第4話 アルカディア・テラスという国

 グランがミュゼを最初に連れて行ったのは、城の中で最も高い場所にある時計塔だった。


「グラン、この時計、止まってるよ」


 外に面した大きな時計版を身を仰け反って見上げる。


「今はな。必要な時には、動く。それより、落ちるぞ」


 グランの手がミュゼの体を中に引き戻した。


「時計って、そういうものだっけ?」


 ミュゼは首を傾げた。


「私はお前の中の常識までは食っていないぞ。時計は本来、動き続けるものだ」

「知ってるよ。じゃぁ、どうして止まっているの?」


 グランがミュゼの髪を梳きながら答えた。


「この国に時計が必要ないからだ。必要になれば、勝手に動き出す。その時が来れば、ミュゼにもわかる」


 ミュゼはまた首を傾げる。


「わからないけど、わかった。グランは、私の髪に触れるのが好きだね」


 止まった時計の事情よりも、グランの癖の方が気になった。


「ミュゼの髪は柔らかくて、触れていると心地が良い。嫌なら、やめるが?」

「ううん。私もグランに触れられるのが、心地いいよ」


 グランの髪を梳く手が、止まった。


「……そうか」


 グランが顔を背けるように背を向ける。耳が赤くなっているように見えた。

 不思議に思っていると肩を引き寄せられた。グランと同じ方向に体が向く。

 

「ここからは、この国が一望のもとに眺められる」

「うわぁ……」


 思わず、感嘆した。

 長城壁に覆われた中には、たくさんの生き物が暮らしている。

 遠くには田園がいくつも広がり、城に近づくにつれ、民家が増えて街が出来上がっている。街中には市が並び、人か行き交い活気がある。

 この城は、小高い丘の上に建っているので、余計に良く見えた。


「色んな生き物がいるね。人と、妖怪かな? 精霊みたいなのもいる。亜人やエルフに、ドワーフも。まるで御伽噺の中みたい」


 珍しく胸が高鳴る。


「ミュゼは目が良いんだな。人間にそこまでの視力は無いと思っていたが」

「目じゃなくて、気で見てる。霊力? 妖力? よくわからないけど、そういうの」


 グランが、くすりと笑った。


「なるほど。ミュゼは強い魔法使いだから、目も良いんだな」

「それは、グランのお陰だよね? グランが魔力を分けてくれたから、強い魔法使いになれたんだよね」

「いいや、お前は元々霊力が強い人間だった。それは私が記憶を喰う前からの癖だろう」


 グランの表情が少しだけ曇った。

 ミュゼの中に言い知れぬ不安が過る。


(グランが暗い顔をすると、悲しい気持ちになる。何故だろう。拒絶されたわけでもないのに)


 拒絶、という言葉が浮かんで、胸が塞がる想いがした。 

 どうしてか、胸が苦しい。失くした記憶の中に、そんなことがあったのだろうか。


(私は、グランに拒絶されるのが、怖いのかな)


 グランがミュゼを少しだけ引き寄せる。優しい指が肩を撫でた。

 ミュゼの胸に安堵が降りる。

 グランの手の温もりが、不安を消してくれるようだった。


「見えた通り、ここにはたくさんの異形が住んでいる。皆、それぞれに、己が住んでいた場所を追われて、この国に辿り着いた。住み着いて何百年も経つ者も多い」

「場所を、追われて」


 繰り返すと、グランがミュゼを振り返った。

 ミュゼを見詰める瞳は、何かを言いたげにしている。

 けれど、何も言わぬまま、グランは街の景色に目を戻した。


「この国の周辺には不定期にゲートが発生する。ジルがいうには、自然発生しやすい場所なんだそうだ」

「ゲート?」


 ミュゼの疑問に、グランが頷く。

 先ほどからグランは、ゆっくりと話をしている。言葉を選んで話しているように感じる。


「こことは別の世界に繋がる門のことだ。その門を通って、色々な異形がこの国に辿り着く。そういう者たちは、最終的にここに住み着く」

「私も、その、ゲートを通って、ここに来たの?」


 ミュゼは異世界から来た人間だと、グランが教えてくれた。

 こことは全く異なる次元の世界から来たのだと。


「そうだ。この場所は、色々な呼ばれ方をする。異界、魔界、幽世かくりよ、冥府、地獄、天国、桃源郷、極楽、エデン、ヘル。色々あり過ぎて総ては把握していないが。人間にとって、この国は現実ではないんだろう」


 何となく、話をはぐらかされた気がした。


(もしかしてグランは、私の昔の話をしたくないのかな。昔の私が、好きじゃないのかな)


 だとしたら、きっと触れないほうが良いのだろうと思った。

 自分が失くした記憶はグランの中にある。

 そのグランが話したくないのなら、あまり良い記憶ではないのだろう。


(昔の私がどんな人間だったのか、全然わからないけど、グランはどう思っているんだろう。嫌われて、ないかな)


 突然、グランがミュゼを覗き込んだ。


「ミュゼ? どうした? 気分が悪いか? それなら部屋に戻って……」

「平気、平気だから、もっとこの国のこと、教えて」


 歩き出そうとしたグランを咄嗟に留める。 


(グランが色々教えてくれているのに、自分のことばっかり考えてる)


 自分勝手な思考が嫌になる。

 グランがまた、ミュゼの髪を梳いた。


「言いたいことがあったら、遠慮なく言え。聞きたいことは、何でも聞け。出来る範囲で、答えるから」

「私の、グランに食べてもらった記憶……」

「それは教えられない」


 思わず口走ったミュゼの言葉を最後まで聞きことなく、グランが遮った。

 あまりにもきっぱりと言い切られたので、ミュゼは何も言えなくなった。

 いつもより冷たい声に、身を強張らせる。


「いや、すまない。きつい言い方をした。他意はない」


 グランの腕がミュゼの肩を抱く。戸惑う手に引き寄せられて、ふわりと抱き締められた。


「教えてしまっては、記憶を喰った意味がない。お前には、過去に囚われず自由に生きてほしい。前を向いて、これからを生きてほしいと思っている。だから、その」


 グランを見上げる。

 懸命に言葉を探して狼狽えた顔をしている。ミュゼが知らないグランの顔だ。


(すごくすごく、気を遣ってくれている。昔の私がどうでも、今の私の、ミュゼのことは、きっと大事に想ってくれているんだ)


 過去の自分には未練など微塵もない。ただ、グランにどう思われているかだけが、知りたかった。


(でもそれも、どうでもいいや。今の私ミュゼが嫌われていないなら、もうどうでもいい)


 ミュゼは顔を上げた。


「この国の名前を教えて。呼び名が色々あっても、本当の国名があるんでしょう?」


 ミュゼを見下ろしたグランが、顔を朱に染めた。

 柔らかい手つきで抱き締めていた体を離すと、また横に並んだ。


「アルカディア・テラス。この世界には他にも多くの国が存在する。外交用に、統一した名を用意せねばならない。だから、名付けた」


 心なしか、グランの話し方がカクカクして聞こえる。


「素敵な響きだね。グランがどんな国を造りたいのか、伝わってくる」


 グランがミュゼをちらりと覗くと、すぐに目を逸らした。

 不思議に思いながら、グランを覗き込む。

 困ったように片手で顔を隠したグランが、ミュゼの額に口付けた。

 突然の行為に、ドキリと胸が跳ねた。


「お前の笑顔を見たいと言ったが、思った以上に……」


 グランの声がどんどん小さくなって、上手く聞き取れない。

 どうやら自分は笑っていたらしい。


「私、笑ってた?」


 自分の頬を摘まんで、引っ張ってみる。

 その手を止めて、グランの手がミュゼを引き寄せた。

 先ほどよりも強く抱き締められて、鼓動が早く鳴る。


「思った以上に可愛らしくて、抱き締めてキスしたくなった」


 はっきりと言い切られて、顔が熱くなる。


「なんでグランは、そんなに私のこと、す、好きでいてくれるの?」


 まだ出会って数日だと聞いている。話した時間も回数も、恋をするにはあまりにも足りない。

 ミュゼの顔をグランの手が包み込む。


「私の中にはお前の記憶がある。お前が人として生きてきた軌跡がある。愛するには、充分だ。ミュゼを、もっと愛したくなる」


 グランの顔が近付く。

 キスされるのだと思い、咄嗟に身構えた。

 グランの顔が、唇に触れる直前で止まった。


「だが、お前の気持ちは定まっていないだろう。だから、こういう行為はしないつもりだった。これからは、自重しよう。だが」


 唇を離れて、グランの顔がミュゼの肩に埋まった。


「抱き締めるくらいは、してもいいか?」


 背が高いグランに抱き締められると、ミュゼの体に覆いかぶさるような体勢になる。

 強く体を締め付けるグランの腕の力が心地よい。


(これが恋心か、わからないけど、グランに嫌われるのが怖い私は、きっとグランを快く思ってはいるんだよね)


 グランの背に腕を回す。

 気持ちを返すように、ミュゼは回した腕に力を込めた。


(ちゃんと考えて、ちゃんと答えを出さなきゃ、失礼だよね)


「グランに抱き締めてもらえるの、嬉しいよ。だから時々、抱き締めてほしい」


 グランの腕の力が強くなる。


「そうか」


 呟いた声が吐息と混ざって、耳に掛かる。

 その熱が、とても気持ち良い。


(もっともっと、グランが欲しい。グランを知りたい)


 ミュゼの目に、違う景色が映った。

 街とは反対側の真後ろ、と言ってよいのかわからないが、そこには何もない。

 ただ暗い混沌が広がているように見えた。


「グラン、国の反対側、こっち側は、何?」


 グランが顔を上げる。


「あれは、何でもない。何もない場所だ。この国は世界の果てだから、この先には、何もない」

「世界の果て。何もない場所」


 グランの言葉を反芻する。

 よくわからない怖さがじんわりと、ミュゼの心に広がった。

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現代で異能無双してたら手違いで異世界に連れていかれて魔王の城を護る羽目になった挙句、奥手の魔王にやんわり愛を注がれ続けている 霞花怜(Ray Kasuga) @nagashima

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