第3話「この気持ちは……」
「ありがとね、稔さん」
「ううん、こちらこそ急にごめんね」
ただお茶をしただけなのに、もう夕方になっていた。帰りたがりの太陽が、商店街を茜色に染めていく。俊多との楽しい時間は、感染病に奪われた私の人生のように、瞬く間に過ぎていく。
「じゃあ、我が家に帰ろっか」
「我が家?」
「あっ……」
はい出ました、ボロ。どんだけ出てくんのよ。もう自分の中でも呆れるどころか、楽しんでいる節があるのかもしれない。
「何でもない!」
「そう……そういえば、稔さんの家ってどこら辺なの?」
「え?」
これは痛いことを聞かれた。ここは10年以上先の未来であり、この世界では私は既に死人になっていることだろう。今の私には家も居場所も何もない。時の迷い人だ。
「あ、あっちの方!」
またもやごまかすため、テキトーに西か東かもわからない方向を指差した。流石に怪しんでるよね。
「ふーん、じゃあ俺の家とは逆だね」
「そうだね……」
「うん。それじゃあ……」
気まずい空気を何とかしようと、俊多は一歩を踏み出す。一旦今日はこれで解散としよう。高校生になった俊多と話せて楽しかった。
でも、別れるのは何だか寂しいなぁ。
「……」
シュッ サッサッサッ
「え?」
「これ、俺ん家の住所。あと電話番号」
俊多は一枚のメモを渡してきた。彼が今住んでいるであろう家の住所と、携帯の電話番号が書かれてあった。
「じゃあ、またね」
「あ、うん……」
そう言って、俊多は照れ臭そうに顔を隠し、商店街の出口へと駆けていった。彼の背中はあっという間に見えなくなった。
「俊多……」
俊多、見ず知らずの人に個人情報を教えちゃいけないって、パパに習わなかった? いや、私も勝手に俊多をお茶に誘って振り回したから大概だけども。
でも、やっぱり俊多は優しいなぁ……。
「ふふっ」
明日もまた、俊多に会いに行くとしよう。
ん? ちょっと待って。
「私、この後どこに帰ればいいの!?」
私は古びたアパートの一室に入り、疲労に引っ張っられて床に寝そべる。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! 俊多が可愛すぎてつらいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!」
「思ったより元気そうでよかったわぁ」
魔女がコップに麦茶を注ぎ、私にくれた。あの後、人混みから突然魔女が現れ、未来にいる間の私の寝床を用意してくれた。町の一角にある古いアパートだった。ほんと、この魔女は何者なんだろう……。
いや、そんなことより!
「信じられる!? わんわん泣いて私に甘えてた俊多が、あんな立派な好青年に育ってるのよ!? マジヤバい……あの子ヤバいわぁ……最高だわぁ……」
私はひたすら床を寝転がり、俊多の成長に興奮する。優れた人間性はもちろんのこと、あんなにイケメンに育つなんて思わなかった。男らしくてカッコいい。春昌にそっくりだった。
でも、ちょっとした無邪気な仕草がたまらなく可愛い。何あれ、反則じゃない? 尊過ぎてつらいんだけど。
「ハイハイ、さっさと晩ご飯済ませて寝ようねぇ」
「そうね! 早く明日に行きましょう! 息子の待ってる輝かしい未来へ!」
「落ち着きなってぇ」
その夜、私が俊多のことで頭がいっぱいになり、十分に寝付けなかったことは言うまでもない。
翌日、私は重たいまぶたを擦りながら、高瀬家の門をうろちょろする。断じて私は不審者ではない。ていうか、ここ私の家だし。
「俊多ぁ……」
なかなか家から出てこない。朝7時は流石に早過ぎたかなぁ。
ガチャッ
「行ってきま~す」
「わっ!?」
何の前触れもなく玄関のドアが開いた。お望みの俊多が顔を出したが、私は思わず曲がり角の塀の影に隠れてしまった。
「おぉ……」
塀からひょっこり顔を出し、遠さがる俊多を眺める。どうやら今日は学校に行くらしい。俊多が学校の鞄を持って、ピカピカの制服を着て、通学路を歩いている。
俊多が! 学校に!! 行っている!!!
「俊多ぁ……俊多ぁ……」
たまらず涙が溢れ出る。そうかぁ、もう一人で学校に行ってお勉強をしてるのかぁ。決して高校生の息子に対して感動するようなことではないが、私にとっては大変微笑ましいことなのだ。
でも……欲を言えば先にランドセル姿が見たかったなぁ。
「悪ぃ高瀬、数学の宿題写させて!」
「はぁ? もう仕方ねぇなぁ」
昼休み。俊多がお友達らしき男の子と、和気あいあいとお喋りをしている。お友達に宿題を見せてあげてるのね。
え? お友達? 俊多にお友達!? ひぃぃぃぃぃ!!!!!
「俊多に……友達ができるなんて……」
「もう少し静かに見れないのかい?」
隣にいる魔女が呆れてる。ちなみに、なぜ学校内にいないのに俊多の様子がわかるのかと言うと、魔女に小型のドローンで俊多の様子をリアルタイムで撮影してもらってるからだ。
私はその映像を離れた場所で、モニターを通して観察している。ドローンは見つからないように透明化しているらしい。
この魔女……いろんな道具を持ってて怖い。
「見て見て! 俊多が真面目に授業受けてる! いい子ね~♪」
「そうねぇ」
私達は放課後まで思う存分俊多の学校生活の観察を楽しんだ。
「あ、稔さん」
「俊多君!」
そして下校時に偶然を装い、俊多に会いに行った。
「ねぇ、今日はどこ行こっか?」
「そうだなぁ」
自然と私とお出かけに付き合ってくれる俊多。もう私を怪しんだりはしていない。こんな人当たりのいい子に育ってくれて、本当に嬉しい。
私はファーストフード店に行ったり、ゲームセンターに行ったり、カラオケに行ったり、時間を忘れて俊多との時間を楽しんだ。幸せ過ぎる! うちの子最高!!!
「俊多く~ん♪」
「こらこら、待てって」
俊多と過ごす時間は本当に楽しくて、ついつい私も子どものようにはしゃいでしまう。私は追いかけっこのつもりで、俊多を置いて駆け出した。
「あっ」
「危ない!」
ガシッ
道にはコンクリートの穴があった。私はそこへ足をかけてしまい、転びそうになった。
「大丈夫か?」
地面に転倒する直前に、間一髪で俊多が腕を回して支えてくれた。
「大丈……夫……///」
「あっ……///」
なんか……顔が近い……。
「わ、悪い!」
「ううん、全然! こっちこそごめんね!」
咄嗟に離れて心を落ち着かせた。本当に危ない。俊多はとても可愛いけど、ふと見せる頼もしさが破壊力抜群だ。しかもイケメンだから尚更ドキドキする。鏡を見なくても、頬が赤く染まってるのがわかる。
「可愛い……」
「え?」
「あ、いや、何でもない! 行こっか」
「うん……」
俊多、今……可愛いって言った?
「今日はありがとね、俊多君」
「うん、こちらこそありがとう」
一日はあっという間だけど、俊多と過ごす一日はもっと短い。もっと一緒にいたいのに、夕日は私の気持ちに相反して山の影に沈みたがっている。俊多は私をアパートの前までまで送ってくれた。本当に優しい子だ。
「それじゃあ……」
「待って!」
ガシッ
俊多が突然手を伸ばし、私の腕を掴んだ。とても力が強い。流石は男の子だ。
「何!?」
「み、稔……」
いきなりの呼び捨て。再び私の心臓は鼓動を早める。どうしたんだろう。
「……好き」
「ほへ?」
今、なんて?
「俺、稔のこと……好きだよ……///」
「え……」
俊多はうつ向きながら呟いた。微かに頬が赤く染まって見えるのは、夕日のせいだろうか。え? 好き? 好きって……友達としてだよね? 私も俊多のことは好きよ。かけがえのない息子だもの。大切な家族だもの。
「あ、ありがとう」
私は逃げるようにドアノブに手をかける。
「……本気だから」
中に入ろうとした時、俊多が呟いた。とても小さな声なのに、なぜか私の耳はそれを拾ってしまった。
「……」
バタンッ
私は返事をせず、ドアを閉めた。
「おぉ、お帰り、秋ちゃん」
「……」
「どうしたのかなぁ?」
先に帰っていた魔女が、玄関に座り込む私に呑気に聞いてくる。彼が言っていた「好き」という言葉の意味、彼の声のトーンの低さ、明らかに友達としての意識で発したものではない。
そう、彼の抱いている気持ちは……間違いなく恋だ。母親だからこそわかった。
でも……
「ダメよ、俊多」
だって私は……あなたの……
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