友達少女

コカ

友達少女








 この町には、いつの頃からか一つの噂が流れていた。


 噂。――友達になってくれる少女がいる。

 その娘はどんな相談にも乗ってくれ、力を貸してくれる。しかも何の見返りも要求してはこない。

 いわゆるひとつの都市伝説である。

 当然、多くの人は荒唐無稽な与太話として一笑に付したのだが、不思議と町の人は皆、誰が決めたわけでもないのに、その娘の事をこう呼んだ。


 『友達少女』


 S市の郊外にあるその寂れた田舎町には、たくさんの空き地がある。

 もともとは何も無いのどかな土地だったのだが、バブル期に無計画な開発が乱立し、泡が弾けるやいなや蜘蛛の子を散らすように数多くの会社が撤退。結果として空き地だけが残される事となったのだ。

 その中のひとつ、この町唯一となる総合病院脇の空き地に、一人の少女が佇んでいた。年の頃は十五、六ほどだろう。整った顔立ちを型の古い黒縁メガネに隠し、黒く艶やかなおさげ髪を夕闇の中、風に揺らしていた。


 「相変わらず、暗いヤツね」


 そんな彼女へと、一人の女生徒が空き地へ来るなり声をかけた。

 その女生徒の名はA子。綺麗に染め上げた髪を柔らかく巻き、鼻筋の通った小顔には化粧もしている。身にまとう制服が少女と同じ地元公立校のものでなかったなら、歳の離れた姉くらいには見えただろう。


 「それで、こんなところに呼び出して、いったい何の用?」


 A子はその栗色の髪を指に巻きつけながら、特有の軽薄そうな視線を送る。

 しかし、少女は意に介する様子もなく手に持った文庫へと目を走らせていた。A子を呼び出したにもかかわらず、だ。風のあたらない壁際に背を預け、一度たりとも彼女の方を見ようとはしない。


 「アタシさ、これから用事があるんだけど? ……まぁ、いいけどね」


 いつまでたっても無視するかのような態度をとる少女に、A子は特に苛立ったりはしない。ほんの数日前までは毎日が不愉快でたまらなかったのだが、今は違う。

 A子はポケットから煙草の箱を取り出すと、片手でその中の一本を器用に押し出し、口にくわえて火をつけた。

 少女と同様壁を背にし、夕闇に紫煙を燻らせ、A子は先日見たとあるクラスメイトの顔を思い出す。


 (……そういえばB子の顔、傷が残るみたいね)


 ――B子。


 去年の暮れ、都会から越してきたその少女は、転校してくるやいなや学校の人気者となった。

 おっとりとした美人で人当たりも良く、成績は常に上位。誰からも一目置かれ、男子生徒の受けも良い。いわゆる高嶺の花である。

 特に、あの背中まで届く緑の黒髪は絹のように繊細で羨ましくもあり、当然、その全てをひっくるめてA子は面白くなかった。

 それまでこの学校で一番美しいと自負してきた彼女にとって、B子の転入はまさに青天の霹靂である。その存在が目の上のこぶとなるのにそう時間はかからなかった。

 煙草をはじめたのも確かそれくらいの時期だったと思う。


 当時はB子が嫌いでたまらなかった。


 今までいたA子の取り巻き達は、あのおっとりとした癒しオーラに懐柔されるし、密かに思いを寄せていた男子生徒もいつの間にやらノックアウトされていたのだ。

 それからだろうか、A子の心に黒い影が落ちたのは。それまでは唯一無二だった存在が、一瞬にして、その他大勢に転げ落ちたのだ。人一倍気位の高い彼女が耐えられようも無かった。

 あの顔も声も、仕草のひとつを取っても気に入らない。B子の存在は目障りでしかなかった。


 「でもねぇ……」


 A子は短くなった煙草を吐き捨てると、足で踏みにじる。


 「……後悔していますか? 」


 そこで、ようやく少女は口を開いた。とは言っても、まだその目は手もとの文庫へと向けられている。幾分ページをめくる手が鈍ったようにも感じられたが、今のA子には考えても詮無い事だった。

 A子は一時の間少女の顔を眺めていたが、薄暗くなった紫色の空に目を向けると僅かに鼻を鳴らす。


 「別に後悔なんてしてないわよ。少なくともアンタには感謝してる。相談に乗ってくれたし、それに……」


 それに、あんなにもささくれ立っていた心が不思議と苛立たなくなったのは、今思い出してみてもあの頃からだったようにA子には思えた。


 「……ふふ、そうよね。アンタのおかげでアタシの胸はこんなにもスッキリと晴れたんだから」


 よくよく考えてみるとそうなのだ。あのB子に降りかかった災難から数日後の、そ知らぬ顔で見舞いに行ったあの日からである。

 その日、偶然知ってしまったB子の秘密を、あの真っ白な包帯に隠された生々しい傷を見たその日からだった。

 あぁ。と、自分の中で一つの結論へと行き当たり、大げさにA子は目元を覆うよう右手を当てる。それはまるで、道化師が何かをあざ笑う仕草にも見えた。

 そして僅かな沈黙の時が流れる。


 「……でもねぇ、まさかあんなに驚くとはねぇ」


 A子は彼女の指示通り、ただ薄暗い路地裏に立っていただけ。そして、偶然一人で通りかかったB子の前に姿を見せただけなのだ。

 二、三、言葉をかけはしたが、それだけの事である。

 あとはB子の悲鳴と、遠くで聞こえるブレーキ音しかA子は知らない。その場から足早に立ち去ったのだから知りようが無いし、知ろうとも彼女は思わなかった。


 「アタシが悪いの? 」


 「さぁ? 」


 どこか興味なさげに、かつ抑揚無く言葉をこぼした少女へと、A子は視線を送る。そして、足元の鞄からあるものを緩やかに放り投げた。

 ふわりと風に乗り、薄紫色の景色に白い何かが浮かぶ。――それは、真っ白い大きな大きなマスクだった。


 「返すわ。もういらないから」


 少女は中空に手を伸ばしやわらかく受け取ると、もう片方の手に持った文庫を静かに閉じた。そして、今日はじめてA子へとその瞳を向けると、


 「B子さんの顔、もう元には戻らないみたいです」


 「……そう」


 B子の病室は、ちょうどあの辺りだろうか。A子は、隣に建つ総合病院を見上げる。


 「A子さん、今度転校されるそうですね」


 A子は二本目の煙草に火をつけながら、少しだけ笑った。


 「そうよ。内地の方へ、父親の転勤でね。……こんな事ならアンタに相談するまでも無かったかな」


 「……ですね」


 少女は鞄へと文庫を押し込むと、「それでは、私はここで」頭を下げ、踵を返す。

 そのうしろ姿を見ながら、A子は煙を吐き、少女へと軽く手を振った――と、そこで一つの疑問に行き当たった。


 A子は少女を呼び止める。


 「ねぇ、アンタ。どうしてアタシを呼び出したの? 」


 そう。ここに呼び出した理由を、少女から聞かされてかいないのだ。

 すると訝しげなA子の方へ少女は半分だけ振り返り、酷く不思議そうな顔を見せた。


 「あれ? 呼び出したのは私じゃありませんよ? 」


 少女はそう言うと、マスクをおもむろに口へと当て、どこか明後日の方を向いた。

 つられるようにその方向へA子は顔を動かし、――瞬間、額に玉のような汗がうかぶ。どういうことだ。A子の顔は自分でもわかるほどに凍りついた。


 ……空き地の入り口に、『それ』は立っていたのだ。


 「私は頼まれただけです。A子さんを呼んで欲しいって」


 太陽の沈む夕闇の中、それよりも暗い髪を風に任せてなびかせながら、『それ』はゆっくりと口元に巻いた真新しい包帯をほどいていく。


 「あ、え、あ、あ……」


 震えるA子の声だけが響く偏った静寂の中、少女は入り口へと歩を進めると、そこに佇む居てはいけない『それ』、いや『彼女』の肩へ手を置いた。

 顔半分を覆う長い長い包帯を取り終えた彼女に、僅かにお下げを揺らしながら少女は優しく問いかける。



 「ですよね? ……B子さん」



 大きなガーゼをむしり取り、B子はA子へ近づいていく。手には大振りの裁ちバサミが握られていた。


 「ち、ちが、アタシ、違うっ!! 」


 A子はろれつの回らない舌で途切れ途切れに声を上げながら、住み慣れた田舎町の見慣れた空き地に尻餅をつき、……血が凍るのを感じた。


 街灯色に、ハサミの腹が光る。


 痺れる四肢はまるで自分の手足では無いようで、イモ虫のようにただもがきながら地面を這う。だが、B子の手によって髪を捉まれその場に押しとどめられた。

 A子は抵抗し、その際栗色の髪が無残にも引きちぎられ、辺りに舞う。B子は本気だ。本気でアタシを殺そうとしている。A子の脳裏に絶望がよぎる。

 手当たり次第に石を投げ砂粒を浴びせ、A子はがむしゃらに地面を転がるように逃げた。しかし、足がもつれ、その場に倒れこんでしまう。すりむいた膝や顔に血がにじみ、ヒリヒリと痛んだ。

 ついにはものすごい力で組み伏せられ、馬乗りになったB子の手が、彼女へ裁ちばさみを突き立てた。


 「っ!! 」


 A子の掌に痛みが走る。すんでのところでB子の腕を止めるも、はさみの切っ先はすぐ顔の手前まで迫っていた。かすった掌から血が零れ落ちる。

 その赤い滴が刃先を伝い、A子の顔に落ちていく。恐怖を恐怖が覆い、そうしてようやくA子は悲鳴を上げた。


 「助けて! お願い助けてっ!! 」


 もちろん、目の前の彼女ではなく、入り口に立つあの少女へと。

 しかし、少女は口元に手を当て、一度だけ悩むようなそぶりを見せると、


 「喧嘩するほどなんとやら、ですね」


 まるで歌うように答え、鼻歌交じりでその空き地を後にした。




 ……それから先のことを少女は知らない。


 A子とB子がどうなったかなんて、少女にとってはどうでもいい事だった。ただ、少女は力を貸しただけ。A子とB子、友人である二人の相談に乗り、そのつど力になっただけである。


 少女は今日もまた、夜の街を歩く。黒縁メガネにお下げ姿で、友達を探す。

 明日は誰と出会うだろう。どんな人と仲良くなれるだろう。


 「おや?」


 ふと、細長い雲のかかるあの満月へ、少女は笑みをこぼした。


 「ふふふ、B子さんみたいですね」


 星の無い夜の空で、大きく口を裂くように月が笑っていた。










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