第6話
陰鬱な曇り空より雨粒が零れ落ちた。
一層暗さを帯びた空に夜の帳が迫りつつあった。
横殴りの風は、小雨を伴い街路樹を強く揺らした。
街灯の明かりが灯り、そこへ無数の雨脚が映し出されていた。
陸は夜が深くなる前にどうにか寝床を確保しなければならないと思った。
この街には宿が無い。
市の中心で適当なビジネスホテルにでも泊まろうか、それとも今後の貯えを考えるとネットカフェにでもしようかとも考えた。
雨足が強まる前にと再び駅を目指す陸は、田園地帯の小道を急いだ。
スマートフォンの充電が少なくなり、焦燥感が陸へと押し寄せた。
いち早く身を落ち着ける場所を探して充電をしておきたかった。
万が一の時のために連絡ツールだけは確保し続けなければならない。
足早に進む陸の前に青々と茂る竹林が現れた。
陸は歩みを緩めて近づき、木々を見上げた。
ここは陸が小学生の頃に友人達と駆け回った場所だった。
陸は誘われるように林中へと立ち入った。
風に煽られた竹がぶつかり合う音とカラスの遠鳴が共鳴している。
夜目に慣れない中を鬱蒼と林立する竹を縫って傾斜を下った。
あの日、仲の良かった同級生数名と連れ立って、陸は竹林の中へ足を踏み入れた。
誰かが格好の遊び場があると興奮した面持ちで告げてから、放課後に偵察を兼ねて下見へ行くこととなった。
西日が差し込む林の中を分け入り、緩やかな傾斜の下にぽっかりと開けた空間を見つけた。
ここに小屋を造ろうと皆で決めた。
その週末に竹を柱にして枝葉で屋根を覆った簡易的なものを拵えた。
壁面の無い吹き抜けの格好が付く代物ではなかったが、12歳の子供にとっては満足の行く出来栄えとなった。
それからは、学校が終わると竹林の小屋に集うのが習慣となった。
歓声を上げ鬼ごっこやどろけいをしながら、ひとしきり林を駆け抜けた。
走り疲れた後は小屋に戻り、下に広げたピクニックシートの上で皆思い思いに過ごした。
持ち込んだ漫画本を共に読み耽ったり、携帯型ゲーム機やカードゲームで対戦に興じた。
あの頃の陸は、こんな時間が永遠に続くものと思っていた。
卒業が数ヵ月に迫っていた。
6年間の小学校生活は、陸には長い様であっという間に感じられた。
名残惜しさや中学校生活への不安は、全く無かった。
進学してもこの仲間達と仲良くやっていくのだと思っていた。
あの時は確かにそう思っていた。
小雨は降り止むことなく地を湿らせ続けた。
嘗て小屋が存在した空間で、夜目に慣れた陸は、折れた竹の節に雨水が溜まっていくのを座って眺めていた。
あれから仲間内の数名は私立校へと進学し、付き合いはそれっきりとなった。
地元の公立校へと進んだ陸は、毎年繰り返されるクラス替えや部活動の影響で、交友関係が大きく変化した。
変わりゆく人間関係の中で小学校時代の仲間とは、次第に疎遠となっていった。
仕事を始める頃には街中で偶然見かけることもあったが、言葉を交わすこともなくなった。
月日を経るごとに出くわす回数も減り、やがて誰も見かけることが無くなっていた。
彼らの近況を知ることが出来るのは、今やSNSのみとなった。
子供と共に幸せそうな表情を浮かべながら写真に納まる者。
海外へ生活の拠点を移し、活動的な生活を送る者。
それは別世界の人間の暮らし振りであり、陸にとっては無縁の世界だった。
最早この街に残っているのは自分だけなのだろうという感覚が陸にはあった。
そして最後に自分も離れる時がやってきたのだ。
スマートフォンの充電がいよいよゼロに近づこうとしていた。
それでも不思議と今は焦りを感じることは無かった。
登録している連絡先は僅かしかなかった。
数少ない友人の誰かに泊めてくれないかと頼むことも考えたが、このような状況下で家に入れてくれとは、とても言えたものではなかった。
雨の勢いは更に強まり、降り止む気配を見せなかった。
陸は緒が濡れた不織布マスクを外して天を仰いだ。
雨粒の冷たさと新鮮な空気を肌で感じながら、月明かりの下に竹の葉が舞い落ちていくのを陸の目は捉えた。
こんな雨の日でも月が見えるのかと不思議な感覚を覚えた。
世界を震撼させているこのパンデミックもいつかは終わりを迎えるはずだ。
永久に続くものなんてこの世にはないのだから。
人との繋がりも。
そして人の存在自体もいつかは消えてなくなってしまう。
ただ終わりはいつになるのか誰もそれを知る由もなかった。
唯一、あの浮かぶ月だけは悠久に存在し続けていく様な気がした。
止まない雨の中、月の輪郭がぼやけて映るのは、
遠くから子供たちの歓声が聞こえた様な気がした。
しかしそれは遠雷の響きだったのかもしれない。
小雨の中で 吉原司 @toro3390
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