍聴人が押しかけました。そのほとんどが、第381号の無罪を願っていました。
被告人席で、しかし第381号は美しい顔を歪め、涙を流していました。
何故なら、《事故存在擬人化光線発生装置》で擬人化されてしまった彼女には、事故だろうと自殺だろうと、その出来事に対する罪悪感が存在してしまうのですから。
裁判は、多くの人が思ったとおりに進みました。
「警察側が提示した、情緒不安定な第10489号が暴れた結果、偶然破れたタオルケットが首に絡まって首を締め上げて死亡した、という証言は現実味を著しく欠いており、今回の不祥事を隠蔽するために警察側がでっち上げた偽証であるといわざるを得ない。よって、本件は第10489号自身による自殺と断定する」
この瞬間、第381号の無罪が確定しました。
法廷に詰めかけた傍聴人から、歓声と共に拍手喝采が第381号に送られます。
一方で第381号は下された判決に呆然としていました。
自分は第10489号を殺してしまった。彼を精神的に追い詰めて、自殺に追い込んでしまった。だというのに、この判決は何だというのでしょうか。
唇を震わせる第381号に、中年女性の裁判長が優しげに語りかけました。
「もう心配しなくて良いのですよ。あなたに罪はありません。警察があなたを擬人化してしまったことそのものが、《不幸な事故》だったのです」
笑顔を浮かべた人々が、第381号に手を差し伸べます。
「おめでとう!」「これで君は自由だ!」「よく頑張ったね!」「ようこそ!」「これからは何も気にせず、私たちと同じように生きていきましょう!」
不幸な事故 森上サナオ @morikamisanao
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