第4話(終)「初恋はお母さん」



 昨日のことで頭がいっぱいになり、思うように寝付けなかった。私の俊多に対する「好き」と、俊多の私に対する「好き」が重ならず、大きな溝を開けた。


 今日も俊多は私に会いに来るだろう。私のことを母親ではなく、一人の女性として意識しながら。


「……」

「俊多君のところに行かないのかい?」


 お昼ご飯を食べ終えても外に出ない私を見て、魔女が話しかけてくる。決して私を邪魔者扱いしているわけではない。むしろ背中を押してくれている。


「本当の正体を教えて、あの子を悲しませたくないの。でも、親子同士なんてよくないし……でも……」


 自分が過去から来た母親であることを明かすと、俊多はひどく落ち込むだろう。かといって、このまま嘘をつき続けて騙せば、自分が心苦しくなる。どちらを選んでも何かしら傷が付く。




「ママさん」


 魔女は私の肩に手を置いた。


「今まで息子のためを思って行動してきたのなら、最後は自分のために行動したらいいんじゃないかなぁ?」

「自分のため……」


 私は今まで俊多が喜ぶことをして、悲しむことを避けてきた。そう、私は彼がどう思うかを心頭に生きてきた。そればっかりで、私自身はどうしたいのかを考えていなかった。


「私は……」




“秋……”


「あっ!」


 こんなタイミングで、私の心に声が飛び込んできた。これは……の声だった。


“秋、君は誰よりも美しいよ”


 世界で一番最初に私の心を奪い、存在価値を認めてくれた


“僕と結婚してください”




「春昌……」


 夫の春昌だった。彼は私の良いところも悪いところも、全てを受け止めて私を愛してくれた。そうだ、私には既に生涯を捧げると誓った相手がいた。この世界にどれだけ魅力的な人間がいようと、その人でないとダメだと思わせてくれるような愛しい相手が……。


「魔女さん」

「ん?」


 私は靴を履いて玄関のドアノブに手をかけた。 


「ありがとう。行ってきます」

「あぁ、行ってらっしゃい」


 私は豪快にドアを開け、決意に満ちた一歩を踏み出した。


「あ、秋ちゃん!」

「え?」


 魔女は突然私を呼び止めた。




「こんな時に言うのも申し訳ないけどぉ……」








 俊多は生徒がぞろぞろと出ていく正門の前で、スマフォをいじりながら立っていた。私を待っているのだ。


「あ、稔……」


 近付いてきた私を見つけた。もうすっかり呼び捨てだ。私を一人の女性として見ている。


「場所を変えよっか」




 私達は商店街の路地裏にやって来た。人通りは全くないため、ここなら何をしても誰にも怪しまれない。ここで私は決別を迎えることにした。

 路地裏に来た途端、俊多は距離を詰めてきた。今にも告白し出しそうな雰囲気だ。それを遮るために、私から口を開いた。


「ねぇ、俊多」

「お、おう」


 思い切って私も呼び捨てにした。生まれてからずっと呼んできたのだ。今更違和感はない。


 そして……




「ごめんね、私は俊多とは恋人として付き合えない」

「えっ……」


 私ははっきりと口にした。俊多が悲しんだらどうしようとか、自分以外を主体にした考えを挟まず、私自身の本音を打ち明けた。


「……そっか」


 俊多の瞳から大粒の涙が溢れ出た。それは二筋三筋と増えていって、路地裏の汚れた土を潤した。高校生の彼が初めて見せる弱さだった。


「残念だなぁ……稔のこと……こんなに大好きなのになぁ……」


 暗い路地裏でもわかるくらい、涙は光を帯びて流れ出てくる。私のことを本当に心の底から愛してくれたんだと実感する。


 私はいたたまれなくなり、俊多を抱き締める。


「ごめんね……ごめんね俊多……本当に……ごめんね……」


 俊多には何でもしてあげたい。欲しいおもちゃがあれば買ってあげるし、食べたいものがあれば頑張って作る。怪我をしてるなら優しく手当てしてあげるし、就きたい職があれば全力でサポートする。


 でも、ごめんね……恋人になることはどうしてもできないんだ……。


「ごめんね……ごめんね俊多……」

「やめて……もう謝らないで……」


 あなたの「好き」は、一人の女性に捧げる熱い恋心なのかもしれない。でもね、私のあなたに対する「好き」は、親として温かく見守ってあげたいっていう“愛”なんだ。


「俊多ぁ……」


 今まで何度もこの子の泣き顔を笑顔に変えてきた。涙を枯れさせるほどの愛を注いできた。でも、この涙だけはどうしても止められそうになかった。最後の最後で、俊多が願っていることを叶えさせてあげられない。私はダメな母親だ。


 それでも、私はあなたのお母さんでよかった。




「俊多、これからもしっかり生きるのよ」

「何言って……え?」


 一体体を離してみて、俊多は気が付いた。私の体が消えかけていることに。先程魔女が教えてくれた通り、タイムリミットが近付いてきた。時の方舟の効果が間も無く消えるのだ。


「な、なんで……」

「体には気を付けてね。ご飯しっかり食べて、心を休めて、無理しないで過ごすのよ」


 私が元々死期が迫っていた病人であるから、時の方舟の効果も長くは続かないと魔女は言っていた。これから元の時間に戻り、死を迎えるのだ。


「待って! 稔!」

「俊多、幸せになってね……私よりもっと魅力的な人と出会って、温かい家族を作るのよ……そして……素敵な大人になってちょうだい……」


 俊多の未来を見れてよかった。心配かけてばかりの未熟な息子が、こんなに素敵な男の子になることがわかって、私は本当に嬉しかった。

 お腹を痛めて産んだ甲斐があった。私はこの世界に、高瀬俊多という名の素敵な人間を残すという功績を成し遂げた。よく頑張ったね、私。よく頑張ったね、俊多。


 もう思い残すことは何もない。今の俊多ならきっと、もっと強くなれるはずだ。今は何の疑いもなく、そう信じられる。俊多、泣かないで。寂しくなんかないんだよ。


 だって私は、いつまでも天国で見守ってるからね……。


「ふふっ」

「嫌だ……待って! 行かないで!」


 俊多は私を肩を押さえ、どこにも逃がすまいとする。体は既に胸元まで消えていた。異次元に吸い込まれるように、跡形も無くなっていく。いよいよ別れの時だ。




「俊多」


 私は最後に、俊多の頬にキスをして、子どもをあやすようなとびっきりの笑顔を向けた。


 俊多……世界でたった一人の大切な俊多……。


「みの……り……」




「ありがとう、元気でね……」








 そして、私の体はこの世から完全に消え失せた。



















「着いたよ」

「ここが俊多君のお家? 大きいね~」


 俺は愛しの彼女を家に招き、浮かれ気分で玄関を潜った。大学受験を数ヶ月後に控え、高校生活も終わりに近づく頃、ついに俺にも念願の彼女ができた。


「おじゃましま~す」


 彼女の名前は岡崎陽和おかざき ひより。おしとやかな性格と、ふわりとウェーブのかかったロングヘアーが可愛いクラスメイトだ。今日は初めて彼女を家に招く。

 ちなみに消しゴムを拾ってもらったことで仲良くなった。完全な一目惚れだった。猛烈なアプローチをかけた末に告白し、見事に承諾をもらい、交際が始まった。


 え? 出会ったきっかけがショボいって? 別にいいだろ!


「おぉ、女の子のお客さんとは珍しい」

「父さん、紹介するよ。俺の彼女」

「初めまして。岡崎陽和です」

「初めまして。俊多の父の春昌です」


 彼女はちょこんと頭を下げた。誰に対しても常に礼儀正しいところがまた素敵なんだよなぁ。


「こんな可愛い女の子が彼女だなんて、俊多も隅に置けないなぁ~」

「う、うるさい……///」


 からかい好きの父さんをはね除け、俺は瞳和の手を引いてリビングに案内する。棚を開け、来客用のお菓子と飲み物の準備をする。今日は二人で受験勉強をするのだ。勉強の前にしっかりおもてなししなくては。


 さてと、お菓子はクッキーでいいか。飲み物は……お、アイスコーヒーがあるな。まだ暑さが残る秋の始まりには丁度いいや。




 秋……アイスコーヒー……






「……そうだ」


 勉強道具を広げる前に、俺は陽和の手を引き、リビングを出た。陽和にものことを紹介しておきたくなった。


「俊多君、どうしたの?」

「陽和に会わせたい人がいるんだ」


 俺達は和室の前にやって来た。彼女はこの部屋の奥にいる。


「会わせたい人?」

「俺の初恋の人だよ」

「え?」


 俺はゆっくり襖を開けた。心地いいくらいの静寂と、ほんのりと漂う線香の煙の匂いが、俺達を温かく迎え入れてくれた。俺は陽和に胸を張って紹介した。




「じゃ~ん、この人が俺の初恋の人!」

「ふふっ、素敵な人だね」


 そこには、いつまでも幸せそうな笑顔を浮かべる母さんがいた。




   KMT『初恋はお母さん』 完


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初恋はお母さん KMT @kmt1116

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