打ち上げ花火占い

ハルカ

花火と偶数と乙女心

「付き合わない」

 花火に彩られた吉田さんの艶やかな唇が、無慈悲な言葉を発した。

「……えっ……」

 たぶん僕は、地割れと落雷と洪水とUFOによる侵略がいっぺんに起こったみたいな顔をして立ち尽くしていた。だって仕方ないじゃない。好きな子から「付き合わない」って言われたら、そりゃ世界の終わりだよ。


 吉田さんは困ったように眉を寄せ、すらりとした指先で星空をした。

 その瞬間、まるで魔法みたいにぱっと花火が咲いて、少し遅れてドォンと重たい音がやってくる。


「付き合う」

 さくらんぼのように瑞々しい唇が、そう告げる。

「えっ」

 また花火が上がる。

 田舎の花火大会なんてたかが知れているが、それでもリズミカルに花を咲かせてゆく。そのたびに、吉田さんの可愛らしい唇がぷくぷく動く。


「付き合わない」

「えっ……」

「付き合う」

「えへ」


 吉田さんはくるりとこちらを向き、僕を睨んだ。

「気が散る黙って!」

「は、はいッ!」

 そうしている合間にも三発の花火が上がり、吉田さんは真剣な顔つきで「合わない、合う、ない」と唱える。


 その横で僕は、夜でもはっきりと白さがわかる彼女の肌や、ガラス細工のような瞳、それを飾る繊細なまつ毛、細い巻貝を思わせるすらりとした鼻筋、朱く染まったやわらかそうなほほ、丁寧に結い上げた黒髪とその上で揺れるとんぼ玉のかんざし、熱気で少し汗の滲んだうなじとおくれ毛、彼女の身を包んでいる紺色の浴衣、そこからのぞく細い手足なんかを、どきどきしながら見つめていた。


    *****


 話は三十分ほど前にさかのぼる。


 僕たちは、同じ学年の男女6人で夏祭りに来ていた。

 地元の小さな祭りだから、出店の数だってたかが知れている。だけど、この祭りの最後に催される花火大会で告白すると成功率が八割増しになるという噂が、僕の通う高校の生徒たちのあいだでまことしやかにささやかれていた。


 屋台の並ぶ通りを、僕はずっと緊張しながら歩いていた。

 隣を歩いていた吉田さんが、ふと立ち止まる。

 そして怪訝そうにあたりを見回した。


「あれ? みんなどこに行っちゃったんだろう」

 気付けば、僕たちはいつのまにか二人きりになっていた。

「は……はぐれちゃったね」

 僕の演技はあまりにも白々しいものだった。というのも、最初からこうなることは知っていたのだ。どうやら友人たちは手はず通りにうまくやってくれたようだ。


「どうしよう。みんなを探す?」

 吉田さんは、海底の光を集めて宝石にしたような瞳でじっと僕を見上げた。

 僕は穏やかに笑い――台本にはそう書いてあったはずだけど、実際にはぎこちない作り笑いをするのが精一杯で――答えた。


「でも、もうすぐ花火大会が始まるから行こう。みんなにも途中で会えるかもしれないし」

「行くってどこに?」

「こっち。いいところがあるんだ」


 先導するように、僕は人混みを進む。

 場所はあらかじめ決めてある。放課後に自転車で走り回り、おあつらえ向きのスポットを見繕っておいたのだ。


 そのとき、夜空に花火が咲いた。

 出店通りを抜けるのに少し時間がかかり過ぎてしまったらしい。あの打ち上げ花火はカウントダウンに等しい。最後の一発が消えるまでに告白しなければ、せっかくの成功率ブーストが消えてしまう。


「わあ、綺麗」

 吉田さんが立ち止まって空を見上げる。

 花火がなんだというのだ。彼女のほうがよっぽど美しい。いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。とにかく急がなくては。


「もっと落ち着いて見れるところ、あるよ」

 申し訳ないと思いつつ、吉田さんを急かす。

 ようやく夏祭り会場を出たものの、あたりにはまだたくさん人がいる。

 高校二年生の男子がこんなところで想いを伝えるにはハードルが高すぎる。


 僕らが歩いているあいだにも、空にはどんどん花火が咲いては散ってゆく。

 そろそろ目的の場所だ。


 空に、ふつりと漆黒が戻った。

 祭りのにぎわいから遠く離れ、川のせせらぎが耳に届く。

 あたり一面を田んぼに囲まれていて、カエルの声がにぎやかだ。ここなら人も少ないし、花火を遮るものもない。


 僕は足を止め、吉田さんを振り返った。

「ここでどうかな」

「……うん」


 彼女はたおやかに頷いた。まるで白いはすの花のようだ。

 そこに彼女が立っているというだけで、この夜はあまりにも妖艶な美しさに満ちていた。このまま永遠に時を止めて、この夜を独り占めしたい。

 心の底からそう思った。


 そのとき、また夜空に花火が咲き始めた。

 もうずいぶん時間が経ってしまった。早く言わないと、勝率ブーストの魔法が解けてしまう。ドォン、ドォンと鳴り響く花火の音で、心臓の鼓動がめちゃくちゃになっている気がした。

 こぶしを握りしめ、気持ちを落ち着けるために深く息を吸い込む。


「あの、吉田さん!」


 緊張のあまり、自分でも驚くような大声が出てしまった。

 吉田さんも目を丸くしている。周りに人がいなくて本当によかった。


「うん。どうしたの?」

「好きです! 僕と付き合ってください!」


 台本には「爽やかに演じろ」と書かれていたはずだった。

 でもやっぱり、好きな子を前にしてそんなことができるほど僕は器用に生まれてこなかった。


「……ごめんなさい」

 吉田さんがうつむく。


 よし、ここですかさずプランB。凹んでいる時間はない。

 シンデレラの王子だって、一度はシンデレラに逃げられたじゃないか。ここで諦めてはいけない。勝率ブーストを信じろ!


「……いや、こっちこそ突然ごめん。でも、もしよかったらダメな理由を聞いてもいいかな」

 吉田さんはためらいがちに答えた。

「……私、前の彼氏と別れたばっかりだから」

「それって……僕のことが嫌い、とかではない?」

「ううん。そんなことないよ」


 空に次々と鮮やかな花が咲いてゆく。

 彼女の誠実さと、嫌われていないという事実が、僕の胸を満たした。

 ここから先は完全アドリブだが、引くわけにはいかない。

 僕は深く頭を下げ、手を差し出した。


「僕はこの夏休み、吉田さんとの思い出が欲しい! お願いします!」


 ドォン、ドォンと花火の音が響く。

 それに負けじと、カエルの鳴き声もいっそうにぎやかになる。ラブロマンスのBGMにしては少々渋すぎるのかもしれない。

 だけど、僕は真剣そのものだった。


「……じゃあ、『打ち上げ花火占い』する」

 吉田さんの声に、僕は顔を上げた。


「打ち上げ花火占い?」

 初めて聞く言葉だ。

「『花占い』は知ってるよね? 花びらを一枚ずつ千切って、好き、嫌い、好き、嫌い、ってやるやつ」

「うん」

「それの花火版」

「うーん?」


 やっぱりよくわからない。

 そのとき、またふつりと花火が止まった。

 吉田さんははっと息を呑み、花火の残した煙が風に流されていく様子をじっと見守っていた。


 そして次の花火が上がったとき、彼女はその艶やかな唇で「付き合わない」と無慈悲な言葉を発したのだった。


    *****


 結果から言うと、打ち上げ花火占いは惨敗だった。


 花火が咲くたびに吉田さんは「付き合わない、付き合う」と繰り返していたが、最後の最後で数えきれないほどたくさんの花火が一気に打ち上がったのだ。夜空に無数の光がまたたき、バラバラとゲリラ豪雨のような音が響く。

 吉田さんはそれをぽかんと見上げていた。僕もたぶん、同じ顔をしていたと思う。


「あ、えっと……わからなくなっちゃった……ね?」


 雰囲気をなごませようと思って、僕はへらへら笑ってみせた。

 でも、吉田さんは口をぎゅっと結んだまま、目も合わせてくれない。

 夏祭りの終了を告げる放送が、会場のほうから聞こえてくる。


「会場に戻ろう」

 そう言って僕は歩き出した。

 ああ、泣きそうだ。まわりに人がいなくて本当によかった。

「……うん」

 吉田さんは小さく頷き、黙って僕の少しうしろをついてくる。


 そのあとのことは、よく覚えていない。

 友人たちと決めていた場所で僕らは落ち合い、みんなの顔も見ずに「用事があるから帰る」と告げた。友達はかわるがわる僕の肩を叩き、「おつかれ」とねぎらってくれた。いい奴らなんだ。きっと吉田さんのことも家まで送り届けてくれる。


 家路につく人波に紛れ、僕はふらふらと夜道を帰った。

 ただひたすらに悲しくて、街灯の光を浴びた涙が地面を濡らしていった。


    *****


 自室のふすまを開けると、ひとつ年下の妹が僕の布団の上に寝っ転がって漫画を読んでいた。


「おや、おかえりぃ」

「……ただいま」


 目元を拭うと、妹はケラケラ笑った。

「なんだそのツラ。ブーが余計ブーになるぞ」

 ブーというのは、妹限定の僕のあだ名だ。

 名前が「まなぶ」だからブー。ひどいものだ。こいつの感性はどうかしている。


「自分の部屋に戻れよ」

 しっしと追い払う仕草をするが、妹はどこ吹く風だ。

「ははぁん。さては女子に告白でもしてフラれたな?」

 なるほど、妹はなんでもお見通しらしい。このまま簀巻すまきにしてトラクターで運んで、しろかき直後の田んぼに放り込んでやろうか。


「だって、打ち上げ花火占いが……」

 言い訳がましくぼそぼそと呟くと、妹は首を傾げた。

「なにその打ち上げ花火占いって。乙女か?」

 いちいち一言多い。

 それに、こいつだって高校一年生の乙女なのだ、一応は。上下スウェットで兄の布団に寝っ転がって少年漫画を読むようなやつだけど。


 仕方なく、僕は事情を説明する。

 最初は怪訝な顔をしていた妹も、話を最後まで聞くうちにだんだん呆れ顔になってきた。

 そしてよいせと起き上がり、布団の上にあぐらをかく。


「よしよし。不肖な兄のために、私の名推理で解決してしんぜよう」

「え、どうするんだ?」

「まあいいから聞きなさい。ブーさんや。その女子は浴衣を着てたかね?」

 唐突に尋ねられ、僕はわけもわからず答える。

「着てた……めっちゃ可愛かった!」

「感想はいらん。なるほど浴衣を着てた。で、二人きりになった?」

「うん。友達に頼んではぐれてもらった」

「相変わらず手のかかるブーだな。お相手の女子は、友達と連絡を取ったり探したりはしなかったんだ?」

「うん、でも花火の時間が迫ってたし」

「二人きりになって、告る、花火占いの流れか。茶番もいいとこだね」

「な、なんだよ茶番って」


 うろたえる僕に、妹はさも面倒くさそうに答えた。

「あのねブー。どうでもいい奴と夏祭りに行くのに、わざわざ浴衣なんて着るかよ。ゆえに脈あり。ハイ解決。いやー難事件でしたわー」

 一気にそう言い放ち、妹はまた布団の上にごろりと転がる。それ、僕の布団なんですけど。

「だ、だって彼女、占いを『付き合わない』から始めたんだよ!? それって付き合いたくないってことじゃない? 脈なんて……」

 僕が泣き言を並べると、呆れ顔だった妹の表情が、今度はどんどん無表情になっていった。やめてよ、ねぇちょっと怖いんだけど。


「ブー、そこのチラシ取って」

 そう言って妹は机の上を指さした。そこには僕が置きっぱなしにしていた夏祭りのチラシがある。

「これ?」

 仕方なく手渡すと、妹はチラシを眺めて「ふーん」と呟いた。


「占いは途中から始めた? それとも最初から最後までずっと?」

 そう問われ、よく思い出してみる。

 吉田さんが花火占いを始めたのは、二度目の区切りの直後からだ。そう伝えると、妹は僕の足をしたたかに蹴った。


「とりゃあっ」

「痛いぃ!」

 思わず悲鳴を上げ、うずくまる。

「あっきれた! どこまで馬鹿なんだブー」

「そのブーってのやめなさい、なんか変な語尾つけて喋ってるみたいに……痛い! 痛いって! 蹴らないで! やめてくださいお願いします!」


 涙目で訴える僕に、妹はチラシを突きつけた。

「よく見ろ! 目玉が飛び出るまで見ろホレ!」


 そこには花火大会のプログラムが書かれていた。

 第一部300発。第二部300発。第三部400発。ショボいとは思ったけど、ここまでとは。最後にせめてもの見栄で100発くらいを一気に打ち上げたということだろうな。

 彼女が花火占いを始めたのは第三部の頭からだ。


「最後に花火がいっぱい上がって、わかんなくなったんだ……それでうやむやになって……」

 そう言いかけた僕の頬を、妹が馬鹿力でつねり上げた。

「痛い痛い痛いやめてぇ! 顔の形が変わるぅ!」

「ブーあのね。花火の数は偶数。そしておそらく彼女はそれを知っていた。だから。おわかり?」

「えっ……」


 傷む頬をさすりながら、僕はその言葉を反芻はんすうする。

 花火が偶数なら。「付き合わない」で始めた花火占いの結果は……。


「あっ!」


 僕は家を飛び出した。

 もう一度、吉田さんと会うために。

 この夏の夜を、うやむやのまま終わらせないために。

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