第33話 『幕間 其の弐』

 あやかしが、人と手を組むことなど考えられない。ましてや妖にくみする人など、あろう筈もない。

 もとより妖は人にあだなすものであり、人もまた妖を恐れるあまり、その存在を根絶やしにしようとするからである。


 過去に妖を手懐けようと試みた者がいない訳ではない。いつの世にもそういった者は確かに現れる。

 大抵の場合、人の分際で妖を使役して事をそうとした者は、悲劇的な末路を辿ることになる。


 人為らざるものの力で人の世を支配しようとする者、あるいはその行いそのものが妖の根源でもあるからだ。

 自らを過信した人は、妖にとっては好物の餌に過ぎない。人は己たちの領分を弁えなくてはならないのだ。


 しかしながら、人でありながら絶大なる力を以て、妖どもを統べる存在があったとしたとしたらどうだろう。

 先の大戦おおいくさの折り、妖どもを率いていたのは妖でさえも恐れを為す、人だとはとても思えぬ様な、だが確かにその者は人であったという。




「とかいう話じゃが、本当のところはどうじゃったんじゃろうな」


「知るかそんなこと。っていったい何の話だよ」


「それは、ほれ、そこに積まれとる草双紙のひとつじゃよ」


「そんなもんが、何でここにあるんだよ」


「それこそ儂が知ったことか。大方、日頃この場所を使っとる連中が息抜きに読んどったんじゃろう」


「お前も物好きなやつだな。人の書いたものが面白いのか」


「何を言うとるんじゃ。儂の存在など人の思いあってこそじゃろ。人の為すことは興味深いに決まっとる」


「ふーん、そんなもんかねぇ。俺にゃ、判んねぇな」


「あの娘といい、其方といい、思いのほか儂の在り方と近いもんじゃなと感じとったんじゃが」


「森の精霊と通じてる嬢ちゃんと、俺なんかとじゃ全然違うだろ」


「確かに、そなたからはけものの臭いがぷんぷんとするのう。よく刀を振り回しとる、あの小僧ほどではないにしても」


「人のことが好きなくせに、人のことをケダモノ扱いかよ。ひでぇ話だな」


「いや、だからこそよ。人というのは獣の王ではないのか。人の姿をしとるくせに妖の臭いをさせとるやからよりは、ずっと真っ当な在り方じゃろうて」


「まあ、どっちかてぇっと、そういうことになるのか……」


「儂に言わせれば、精霊も妖も似たようなもんなんじゃが……。だが妖の臭いというのはどうにも我慢ならん。あんなものと一緒にされとうはないな」


「何だよ、この前まで自分で妖みたいなもんだとか言ってなかったか」


「うむ、そう思っとったんじゃが、この姿になってみて判ったんじゃ。儂は、やつらのように臭くはないと。寧ろ良い香りさえするのではないかと」


「うーん、そうか……。いや確かにそうだな。別に良い香りというほどのもんじゃねぇが」


「そこは、良い香りと言っておくものじゃろう。そなた、以外に朴念仁じゃのう」


「お前に朴念仁呼ばわりされるようじゃ俺もしめぇだ」


「ま、そなたが朴念仁であろうとなかろうと、そこここにる精霊など、どんなに力があろうとも、ただそこにおるだけよ。善いも悪いもなく、彼らなりに日々を真っ当しておるだけじゃよ」


「人や獣も、山も森も、またしかり……か。何の禅問答だ、これ」


「人に大切に使われたことで、この世に生まれ出た儂もまた然り。其方そなたでさえも、この広い世界の中では、その内のひとりじゃ。という話かのう」



  ○ ● ○ ● ○



 首だけの存在となった影の女は、ハンゾウが投げ放ったウツホラキリに刺し貫かれ、薄暗い森の中に転がっている。

 再び宙へと舞い上がる力は、もう残ってはいない。撃ち落とされた状態のまま、地に臥し、天を仰いでいるばかりだ。


 あの化け物じみた力を持った男に、憑代としていた宝玉を奪い取られたばかりか、蓄えた力の殆どさえも吸い取られた。


 ——悪く思うなよ。儂とて、うぬのことなど喰らいとうはないわ。


 貫き際にそう言って、あの怪し気な刀は、それを投げつけた男ともまた違った力を振るって、残っていた力の大半を喰い尽くしていった。

 ようやくのことで残った力を振り絞り、何とかあの場を脱しはしたたものの、ここ何年かに渡って人の世に張り巡らせたはかりごとの全ては水泡に帰したのだ。


 人の形を取ったことが仇となり、身体を失った今、動く術はないが、奴らがとどめを刺しにくる気配も一向にない。

 それを良いことに、再び力を蓄えようと試みてはいるが、この森は何かがおかしい。瘴気が少しも漂ってはいないのだ。


 それどころか天高く伸びている木々も、目の前に転がっている小石も、時折吹く風でさえも我が力を奪っていくように感じられる。

 人でなくても良い。せめて獣の一匹でも通り掛かってくれれば憑代よりしろとしてくれるものを、それさえも姿を見せない。


 有り得ないことだが、これではまるで己を遥かに凌ぐ力の持ち主が張った、結界の中にでも囚われているかのようではないか。

 更に有り得ないことに、口惜しさが、恨みが、そして怒りが込み上げてくる。それは、あたかもこれまで己が見下していた人と同じように。


 自ら放った瘴気を、自らに取り込む。それそのものには人のようなよこしまな感情だけが、己の中で膨らんでいくばかりで、何ら意味を為さない。

 しかし明るい日差しに満たされ始めた森の中、そのままでは朽ち果ててしまうであろう首の形を、その瘴気を取り込むことで辛うじて保つことができたのであった。




「お姉様ときたら、お戻りが遅いのでお迎えに来てみたら、こんな所で何をなさっているのですか」


 突然、影の女に覆い被さるように陽の光が遮られ、その首を巫女の格好をした少女が上から覗き込んだ。

 紅白の巫女装束を身に付け、楚々とした立ち振る舞いは、清らかな心の権化のように見えなくもない。


「それに、そのお姿。どうされました。お食事の後にしては痩せ過ぎなのではありませんか」


 影の女は、目だけを動かして巫女を見ると、見覚えのあるその姿に安堵の表情を浮かべた。


「お前か……。助かった……。一刻も早くわらわを、この薄気味の悪い場から遠ざけておくれ……」


 巫女はしゃがみ込むと、地に転がって、身動きひとつ取れない影の女の表情をそれとなく伺う。


「こんなに清々しい森の、どこが気味が悪いのですか。お姉様は下手物げてもの喰いが過ぎたのではありませんか」


「何を言っておる……。そう言えば、お前は何故動ける……。こんな忌々いまいましいところで……」


「何故って、当たり前ではありませんか。私はお姉様と違って邪な存在ではありませんもの」


「無礼であろう……。お前まで妾を邪なものと申すか……。身の程を弁えよ……」


「そんな成りになって良くおっしゃいますこと。お姉様こそ、私を出し抜いて、あちらを目指したのではないのですか」


 そう言うと巫女は影の女から視線を外し、何かに思いを巡らせるように、東の方角、即ち都の方へと顔を向けた。


「お食事に夢中になり過ぎて、ご自身がナニモノかお忘れになったようですね。せっかく私が苦労をして、海と山に使いを遣わして、あの者たちの足止めをして差し上げたのに」


「……先刻から、訳の判らぬことばかり言っておらんで、早く妾を助けよ……」


 影の女に視線を戻した巫女は、やにわにその髪を掴み上げ、顔を近づける。

 腰まである、漆黒の長い髪に彩られたその顔は、影の女と瓜二つであった。


「ええ、お救いしますとも。お姉様がこんな風になるとは……。まあ本当は、最初からこうなるのは判ってはいたのですけれど……」


 巫女は持ち上げた影の女の顔を、瞬きもせず、その無表情で冷たい光を放つ瞳でまじまじと見つめた。

 その黒い瞳は、この世の闇を集めたかのように黒々と輝き、見つめられ、見つめていると、ふいにその奥に吸い込まれそうになる錯覚さえ覚える。


「……何をするつもりだ……」


 己以上に読めない巫女の表情に、影の女さえも言い知れない不安を抱く。それは、まるで人が妖に対して抱く恐れにも似ていた。


「ご心配なさらないで、お姉様。今すぐに楽にして差し上げますわ」


 そう言うと巫女は、それまでの無表情を崩し、人が変わったかのような、優しく暖かささえも感じさせる笑みを満面に浮かべるのであった。



  ○ ● ○ ● ○



「ああ、あとな、妖どもを率いてた総大将ってのはさ」


「おお、その話か。続きでもあるのなら早く聞かせい」


「ははっ、その草双紙にすっかり嵌まったな。まぁ、俺も嫌いじゃない」


「そうじゃろ、そうじゃろ。話の続きが気になって仕方がないのじゃ」


「その総大将ってのは、力で妖どもを束ねてたって訳じゃないんだ」


「ふん、ふん。それで、それで」


「そいつは、深い愛と慈悲の心、そして途轍とてつもない癒しの力で、妖どもを蘇らせたそうだぜ」

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侍、刀、そして魂。—時代劇風冒険活劇ファンタジー/Samurai, Sword and Souls— ノラねこマジン @nora_neko_majin

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