Distorted Love

時雨

歪んだ恋

 丁度今から一か月前、俺は彼女──牧原 雫に恋をした。

 一目惚れだった。

 いや、"一目惚れ"というのは、おかしいかもしれない。

 だって、俺は彼女を"見て"好きになったわけじゃないんだ。

 一か月前まで、彼女とは会話したこともなければ、目を合わせることさえなかった。ただ、接点のないクラスメイトとして、同じ教室に押し込められていただけだった。


 それが一か月前のこと。席替えで、俺は牧原と隣の席になった。

 前述した通り、俺は大して彼女に興味はなかったものだから、その結果に浮かれも、もちろん落ち込みもしなかった。ただ、いつもと変わらない時間が流れていて、特に興味もない女の隣の席なんて、俺の人生はモノクロのように、つまらないものだと思っただけだった。


 それが彼女の隣に腰掛けた瞬間、全てが変わった。それは見事に、まるで真っ白なキャンバスに絵の具を塗りつけたように、全てが変わってしまった。


 牧原から、良い匂いがした。

 俺はこの匂いを知っている。

 これは、俺の姉と同じ匂いだ。

 姉と、同じ香水の匂いだ。


 実を言うと、俺は五年前から五歳離れた姉のことが好きだった。もちろん、血の繋がっている姉だ。

 たぶん俺が中学二年になるまで、ほとんど会えなかったせいだと思う。普通の姉弟ならそんな恋愛沙汰にはならないのだろうが、俺はそんなことはなかった。それに、姉は美人で勉強もできて優しくて、俺によく構ってくれた。好きにならないわけがない。

 あと、とても良い匂いがしたのだ。つけている香水の名前は教えてくれなかったのだが、俺がそれまでの人生で姉と同じ香水をつけている女には、出会ったことはなかった。

 俺が彼女に恋に落ちるのに時間はかからなかった。だって、ほとんど赤の他人のようなものなのだ。

 理性では良くない、これは恋に落ちてはいけないと理解していても、本能的に彼女に惹かれる部分があった。

 そんな姉は、二ヶ月前、大学を卒業して当時付き合っていた彼氏とすぐに結婚し、家を出ていった。

 俺は姉の彼氏のことをずっと、本当に殺したいくらい憎んでいたのだが、そんな怒りも時と共に薄れていって……。

 気づけば、俺の恋は未完成なまま、終わっていた。


 それが、一か月前、初めて彼女と同じ匂いのする人間に出会ったのだ。

 好きだ、と思った。単純に、純粋に、彼女のことを好きだと思った。

 ただ、それは姉との終わりのない恋を引きずったものなのか、それとも本当に彼女に恋をしてしまったのか、俺には分からなかった。

 だから、彼女とのことは自己完結で終わらせるつもりだ。そんな不誠実な態度で他人と向き合わない、これは俺のポリシーなのだ。


 今俺の机の中には、彼女を模写したスケッチブックが、たくさん入っている。彼女に好きだとバレてはいけない以上、写真は撮れない。だからせめて得意な絵で、彼女を自分の中に残そうという魂胆だ。


 ただ、どうにもその絵に、匂いが残らないのが残念なのである。


「ちょっとは匂いつくかな」


 俺は握りしめた牧原の体操服を手に、自室で首を捻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Distorted Love 時雨 @kunishigure

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説