ワクチン接種に思い悩む女子高生の話

マーチン

ワクチンのリスクの範囲

 今日は休日。わたし、森田もりた真実まみは、学食で一緒に働く”自称”桃山ももやま理緒りお先輩の部屋に上がりこんでくつろいでいた。”自称”というのは、先輩はこう名乗っているけど、生徒名簿にそんな生徒はおらず、わたしはこの偽名ペンネームしか知らないからだ。


 マリー先輩(『ももやまり・・お』から取った)は高校三年生。普段から意地悪ばかりしてくる先輩の受験勉強を邪魔して、心ばかりの仕返しをしてやろうという魂胆だ。


 仕返しと言ってもガチの邪魔じゃなくて、マリー先輩のベッドに腰かけて雑誌を読んだりスマホを弄ったり、時々参考書や教科書をパラパラしたりくらい。自分のパーソナルスペースに他人が居ると思うと気になっちゃうでしょ? そんな程度のかわいい仕返し。


 意地悪は意地悪だけど、マリー先輩なりの愛情表現だってわたしは分かってるからね。あ、愛情と言ってもラブがコメする感じのじゃなくて、友達への親愛とか、そんな感じ。たぶん。少なくともわたしはそう思ってる。


 ふと机に向かうマリー先輩を見やると、うーん、と伸びをして、簡単に後ろに結んだだけの、背中まで伸びた黒髪を翻してこちらに向き直った。相変わらずの糸目で表情が読めないけど、きっと機嫌は悪くない。


「いやあ、タマちゃんが居てくれてると捗るなあ。人に監視されてる思うとサボれんしなあ」


 タマちゃんというのはわたしのことだ。『もりたま・・み』から取ってタマちゃん。なんだかネコのペットっぽくてわたし自身はしっくり来ないんだけど、嫌ではないし、マリー先輩は何故か気に入ってるから、このまま呼んでもらっている。


「そう言われると邪魔しに来た甲斐かいがありませんね」


「そんなこと言うて、ホンマはウチに会いたかったんやろ? ん? 正直に言ってええんやで?」


 そんな訳ないでしょ。ただ、今日は予定も無くて、一人で部屋に居てもつまらなくて、手持ち無沙汰で、マリー先輩の顔が浮かんで、ただ、それだけなんですけど……。


 でも、わたしは何故かそれをそのまま言う気にはなれず、目を逸らして口を口をつぐんでしまった。


「ま、ええわ。キリもええし休憩きゅうけい。タマちゃん、なんか面白い話してくれへん?」


「なんですかその彼女が彼氏にするみたいな無茶振りは。うーん、そうだなあ」


 わたしは顎に手を当てて虚空、いや、マリー先輩の部屋の天井を眺めて少し考える。面白い話、マリー先輩の好きそうな噺……。そろそろ落研おちけんの子にでも教えてもらってレパートリーを増やそうかな。でも、今には当然ながら間に合わないし……


「ふふ、無茶振りだって文句言うてもちゃんと考えてくれるタマちゃんのその姿勢、ウチは好きやで」


「ひょっとして、そうやってわたしの困る姿を見たくて意地悪してるんじゃないでしょうね」


「あ、バレた?」


「むう」


 まったく、この先輩は。わたしのように慈愛に満ちた人格者以外にはそういうことやめてくださいよ。


「大丈夫やで。ちゃんと相手を見てやっとるからな」


「心を読まれた!?」


「何のことや? ほら、そんなことよりも面白い話」


 マリー先輩の口がニンマリと悪そうに歪む。これ以上わたしの困り顔を披露するのもしゃくだし、待たせるのも悪いし、あー、もう、これで良いか。


「あんまり面白くないかもですけど、」


「ん、ええで。タマちゃんの話は何だってオモロイからな」


 それ、わたしが面白がらせてるんじゃなくて、わたしを面白がってるだけですよね……。


「さっき、ニュースサイトを見てたんですけど、最近、ワクチン接種が大規模に行われてるらしいじゃないですか」


「せやなあ。ワクチン。なんかワクワクする響きよなあ、ワクチンて。ワクチン、ワクチン、ワクワク、ワクワクチンch」


「それ以上はダメです! てか高三女子が何言おうとしてるんですか! 小学生男子ですか!?」


「心はいつまでも若々しくありたいもんやからなあ」


「幼すぎです!」


 何だか楽しそうな顔をしてるのが憎めないけど、何かムカつく。まったく、この人は初っ端から話の腰を複雑骨折させにくるんだから……。


「ワクチン接種って、わたしたち若い世代でもした方が良いんですかね」


「どやろなあ。タマちゃんは受けとうないんか?」


「正直、迷ってます。決め手が無いというか。若いとウイルスに感染しても、重症化率や死亡率は高くないって聞きますし、逆に副反応は出るとか、そういう話もありますし」


「せやなあ。マイクロチップが埋め込まれて5G接続されて行動や思考を監視される、みたいな話もあるしなあ」


「え!」


 思わず驚きの声を上げてしまった。だって、全然そうは見えない癖に本当はとても聡いマリー先輩から、そんな話が出てくるなんて。しかも真顔で。


「マリー先輩、まさかそんなデマみたいな話、本気で信じてるんですか?」


 マリー先輩はしばらく間を置いて、いつもの緩んだ表情になり。


「まあ、伊藤計劃いとうけいかくのSF小説『ハーモニー』みたいな世界観で夢があるわな」


「ハーモニー……?」


「人々の身体の中にナノマシンが埋め込まれて健康状態が常に監視されるようになった、究極のディストピア物や。興味があったら、タマちゃんのそのかわいらしいお手てに取ってみてな。ダイレクトマーケティングってやつや」


 「ま、それはそれとして」とマリー先輩は緩んだ表情のまま続ける。


「嘘とも本当とも、ウチの手元の情報では断言はできんわ。今の科学技術だと恐らくできないやろうとか、電源があらへんとか、動機が想像つかんとか、色々否定に足る『思い込み』はいくつも挙げられるけどな。こんなバカらしい話でも、自分の常識の範囲内で決めつけするのは危険やと思うわ」


 うーん、そういうものかなあ。流石に5G接続はデマだと思うんだけど。てか、そんな超科学があるなら、むしろ接続されてみたくすらあるなあ。


「タマちゃんがしたかったのは5G接続の話なんか?」


「いやいや、そんな訳ないじゃないですか!」


 わたしは慌てて否定してしまった。マリー先輩の『面白い話して』を適当にいなすだけなら、ここで終わらせるのも一つの手だったのかもだけど、口が先に動いてしまった今となっては後の祭りだ。


「ワクチンって、長期的な副反応はまだデータが出ていないじゃないですか。短期的な、打った直ぐ後の腕が想いとか、少し熱が出るとかは、とりあえずは良いとして。高齢者は打つメリットの方が打たないデメリットよりも大きいというのは分かります。ウイルス感染したときの重症化リスクは大きいですし、言い方悪いですけど、ワクチンに数年後、十数年後出るような長期的な副反応が仮にあったとして、若い世代に比べたらそのリスクは割り引いて考えることができますよね。でも、若い世代はそうではありません」


 思わず興奮気味に早口になってしまった。ちょっと恥ずかしいけど、先輩はうんうん、と頷いて微笑んでくれている。よかった、変じゃなかったみたいだ。


「なるほどなあ。確かに、タマちゃんの言うことは間違っとらんと思うで。ウチらは20年後はほぼ確実に生きて現役世代を張らなあかんけど、高齢者さんは、残念ながらその割合は少ないやろうからな。幸いmRNAワクチン自体は20年前からヒトに打たれてるし、今回のウイルス対策に採用されたのを見ると、危険性は大きくないのかもしれんな。もちろんウイルスや製造会社は違って、その辺りはリスクや。タマちゃんは、その長期的な副反応が怖いんか?」


「もちろん、そうですけど、それ以上に怖いのが……」


「怖いのが?」


「例えば、わたしが副反応が怖いから、ウイルスにかかっても重症化しにくくて、むしろワクチンを打つ方がリスクが高いと判断して、打たないことを選択したとするじゃないですか」


「うん。それも一つの答えやと思うで」


「マリー先輩はそうやって、わたしの判断を尊重してくれますけど」


「そう良い人っぽく言われると、背中がムズ痒くなってくるな」


 マリー先輩がほほを軽く掻く。珍しく照れているみたいで、なんだかかわいく思えてくる。しかし、今はそこを弄るよりも話を進めることを優先しよう。


「でも他のみんなや、世間はどうでしょうか。」


「と、言うと?」


「みんなが打ってるのにお前だけ打たないとは何様だ、とか、この先ワクチンを打っていない人お断り、とか、出てきそうで。修学旅行も行かせてもらえないかも」


「同調圧力やワクチンパスポートか」


「そういうのって、あってはいけないと思うんですよね。自分の健康を考えたら打ちたくないのに、周りからその判断を否定されて、迫害されているみたいで」


「せやなあ」


 マリー先輩はおでこを左手の人差し指で何度かチョンチョンとする。何かを考えているときの仕草だ(とわたしは思ってる)。


「ウチは、それも含めて打たないリスクを評価すべきやと思うで。ウイルスに感染することだけやなくな」


 予想外……でもないか。この人はそういう人だった。その場しのぎの偽物の共感や同意はしてくれない、厳しくて強い人。


「ウチらはな、社会が高度に発展し過ぎてるから時々忘れてまうけど、動物なんや。生き物なんや。いくら御上おかみ論客ロジカリストが『あってはならない』と呼びかけても、罰則を設けて実際に見せしめで処罰しても、同調圧力みたいな本能に根差した行動に抗うのには限界があると思うで。残念ながらな」


「そう、かもしれませんね……」


「それと、ワクチンパスポートのことを、ワクチンを打つことで特権を得る、みたいに思っとるのかもしれんけど、それは勘違いやと思うで。ワクチンを打っていない状態でそこに入ったら危険や、ちゅう警告や。特権階級が優越感を得るために締め出しとるんやなくて、むしろ守ってくれとるんや」


「言われてみると、そうとも取れますね。ビザ申請のときにワクチン接種してるか問われるのと同じようなものですね」


「せや。だから、ワクチンを打たなかったことにより起こるかもしれない、人間的な不都合も含めて、打った時と打たなかった時、それぞれのメリットとリスクを評価して、決断することが大切やと思うで」


 たしかにマリー先輩の言う通りかもしれない。このまま待っててもメディアが不安を煽る以外には新しい情報のアップデートも無さそうだし。結局今ある情報で決断するしかないのか。


 先輩は再びうーん、と伸びをして、机に向かった。


「中々面白い話やったで。さすがはタマちゃんや」


「マリー先輩っ」


 マリー先輩がシャーペンを持って勉強に戻ろうとしたところ、集中する前にこれだけは聞いておかなくては。


「先輩はワクチン打つんですか?」


 先輩はシャーペンで顎をトントンして、口角をニィッと釣り上げて。


「どやろなあ。5G接続言うても、この辺りが対応するのはまだまだ先やろしなあ」


 まったく、この人は!

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