乙女心

十六夜

第1話

「今日タピオカ飲みに行かない?」

「おい、やばいぞ。星5きた!」

「この間、鬼滅の映画見たんだけどさぁ——」


 書店での仕事を終えた私は、横を通り過ぎてゆく高校生たちをぼんやりと眺めながら駅へと向かっていた。


 両脇にある田んぼにはまだ田植えがされておらず、水が溜まっている。そのおかげで、太陽の光を吸収したような雲と、まだ朝の青々しさが名残惜しそうに残る空が一面に反映されて幻想的に見えた。


 そこに二人の女子高生が映り込む。


「やばい、あと何分?」


「三分。走ろう」


 次の電車を逃せば約三十分も待たされるため、走っている高校生はよく見かけていた。

 でもなぜだろう、この時私は無性に懐かしい気持ちになった。夕日が思い出させたのだろうか。


 あれは部活終わりの午後五時を過ぎたころ。


 *


「まだうちにナタデココあったかな」

「嘘、私のたまごっち病気になってる!」

「おい、昨日の鹿児島アントラーズ見たか? やばかったよな」


 現代と変わらない紺色に赤リボンのセーラー服を着て、私は友達と盛り上がる高校生たちをよそに、今いる田んぼ道を小説を読みながら歩いていた。


 中学生から小説を読み始めた私は夏目漱石にハマり、何度も読み返すほどだった。

 この時も確か、『こころ』を読んでいた気がする。

 でも、夏目漱石がI love you を日本語に訳したとされる『月が綺麗ですね』という言葉は好きになれなかった。


「あ、美陽みはる。まーた本読みながら歩いてる。危ないからやめなって言ってるのに」


 そう、私の名前が美しい太陽という意味だからだ。

 それなのに太陽と反対の月を綺麗などと言われては、まるで私が否定されているみたいではないか。


「元々車通りの少ないこんな田舎道なんだし、大丈夫だってば」


「まったくもう。あ、それよりもう電車来るよ」


「うん、分かってる。私次の電車に乗る」


「走ったら間に合うのに。じゃあ私先に行くから、またね!」


 小走りで駅までかけていく友達に手を振りながら、私はわざとゆっくりと歩いた。


 

 駅に着くと、電車が出発した直後のためか、ホームに備え付けられたベンチには誰も座っていなかった。

 私はそこに腰かけると、手に持っていた小説を再び読み始めた。


 一分、二分と経つにつれて私の心はソワソワと騒ぎ始める。

 


 五分ほど経った頃だろうか。体育館シューズの入った巾着袋を持った、同学年の男の子がホームに入ってきた。


 その男の子は空いているベンチを見つけると、私の隣に座った。


 私は読んでいる本を少し下へとずらすと、横にいる男の子を盗み見た。


 バスケ部らしい彼は、疲れているのか目を閉じている。風に揺られている髪は太陽に照らされ、綺麗な茶色に見えた。


(好きだな……)


 私は彼——山本結月やまもとゆずきに恋をしていた。


 もちろん告白する勇気はない。

 でも、同じ電車に乗りたいと思うほど、心惹かれていた。


 *


 それからまもなく。私たちは卒業し、友達は美容院へ、私は書店へと就職した。


 結月くんはというと、残念ながら就職したのか大学に行ったのかすらも、分からず終いだった。


「私にもあんな甘酸っぱい恋をしていた時期があったなぁ」


 ため息とともに吐き出された言葉は重く、日の沈む空へと溶けていった。

 


 

「いらっしゃいませ」


 あまり広いとは言えない書店で、私はいつものようにレジを担当していた。

 最近は文豪小説を買う人が少なく、推理小説や青春ものが多い気がする。


 そんな中、人気ひとけが少なくぼーっとしていた私の目の前に、スっと一冊本が置かれた。


 慌ててバーコードを読み取ろうとすると、思わず「あ」っと声が出てしまった。

 表紙に『こころ』と書いてあるのが見えたからだ。


 この間、昔のことを思い出していたから尚更意識してしまったのだ。


 どんな人だろうと、視線を上げると——。


「結月……くん?」


「久しぶり」


 目の前には、あの頃と変わらないクシャッとした笑顔の結月くんが立っていた。


 それから、窓から差し込む太陽の光を見て、私にこう言った。


「夕日が綺麗ですね」


 私は目を見開いたまま、こう応えた。


「この後に見える月も……綺麗ですよ」


 空は昔と変わらず、甘酸っぱいピンク色をしていた。

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乙女心 十六夜 @izayoi_moon

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