第10話、夏瓜

「 ボロが、無くなったって? 」

 ヤエが、涼子に言った。

「 ええ。 薄っすらと、跡があるくらいなんです・・・ 」

 夕食後、蚊帳の中で寝てしまった千早を見ながら、涼子は答えた。

「 水神様の、ご利益かのう・・・ 」

 ちゃぶ台を布巾で拭きながら、ヤエが言った。


 人間の体は、そのほとんどが、水である。

 病気になる根源として、摂取する水質の悪さを指摘する学者もいるほどだ。 一説によれば、綺麗な水を飲ませれば、アトピーは治るそうである。 とある皮膚科病院では、電解させた水素が多量に含まれる還元水を飲ませ、確実に、患者の皮膚病を治癒させているそうだ。


 メキシコ トラコテ村の水。

 インド ナダーナの井戸水。

 7年は腐らないと言われる、ドイツ ノルデナウ村の水。

 フランス ピレネー山脈にある、ルルド村の水・・・


 これら、世界各地に点在し、治癒不可能な病気をも治すと言う『 奇跡の水 』。

 この『 奇跡の水 』が、こうした電解還元水素水の成分と酷似しているとの説が、学会でも取り上げられ、話題にもなっている。

 多少の、プラシーボ効果( 信じ込ませ、精神的安定を図る心理療法 )も、あるかもしれない。 だが、水は生命の源である。 アトピーが押さえられた千早の背景には、これら、水を含む何らかの要因があったと考えられる。


 ・・・確かに、ここに来て以来、千早はジュースを飲んでいない。 神社の清水か、井戸水で作った麦茶だけだ。 しかも、食べ物は畑で作られたものだけである。

 元々、野菜嫌いだった千早。

 それが今は、何の障害も無く、ヤエの畑仕事を手伝う傍ら、生のまま毎日、ボリボリと夏野菜をかじっている。 食生活の改善が、まずは一番の理由と考えられるだろう。

 それと、摂取していた綺麗な自然水・・・

 千早は、1日のほとんどを、神社裏の清水涌きで過ごしていた。 もしかしたら、あの清水には『 奇跡の水 』に近い成分が含まれているのかもしれない・・・


 スヤスヤと、寝息を立てている無邪気な千早の寝顔を見ながら、涼子は言った。

「 仕事の得意先で、電解還元水素水の浄水器を販売している会社があるんです。 今度、資料を取り寄せてみます。 千早には、安全な水を飲ませてあげなくちゃ・・・! 」

 ヤエは、笑いながら言った。

「 デン・・ デンカイ・・? ナンじゃ、そら。 都会の暮らしは、難儀なモンじゃのう~ 」

 涼子は、苦笑いをしながらヤエに答えると、しみじみと言った。

「 大婆さま・・・ 私、ここにお邪魔させて頂いて、本当に良かったと思います・・・ 」

 ちゃぶ台の足をたたみながら、ヤエが応える。

「 そうかえ? そう思ってくれるんなら、ワシも、ここへ呼んだ甲斐があったと言うモンじゃ 」

「 ・・・大切な事に、気付く事が出来たんです。 親子としての、大事な・・・ 言ってみれば、当たり前の事だったんですが・・・ 」

 ヤエは涼子の横に座ると、ウチワを扇ぎながら言った。

「 最初、ここに来た時の涼子ちゃんは、死人みたいな顔をしておった。 ナニやら、悩んでおる様子じゃったなあ・・・ 」

 涼子は無言のまま、千早の寝顔を見つめた。

 しばらく何も言わず、ウチワを扇ぐ、ヤエ。


 ・・・軒下の風鈴が、暮れ行く夏空に鳴った。

 コオロギの声も、聞こえているようだ・・・


 千早の寝顔を見つめながら、そんな情景の音に、過ぎ行く夏と小さな秋を感じた涼子。

 蚊帳の垂れ具合を直しながら言った。

「 私・・ 仕事は、辞めません。 でも、それ以上に、千早と一緒にいる時間を大切にしようと思うんです 」

 何度も頷く、ヤエ。

 涼子は、ヤエの方を向き直ると続けた。

「 さっき、お電話をお借りして、会社に電話したんです。 プロジェクトの責任者を辞退しようと思って・・・ 」

 無言で、ウチワを扇ぎ続けるヤエ。

 涼子は続けた。

「 そしたら、アドバイザー的にでもいいから、関わって欲しいと言われました。 ・・意外でした。 てっきり、外されると思っていましたから 」

 ヤエが答える。

「 わしゃ、会社のコトは、よう分からんが・・・ 涼子ちゃんは、会社から期待されとるんじゃろ? だったら、デーンと構えてりゃイイんじゃ。 向こうから頼んで来るわい 」

 少し笑いながら、涼子は言った。

「 これからは・・ なるべく夕飯は、私が作れるように残業を控えます。 大婆さまにも、色々と教えてもらったし・・・ 」

「 ふぇっ、ふぇっ、ふぇっ・・! 田舎料理なんぞ、いつでも教えてやるぞい? 」

 笑いながら腰を上げたヤエは、台所の隅に置いてあった瓜を持って来ると、新聞紙を敷き、包丁でむき始めた。


 甘酸っぱい香りが、部屋中に広がる・・・


 ヤエの手元を見つめながら、涼子は、呟くように言った。

「 子育てって・・・ 子供と、同じ視線に下りて行かなければ、ダメなんですね 」

 むいた瓜を小さく切りながら、ヤエが言う。

「 一緒に、遊んでやるコトじゃ。 チーちゃんの年頃は、それでええ 」

 種を取り、切った瓜の一つを涼子に渡しながら、ヤエは続けた。

「 母親なんてモンはな・・・ 子供と一緒に、成長して行くモンじゃ。 一緒にいなけりゃ、母親も成長せんのじゃよ 」


 ・・あの少年も、そんなような事を言っていた。


 頷きながら、ヤエから渡された瓜を受け取り、口に入れる涼子。

「 美味しい・・・! 」

 ヤエは、笑いながら言った。

「 メロンより旨かろう? それと、同じじゃ。 上品な甘さじゃなく・・ 素朴な甘さの方が、子供には良いんじゃ。 のう? 涼子ちゃん 」

 自分も、一切れ食べるヤエ。

「 おおう~・・! みずみずしいのう~! 今年は天気も良い。 スイカも、よう出来とる。 ここいらの水を吸って出来たモンは、皆、旨いんじゃ。 水神様のお陰じゃのう~ 」


 ・・・みなかみと、みずわらし・・・


 ヤエの言葉に涼子は、清水で見た少年の事を、再び思い出した。

 あの少年は、本当に水神の子・・ 水童しだったのだろうか?

 今となっては、知る由も無い。


( そう・・ あの少年は、水童しだったのよ・・・! )

 涼子は、そう思う事にした。


 乾き切り、ヒビ割れていた、涼子の心・・・ それを潤す、きっかけを作ってくれた、あの清水。 そして、不思議な印象を残したまま消えた、あの少年・・・ 

 少々、気味が悪くも感じるが、涼子に、大切な事を気付かせてくれるきっかけとなった事には間違い無い。


( 水童しは、私に、忘れかけていた大切なモノを諭してくれた・・・ そして、御諸の豊かな自然は、千早の体を治し、私に、母親としての喜びをも教えてくれた・・・! )

 再び、千早の寝顔を見入る涼子。

 また風鈴が、夜風に鳴った。


 ・・・潤された心に染み入るような、山あいの、夏の夜の静かさ。

 時すらも、ゆったりと流れて行くようである。


 独り言のように、涼子は言った。

「 千早・・・ 明日は・・・ 何して、遊ぼうかしらね? 」

 千早の無邪気な寝顔に、微笑む涼子。

 寝返りを打ちながら、千早が寝言を言った。

「 ・・カナブンがいるぅ~・・・ お母さぁ~ん 」



                          〔 水童し  完 〕

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水童し 夏川 俊 @natukawa

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