著者コラム「偽預言者」

 今日、キリスト教の教派は、プロテスタントだけで二万を超えている。キリスト教の聖書や伝統を元に、「再臨したキリスト」を含めれば、何とその数の多い事であろうか。キリスト教教派擬人化BLを書いている身としては、登場人物が増えるのは善い事だが、やはり複雑な物思いである。

 「正しいキリスト教」「唯一の宗教」「神に是認された組織」。科学的思考こそ文化的であると信じる現代の人々にとって、全ての問いに応える事のできるこれらの謳い文句は非常に魅力的だ。そして彼等は、既存のキリスト教諸々を、聖書の中でイエスが言っている「偽預言者」だと言う。

 「偽預言者」とは、この世の終わりが近づいた時、人々に最後の誘惑をかける悪魔のしもべのことである。聖書に曰く、彼等は羊の皮を被った狼で、善良な神の民を救いから零すために現れる。だから彼等は、偽預言者を見つけ出すことに必死で、彼等の誘惑や友愛を退け、信仰の自己研鑽に励むのだ。

 しかし、偽預言者は何も、ここ数百年の話ではない。国家転覆罪という罪状で、イエスが十字架刑で死んだ後、復活云々は別にして、彼の弟子たちは多くの言語を話し、キリストの教えを述べ伝えた。それは現代的に言えば、テロリストの死刑に目を覚まさなかった彼の弟子たちが、圧倒的なカリスマ性を持って反社会的・反倫理的な教えを流布し、人々を当時の社会から離反させた、と言った所である。多くの人々は、イエスが神の贖いの為に死んだという、我々信者の言い分のためにイエスは十字架にかかったと思っているようだが、それは間違いである。倫理を産みだし、規定するものが権力であるのならば、イエスは間違いなく、当時の倫理に刃向い、民衆を扇動した圧倒的なカリスマを持った「テロリスト」であり、弟子達もまた、「テロリズムを流布する者」たちだった。しかし彼等の新しい倫理が、結局のところ指導者たちの圧政を退ける為の原動力となり、今日の文化的で文明的な世界の足掛かりになった事は、言うまでもない歴史の事実である。

 弟子達を捕えようとした当時の政治的役割を持つ宗教的指導者、俗にパリサイ人や律法学者と言った者達は、彼等を「偽預言者」として裁くために、ありとあらゆる策を講じた。その中に、純粋な宗教家であるラバンと呼ばれる教師に演説させた箇所がある。彼等は「人から出たものであれば滅び、神から出たものであれば栄える。滅ぼされる事のないように、彼等(弟子)は放っておけ」と民衆に呼びかけた。当代を生きるラバン達には、墓から死体が無くなった意味も、その後非現実的な能力と行動力を得た弟子たちが、「偽預言者」なのかも、分からなかったのである。何故なら彼等は人間であり、神の視点を持たず、未来に彼等の教えが残っているのか、判断できなかったからである。

 それを悲観的に思い、同じように現代に生きる我々が、一切の思想や宗教を拒絶すべきかと言えば、そうではない。聖書曰く、「彼等の結ぶ実を見よ」とある。つまり、彼等の行いの結果、善い事があればそれは神から出たもので、そうでなければ悪魔から出たものであるというのだ。

 しかしそんな事を言われたって、その「実」の善悪というものは、国や時代、地域によって大きく変わるのだ。その「実」が、未来にどうなるのか、短命なる人間である私たちには推し量る事は出来ない。少なくともその実が自分にとって有害か無害か、その程度のことしか分からないのである。

 キリスト教的な立場で言えば、どちらの実を選んでも問題はない。何故ならその実が仮に悪いものだったとしても、それを悪と知りながら選ぶと言う罪は、イエスの十字架によって贖われ、我々は地獄には行かないからである。無論これは私論であり、大いに反論してくれて構わない。

 そのような人々にこそ、「もう一人の男」は、神を「選ばなかった」人々の救いを提示するであろう。

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オレアに願いを~もう一人の男外伝 PAULA0125 @paula0125

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