最終話 紅月
静かな港には、お兄ちゃんが肉を喰べる咀嚼音が響いている。
満月に照らされながら、人間ではなくなってしまったお兄ちゃんの喰事は獣そのものだった。
『こちら花蓮、異曝者を捕捉。いつでも撃てます』
「『こちらアルバート、合図したら撃て』」
『了解』
私たちの配置は高所に花蓮とレイナ。
コンテナ裏に私とアルバート、健人がそれぞれ待機。
「『こちらアルバート、プラン通りに行く。準備はいいか?健人、カナデちゃん』」
「『準備完了』」
「『準備完了です』」
スタングレネードを握りしめて、私はアルバートの合図を待った。
お兄ちゃんを、私は今から殺そうとしているのだ。
怖い。
たとえもう私を奏と呼んでくれないと知っていても、それでも怖い。
ゾンビを撃つのとは違う。
人を撃つのとも違う。
お兄ちゃんを撃つんだ。
アルバートの合図で花蓮がお兄ちゃんを撃った。
その瞬間にアルバート、健人、私の3人は同時にスタングレネードを投げ込んでいた。
お兄ちゃんの呻き声を、光が飲み込んでいった。
「『かかれ』」
前衛3人はお兄ちゃんに向かって真っ直ぐ走る。
花蓮の射線に入らないように気を付けながら私も拳銃を引き抜いて射撃した。
「!」
お兄ちゃんは眼と耳から血を垂れ流しながらも向かってくる私たちに反応した。
花蓮の撃ったライフルで左肩に穴が空いていた。
すかさず4発をお兄ちゃんに撃ち込むもまだ立っている。
けれど片脚の崩壊が激しくて踏ん張りが利かないようだ。
アルバートと健人が視界の隅に入って、私は拳銃からナイフに持ち替えた。
腕をデタラメに振り回してアルバートを攻撃するがそれでもスレスレで避けて拳をお腹にめり込ませた。
続いて健人もお兄ちゃんのぷらぷらした左腕を蹴り飛ばして千切れた。
「『気を抜くな』」
お兄ちゃんはまだ生きている。
私たちを殺そうと睨みつけている。
むき出しの殺気。
理性を失い、化け物として私たちを殺そうとしている。
踏み込んだ健人がお兄ちゃんの蹴りをくらって吹き飛ばされてコンテナにぶつかった。
アルバートが悪態をつきながらも接近。
私も同時に踏み込んで逆手に持ったナイフに斬り込んだ。
体制を保てなくなったお兄ちゃんの隙をついて私はお兄ちゃんの脇腹をナイフで抉った。
怯んだお兄ちゃんをアルバートは残っていた右腕をへし折って捻り切った。
両腕を失い、片足にはもう力が入らなくなって片膝を付くお兄ちゃん。
再生能力を失ったのか、血を垂れ流しながら唸っている。
アルバートは拳銃で残っているお兄ちゃんの足を数発撃ち、お兄ちゃんは両膝を地面についた。
「……カナデちゃん」
アルバートは私の名前を呼んで、そして拳銃を収めた。
動けないお兄ちゃんを前に、私も膝をついて目線を合わせた。
体は穴だらけで、お肌は爛れて血がべっとりとついていた。
耳も千切れていて、鎖骨はむき出し。
「……お兄ちゃん」
私が呼び掛けても、お兄ちゃんはひたすらに唸っている。
「お兄ちゃん」
もう一度、呼び掛けてみた。
そしたら今度は私に向かってお兄ちゃんは吠えた。
「お兄ちゃん」
私はお兄ちゃんを抱きしめた。
一緒に死のうよ。
「っん!!」
お兄ちゃんは私の左の首筋に噛み付いて、私を喰べ始めた。
「カナデちゃん?!」
それでも私はお兄ちゃんを精一杯抱き締めた。
お兄ちゃんの咀嚼音が、耳元で響いた。
「お兄、ちゃん……痛いよ……」
私は左腕で腰から拳銃を引き抜いた。
「……向こうに行ったら、お父さんと、お母さんに謝ろう、ね?」
お父さんが使っていた拳銃。
私のより少し大きくて、反動も大きい。
この銃でも、この距離なら当てられる。
『ダメよ奏ちゃん!』
『カナデッ!』
「奏!」
「カナデちゃん!」
私はお兄ちゃんを挟んで頭に拳銃を突き付けた。
お父さんの銃なら、お兄ちゃんも私も死ねる。
「『ごめんね』」
静かな港に、最後の銃声が響いた。
☆☆☆
お父さんとお母さんとお兄ちゃんが、リビングで楽しそうにご飯を食べながらお喋りしてた。
本当に楽しそうだ。
私も混ざろうと思ったのに、なぜかお兄ちゃんたちの所に行けない。
どうして……
私もそっちに……
ねぇ……私も入れてよ……
どれだけ叫んでも、お兄ちゃんたちは私に気づいてくれない。
声が枯れても、暴れても、手を振っても。
私を置いて楽しそうに喋らないでよ……
「独りに、しないでよ……」
泣き崩れて叫ぶと、みんなは私を向いてくれた。
「……お父さん、お母さん……お兄ちゃん……」
お兄ちゃんは首を横に振って、そして手を振った。
「……なんで?私も一緒に……」
なんで、笑顔で手を振るの?
私もそっちに逝きたいよ……
そうしてみんなは、霧になって消えた。
☆☆☆
泣き疲れて目が覚めた。
左眼が見えなくて、身体はだるかった。
長い夢。長い悪夢。
「……違う」
基地の一室だった。
顔を触ると、包帯が巻かれていた。
「……なんで……」
恐る恐る鏡を覗き込むと、左首筋に傷跡があった。
「なんで」
包帯を外した。
「なんで」
真っ白く長い髪と、左眼だけが紅かった。
「なんで」
色素が抜け落ちたみたいに白くて、黒かったはずの左眼は血のように紅かった。
「なんで」
どうして私は、死んでないの?
どうして私は、死ねてないの?
どうして私は、生きているの?
お兄ちゃんがお父さんとお母さんを喰べた 小鳥遊なごむ @rx6
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