第2話「未来の息子」




 気が付くと、私は見覚えのある場所に立っていた。ここは俊多とよく買い物に来ていた商店街だ。通りを流れる町民の群衆が、私の意識を現実へと引っ張っていく。


 久しぶりの外の空気、太陽の温かさ、髪を撫でる風。私を形作る細胞全てが、現実に触れて感動していた。先程までの息苦しさも、綺麗さっぱり消えている。隔離生活を強いられたからこそ、外に出ても何とも思われない心地よさは言葉にならない。


「あぁぁ……」


 ここは本当に未来なのだろうか。商店街の雰囲気はあまり変わっていないため、タイムスリップした実感がうまく掴めない。ひとまず、どこか他に知ってる場所に行ってみよう。


 バシッ


「あっ」


 歩き出そうとした途端、横にいた男性と肩がぶつかってしまった。私はすぐに頭を下げた。


「す、すみません!」

「いえ、こちらこそすみません」


 私は頭を上げ、男性の顔を見た。






「あ……」


 その男性こそ、私の大切な一人息子、高瀬俊多だった。


「あの、何か?」


 わからない。なぜ彼が俊多であると確信できたのか、全くもってわからない。顔は今初めて見たのだ。

 しかし、なぜか目の前にいる男性が、紛れもなく俊多本人であることに、少しの疑いも持てなかった。脳に直接答えが飛び込んできたみたいだ。この人は正真正銘俊多であると。


「えっと……」


 俊多は突然私に見つめられ、戸惑っているようだった。そりゃ当然よね。彼にとっては初対面だもの。私もある意味彼とは初対面だ。


 あれ? 生まれた頃からずっと一緒にいたのだから、初対面ではないような……。でも大きくなった彼とは初めて会うし……いや、彼は私の息子だから……。


 あぁもう! わかんなくなっちゃった!


「あの、俺に何か用ですか?」

「あ、ごめんなさい! えっと、あの……」


 とにかく息子に会えたのだ。彼を引き留めなければ。何て理由を付ければ……。


「あの! 今からお茶しませんか!」

「はい!?」


 しまった! これじゃあただの変質者だ。何の脈絡も無しに突然のお茶の誘い、不自然極まりない。




「い、いいですよ……」


 いいんかい!? いや、本当に委員会!? 自分から誘っておいて何だけど、私は俊多の将来が不安になった。警戒心無さすぎじゃないかしら。


 でも、優しい子。大好き。






 近くに喫茶店を見つけ、飛び入りで入店した。今のところ、私が母親であることは気付いていないみたいだ。かなりの幼顔であるため、同年代の女の子だと思われているのだろう。

 実は私は近所でも顔立ちが若々し過ぎると評判なのだ。よく夫である春昌に、ロリ顔だとからかわれていた。まさかこんなところで幼顔が活きてくるとは。


 いや、今はそんなことより……


「私が誘ったんだもの。私が奢るわ」

「いや、いいよ! ここは男である俺が……」


 席に着いて早々、私は唐突の誘いの申し訳なさを解消させるため、財布を握った。なぜかポケットの中に、私が入院する前に使っていた小銭入れが入っていた。息子と会計の主導権を奪い合う。


「ダメ! ここはママに甘えなさい!」

「ママ……?」


 まずい。つい口が滑った。


「あ、いや……何でもない」


 危ない危ない。いつもの癖で母親口調が出てしまった。俊多とお出かけをする際、小さな息子があまりにも可愛くて、よくおもちゃやお菓子を買ってあげていた。ついつい甘えさせたくなるのだ。


 とりあえず自然な感じに振る舞わないと。私はメニューを開き、ドリンク欄を指でなぞる。好物のアイスコーヒーを見つけた。


「私、アイスコーヒーにしようかな。俊多君は?」


 流石に呼び捨てじゃ不自然だから、ここからは君付けでいこう。


「え、なんで俺の名前知ってるの?」

「あっ」


 しまった! またボロを出してしまった。そういえばまだ名乗ってないじゃん……。


「あ、えっと……テレパシー! テレパシーでわかったの!」

「は、はぁ……」


 見苦しい言い訳しか出なかった。俊多の眉がヒュッと垂れ下がっている。確実に怪しんでるなぁ。いや、突然お茶に誘ってくるおばさんだもの。怪しんで当然か。 


「とりあえず、自己紹介するわね。私は……」


 『高瀬秋』と名乗ろうとしたその時、正常に戻った私の思考が、動こうとしていた口を止めた。

 よくよく考えたら、本名を名乗ったらバレてしまうのではないか。母親の名前は当然把握している。同じだと更に怪しまれてしまうだろう。


「名前は?」

「名前は……その……」


 うまく偽名を伝えてごまかそう。えっと、秋から何か連想できないだろうか。秋……秋……実りの秋? 実り……稔……あっ!


みのり! 私の名前は稔!」

「稔……さん……」


 よしよし、疑われてないぞ。俊多は優しい子だから、これ以上は怪しまないはず。


「そう、高瀬稔!」

「おぉ、俺と同じ名字だ」

「んんん!」


 ちょっと待ってぇ。名字も変えなきゃダメェ?


高山たかやま! 高山稔!」

「なんか某探偵アニメの主人公の声優さんの名前と似てるなぁ」

「とにかく、高山稔! いい? 高山稔だから!」

「わ、わかったよ……。よろしくね、稔さん」

「うん!」


 ちょっと強引過ぎたけど、何とかごまかせた。もう、俊多ったら、そんなに人を疑うなんて、“めっ!”よ。


「俺はブルーマウンテンにしよ」

「俊多君、コーヒー飲めるの? 大人だね~」

「当たり前だよ。俺もう高校生だもん」


 そうかそうか、俊多はもう高校生なのかぁ。てことは、この世界は10年以上先の未来ということだ。あの機械は本物だった。


 私はもう一度俊多の顔を眺める。きりりと整った眉、高い鼻につるつるとした頬、キラキラ輝く細い目、艶やかな短髪、引き締まった背筋に大きな手足、全体的に漂う清潔感。


 間違いない。この子は私の息子だ。


「ねぇ、俺の顔に何か付いてる?」

「ううん、何も♪」


 高校生になった俊多が、目の前にいる。俊多はこんな風に育ったんだなぁ。とてもイケメンだ。同級生の女の子にモテたりするのかな? 可愛い子と恋なんかしてたり……。


 そして、そんなたくましく育った息子と、私は喫茶店で優雅な一時を過ごしている。あぁ、なんて幸せなんだろう。あんなに泣き虫でひ弱だった彼が、こんなに立派に大きく育ってくれていることが、母親としてすごく嬉い。


「えっと、アイスコーヒーのショートと、ブルーマウンテンホットのトールをお願いします」

「かしこまりました。ご注文は以上でよろしいでしょうか?」

「はい、大丈夫です」

「ありがとうございます。少々お待ちください」

「はい、ありがとうございます」


 店員さんに注文をする俊多。言葉遣いがとても丁寧で、聞いていて安心する。カッコいいだけじゃない。礼儀正しくて素敵。人に会う度に私の背中に隠れていた頃からは、とても想像がつかない。


「ん~、美味しい」


 注文した品が届き、俊多は落ち着いて口にする。でもコーヒーの美味しさに思わず表情が緩み、ほんのりと薄い桃色に染まる頬が、たまらなく可愛い。


「ほんと、美味しいわね、俊多」

「あぁ。……え?」

「俊多君!」


 またボロが出た。私ったら、出過ぎだってば! しかし、いきいきとした俊多の姿を見ていると、とても微笑ましくなって母親に戻ってしまう。

 いや、私はいつまでも母親のままなんだけど、それでも今は一人の女性で、高山稔でいないといけないんだ。


「ふふっ」

「稔さん? どうかした?」

「何でもない」


 それから、私はずっとコーヒーを飲む俊多の顔を眺めて楽しんだ。彼が「どうしたの?」と聞いて、私が「何でもない」と答えるのを繰り返した。


 幼稚園児だった彼とよく繰り返したやり取りだ。俊多がよく腕や背中に抱き付いてきて、私が「どうしたの?」と聞くと、彼は「何でもないよ」と答えた。

 無邪気に甘えてくる息子は、それはそれは目に入れても痛くないほどに可愛いのだ。あの頃を思い出しながら、私はすっかりぬるくなったアイスコーヒーを口にした。


 俊多……俊多……私の可愛い俊多。


「ふふふっ」

「だから何なの」

「何でもないよ~」

「はぁ……」


 私達は初対面であることを忘れ、和かな時間を楽しんだ。いつの間にかお互いタメ口で話していることも忘れて。


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