55.HBD
「お前は俺の英雄なんだ。今も昔もずっと」
眠気を誘う午後の光。カーテンを揺らす柔らかな風。通りから聞こえる子供の笑い声と、林檎の皮を剥く軽やかな音。
「助けに来てくれて、嬉しかった。でも、お前の帰る場所を失わせることになってしまって、苦しかった。隣にいる強いお前が眩しくて、羨ましくて、弱い自分への恨めしさで消えてしまいたかった。でもお前といるのは楽しくて、こうしてずっと過ごせたらと願っていた。いつも感情がぐちゃぐちゃで、言葉が上手く出なかった。お前が死んだ時、一生分後悔して自分を憎んだ」
呼吸を繰り返す浅く開かれた口に、小さく削った林檎の欠片を咥えさせる。
「素直になれなくて、甘えて八つ当たって、本当に悪かった」
「許す」
大袈裟に巻かれた首の包帯。枕元に置かれた見舞いの品々。口に咥えさせられた林檎を飲み込み、ウミはそう大仰に頷いた。
死んでから二日。蘇生から一日。
長い夢を見ていたと、自室のベッドで目を覚ましたウミは話した。死んだ時のことは覚えていないと首を傾げるウミに、その方がいいと、涙で顔を腫らした仲間たちは代わる代わる頷いた。
「あいつらは?」
「今は下で爆睡してると思う。ずっと寝ずにここでかじりついてたからな」
「あァ…」
再び差し出される林檎。舌を伸ばして巻きとる。
「ウミが死んでる間、サクロさんが来た。俺を引き取るって言って」
「隙あらばだなあの野郎」
顔を顰める。
「あの人は、何が目的だ」
「さァな…」
肩を竦めたウミは、欠伸をしながら伸びをすると、シーツの中に潜り込み背をくるりと丸める。
蘇生により傷は全て治ったが、寝ている間に失った体力がなかなか戻らないらしく、ウミは目覚めてからずっと寝て起きて食べてを細々と繰り返していた。
リザードマンの体質ゆえのものだろう。寺院の人間も、リザードマンを相手にしたことはないため、予期せぬトラブルが起きる可能性があると話していた。
「とはいえ訓練で使うネズミや虫もちゃんと蘇生できているんです。リザードマンも問題ないでしょう」と、恐らくこちらを安心させるために微笑みながら話したその男は、直後にカノウに鼻面を殴られかけた。咄嗟にハレが止めなければどうなっていたか分からない。
剥いた林檎を皿に乗せ、ナイフをサイドテーブルの上へ置いたアザーは、黄金の瞳に暗い影を落とし、丸まったウミの背を見つめた。
「…また…迷宮に潜るのか」
おずおずと、口を開いた。
「確かに、冒険者として迷宮で手柄を立てるってのは…国に戻る唯一と言える手段かも知れない。お前も故郷が恋しいだろう。でも、その…俺は……」
「壁を壊してェんだ」
「は?」
ウミはごろりと寝返りをうち、アザーを振り返った。
「急に何言って」苦笑いを浮かべながらそこまで口にしたアザーは、ウミの真剣な表情に口を噤んだ。
「迷宮に潜って力をつけて、知識も得て、ついでに金と地位もぶんどって、リザードマンを縛る全てからリザードマンを解放してェ。もうガキが殺し合わなくて済むように。他種族を狩らなくても飢えないように。人間を毛嫌いしなくても済むように」
そんな言葉がウミから出てくるとは思わず、アザーは口を開いたまま弱々しく首を振った。
「…できるのか」
「わかんね」
「わかんねって…」
「だからそれをお前ェに手伝ってもらう。なんでサクロんとこには行かせられねェし、死なれても困る」
そう言うとウミは、枕の下から小瓶を取り出した。
動かすごとに、中に入っている何かが転がり、カラコロと可愛らしく音を立てる。アザーは「なんだそれ」と訝しげに首を傾げた。
「ここに神岩の欠片が二つある」
「…! なんで…!?」
「俺の死体からハレが取り出して、半分に割った」
蓋を外し、ウミは手のひらに小瓶の中身をあける。
「俺の残りの寿命を半分、分けてやる」
アザーの腕を掴み、その手を開かせるとそっと欠片を握り込ませた。
「あん時の約束は反故になった。俺も死んじまった。全部ダメになっちまった。だから、やり直すぞ。生まれ直しだ」
手のひらに転がる小指の先程の石を、アザーは陽に翳して眺めた。
白の中に、キラキラと光を反射する粒の入った石だ。ウミの未来が……命が、詰まった石。
「変にネガって断りやがっても、半殺しにして飲ませるからな」
お前の考えていることなど読めているとばかりに、ウミは眉間に皺を寄せてキツく指を指す。
アザーはぐぬぬと唇を歪ませウミを小さく睨んでいたが、やがてふっと力を抜いて笑った。
「どっちがお兄ちゃんになるんだ」
悪戯を企む子供のような表情でそう聞いた。
「そりゃもちろん…先に飲みこんだ方に決まってンだろ」
ウミは、ニヤリと笑って答えた。
「はは…ほんと馬鹿だ」
「喧しい。おら、構えろよ」
欠片を顔の前へ掲げる。そして、目を合わせると同時に飲み込んだ。
陽の光の黄色。林檎の甘酸っぱい匂い。ナイフの輝き。
「でけェ赤ん坊だな」
そして、目の前にいる男の声、顔、体温。
もう少しで、二度と会えなくなるはずだったその全てとの再会。
「……ありがとう」
ぎこちなく礼を口にしたその目から、ぽろぽろと涙が零れた。
「泣き虫め」
「生まれた時は泣いていいんだ」
涙を拭うことなく、アザーは穏やかに微笑んだ。ウミは口をへの字に曲げて暫く考えるように黙ったあと、
「確かにな」
と呟き、ガバッと勢いよくアザーに抱きついた。
その首筋に目を押し当て、背中のシャツを縋るように握りしめる。そのまま動きを止めると、湿った暖かな息を短く吐いた。
「おい! 押すな…やばい、やばいやばい!! うおああ!!」
その時、突然部屋のドアが開き、雪崩のように人が部屋に倒れ込んできた。エンショウを先頭にした、ウミ隊の面々だった。
ウミはアザーを突き飛ばすようにして離れ、顔を背けて目元を拭う。
「わ"〜〜もう、もう俺、もう、あ"〜〜!!」
エンショウはウミの顔を見た途端に滝のように涙を流しながらベッドの上に飛び乗り、ウミを抱き締めておいおいと泣き始める。
「あァーーうるせェーーー」
ウミはエンショウを片手で引き離すと、ヨミチとハナコの下敷きになって床で倒れているハレの上へと突き落とした。そして頬についたエンショウの鼻水を忌々しげに手の甲で拭う。
「体はもう大丈夫なの?」
「ウミくんちゃんと首くっついてる!?」
ハナコとヨミチの兄妹がハレの上からウミを見上げ立て続けに尋ねた。
「問題ない」
包帯をはらりと外してみせる。そこには傷一つなく綺麗に繋がった首があった。
「ウミは暫く休んででね"、迷宮はわたじだぢにまがぜで」
泣き叫びすぎたせいかガラガラの声をしたカノウがヨボヨボと近づき、ウミの手を握る。手の甲についていたエンショウの鼻水がカノウの手にもくっつき、カノウは悲鳴をあげてエンショウの服でそれを拭う。
「体には問題ねェんだ。すぐ復帰するぜ」
「ダメに決まってんだろ〜!? 俺らはさ、お前に頼りすぎてたって今回の件で学んだんだよ! 暫くは俺らに任せといてくれって」
「それで俺の体が訛っちまったら意味ねェだろ」
「というか普段の戦闘の役割分担に関してもさ、」
「いやそれよりウミくんへのお見舞いの、」
「どいて……どいて……」
「今後のお金の使い道も少し考えて、」
「私も"強くならないど、」
「ウミ〜〜〜! もう二度と死ぬなよ〜〜〜!?」
ウミが目覚めるまで我慢していた反動か、堰を切ったように次々と好き勝手話し始める一同を前に、アザーの表情が徐々に険しくなる。
やがてエンショウが再びベッドの上に飛び乗り、その鼻から垂れた鼻水が洗濯したばかりのシーツにポタタッと滴った瞬間、アザーの堪忍袋の緒は切れた。
「騒がしいぞお前ら! ウミは生き返りたてなんだ! 下行って飯でも食ってろ!」
「なんだよアザマル、早速元気になったのか?」
「うるさい! とっとと部屋から出てけ!」
アザーの手で、面々は次々と手際よく部屋から放り出されていく。
「二人もちゃんと飯食えよ〜!」
そう言い残したエンショウが足で外へ蹴り出されると同時に、扉は閉められる。
「愉快な連中だよ」
くく、とウミは喉で笑った。
「騒がしい。限度がある」
ムスッとした顔でアザーはシーツを勢いよく引き剥がした。
「ま、なんにせよとっとと復帰してやらなきゃな」
どかどかと階段を降りていく足音を聞きながらウミは腕を回した。
「俺がいねェと前衛が足りねェ。ヨミチとカノウだけだとタッパ的にも頼りねェしな」
「なぁ、ウミ。そのことなんだけど」
剥がしたシーツを抱えながらアザーは口を開いた。
「俺も、冒険者に登録しようと思う」
「俺たちと潜ンのか?」
「ああ。動ける人数は多いに越したことないだろ? 俺もリハビリはしたいし。それに……壁を壊すなんて大それたことするんだ。俺だって強くならなくちゃな」
壁に立てかけてあった剣を手に取り、軽く振りながらアザーはウミを肩越しに振り向いた。
「また、剣を教えてくれ。あの頃みたいに」
ウミは肩を竦めてニヤリと笑った。
「ま、構わねェぜ。なんてったって……俺ァお兄ちゃんだからな。弟の面倒くらい、見てやらァ」
その言葉に、アザーはピタリと動きをとめた。「はあ?」と低い声で呟き、剣を置く。
「寝言か? お兄ちゃんだからわざわざ言わなかったが、実際のところ飲み込んだのは俺の方が早かった」
くるりとウミに向き直ったアザーは更に続ける。
「そもそも、お前どれだけ俺に世話焼かれてると思ってる。お前の食ってる飯は、魔法で突然現れてるわけじゃないし、お前が汚してボロボロにする服も勝手に綺麗になってるわけじゃないんだからな」
「あァ? そういうこと言うならこの家の収入源はほとんど俺じゃねェか」
「お前が住んでるこの家は、俺が馬車屋の店主殿に譲ってもらったものだ!」
「そもそもあの馬車屋を紹介したのは俺だろうがよォ」
「…喧嘩か? 望むところだ」
「ほォーー。生まれて一発目の兄弟喧嘩かましてやっか。弟は兄に勝てねェってこと教えてやるよ」
「俺がお兄ちゃんだって言ってるだろ!」
ウミの放つ右ストレートと、アザーの放つアッパー。同時に炸裂し、二人はそれぞれ後ろに吹っ飛ぶ。すかさず立ち上がり正面から組み付いた。
体重の軽いアザーがウミに持ち上げられ、壁に叩きつけられる。すかさずアザーは床に落ちていたシーツをウミへ放り目眩しをすると、全身でタックルをかます。
そうして二人は、階下で食事を摘んでいた面々が物音に驚いて飛んでくるまでしこたまに互いを殴りあった。
カノウとハレに力づくで止められ床に正座させられた二人は、顔を腫らし血を流しながらも、なぜか満面の笑みだった。
ロストがみんなをわかつまで! 藤子 @fuji0ring0
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