第8話 ヤズルマの辺境伯
ヤズルマにきて二日目の早朝、マルクは昨日同様に探索者ギルドを訪れた。
まだ営業開始まで少し時間がある。
建物の裏口に行くと、バルディオが待っていた。
「おはようございます。叔父さん」
「寝坊しなかったな。感心したぞ」
「一日目から遅刻したら問題でしょう」
「言うじゃないか。まあ入れよ」
扉の先はギルド内カウンターの奥だった。
ギルドの中では、既に他の職員たちが準備作業をしている。
山と積まれた紙束を運んだりと忙しない様子だ。
「イーリスとはどうだ? 上手くやっていけそうか?」
「叔父さん、どうしてエルフだと言ってくれなかったんですか」
「そう怒るなよ。イーリスはエルフだが美人で腕が立つ、王国内でもっとも強い魔女だ。一緒に暮らせそうか?」
「いくらか問題はありますが、なんとか」
多少の文句はあるものの、共同生活を送る以上は双方の歩み寄りも不可欠だろうとマルクは考えていた。イーリスの飯代も全部含めて。
「それで、僕は何をすればいいのですか」
「おう、まずは業務を一通り覚えてもらう。今日は魔晶石の換金にするか」
二人で受付に移動する。カウンターの後ろの机には、天秤と分銅が置かれていた。普及品の二倍近い大きさだ。
「魔晶石の買取は一番基本的な仕事だ。重さを計って買い取る。支払額はこの紙に書いてある」
渡された紙に目を通す。重さごとに支払う金額の表だ。
それほど難しい仕事ではなさそうだ。
「重さを計る。別の紙に重さと金額を記載する。奥にいる職員に紙を渡す。金を用意してもらったら、あとは後ろの木箱に石を入れれば終わりだ」
仕事の内容自体はそれほど難しいものではなかった。読み書きと計算は屋敷に住んでいた頃に習ったので問題ない。
「何か質問はあるか?」
「いえ、今のところは」
「いいだろう。今日は俺も一階にいてやるから、困ったらいつでも呼んでくれ」
「それは助かりますが、叔父さんも自分の仕事でお忙しいのでは?」
「気にすんなって。こっちとしてはお前がきてくれて本当に助かっているんだ」
バルディオは手でマルクの頭をくしゃくしゃと撫でた。
お世辞だとは思いつつも、マルクは仕事を与えてくれたバルディオに感謝した。
マルクがカウンターの前に立って待つと、ついにギルドの営業時間となった。正面入り口の扉が開き、待っていた探索者たちが入ってくる。
「頼んだぜ」
早速、戦士らしき探索者が、こぶし二つ分ほどの大きさの麻袋をカウンターに置いた。
「ありがとうございます。少々お待ちください」
魔晶石を取り出し、天秤で重さを計る。
紙に重さを記載し、カウンターの奥に持っていく。座っていた職員に紙を差し出すと、金貨三枚を渡された。三万ジェムだ。
マルクはカウンターに戻って探索者に手渡す。
男は顔がニヤつくのを抑えきれない様子で、待っていた仲間と共にギルドを出て行った。
カウンターの後ろに置かれた長方形の木箱に魔石を置く。これで一通りの作業は終わりだ。
ふと、笑い声が聞こえる方へと目を向けるとバルディオが探索者たちと盛り上がっていた。
すっかり当たり前の光景になっているようで、誰も気にしていない。それどころかもっと人が集まってきた。
本人は否定していたが、それでも叔父はヤズルマの探索者たちに慕われているのだ。
このまま何事もなく一日が過ぎればいいと思いつつ、マルクは淡々と業務をこなした。
変化が起きたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
ギルドに入ってきたのは、五人組だった。
見事な金刺繍がされた紺色の外套を羽織る初老の男、そして男を囲うように動く、甲冑を着た騎士たち。
騎士の肩にはエルミナス王国の紋章が描かれた布が括り付けられている。
重苦しい雰囲気を放つ集団を前に、ギルド内が静まり返る。
男は堂々とした様子でカウンターの前にやってくると、周りを見回した。
「探索者と世間話とはいい身分だな、バルディオ」
「こ、これは伯爵様!」
バルディオが慌てた様子で男に駆け寄り、頭を下げた。
「まさかお越しになられるとは」
「自分の領地を訪れるのに貴様に知らせる必要はない。それとも、急に来ては困る理由でもあるのか?」
「いえ、決してそのようなことは」
「このヤズルマは我が国の領土の中でも特に重要な役割を担っている。それは貴様も理解しているものと思っていたが」
ヤズルマのバルドリック伯爵。
マルクは名前だけは知っていたが、直接目にするのは初めてだった。
……この方が、ヤズルマ地方を管理している貴族なんだ。
「もちろんです。アルフレッド殿下からも厳命されております」
バルディオは人目を
バルドリック伯爵は、いかにも気に食わないという様子でバルディオを睨みつける。
「貴様のような傭兵崩れを雇っているのは、殿下の推薦があったからだ。だが、我が領内で好き勝手に振舞うことを許した覚えはない」
「面目次第もございません」
目の前の光景にマルクは複雑な気分になる。もしかしたら、叔父は何か重い罰を受けることになるかもしれない。
叔父は自分の仕事を見守るために一階にいたのだ。直接の原因ではないとはいえ、自分にはそれを説明することができる。
バルディオの態度は決して誉められたものではないかもしれないが、それでもマルクは何かを言わずにはいられなかった。
「伯爵様、どうかお待ちください」
マルクはバルディオと並んで跪いた。
「誰だ、貴様は」
「バルディオの甥でマルクと申します。本日よりギルドの一員として仕事をさせていただいております」
「報告は受けている。それで?」
「叔父は私の仕事ぶりを確認するために、今日だけこの場にいたのです。元を辿れば私のせいです。罰するのであれば、どうか私を」
「…………」
バルドリックはただ目を細める。
マルクはバルドリックの許しの言葉を待つしかなかった。
ほんのいくらかの時間の後、バルドリックが口を開いた。
「己の責務をそれなりに理解しているようだな。だが次は無いと思え」
「ありがとうございます。今後は伯爵様のご期待に沿うよう一層の努力を重ね、職務に専念いたします」
「もうよい。行くぞ」
そう告げると、バルドリックは騎士たちを引き連れてギルドを出て行った。
扉が閉まると、ようやく建物内に喧騒が戻ってきた。
「やるじゃねえかマルク!」
「伯爵の野郎、相変わらずいけ好かねえな」
「わざわざギルドまで来やがって……」
探索者たちから声を掛けられ、ようやくマルクは緊張から解放された。
咄嗟の思い付きの言葉だったが、伯爵には効果があったようだ。
最低でも鞭打ち程度は覚悟していたが、それすらもなかったのは単に運が良かっただけなのか。
「すまなかったなマルク。おかげで助かった」
「いえ。気にしないでください」
バルディオの表情は柔らかくなる。
初日にしては予想外の体験だったが、ひどい目に遭わずに済んでよかったとマルクはほっと胸を撫で下ろした。
「伯爵様は厳しいお方でな。まさかギルドまで視察にくるとは思わなかったが」
「視察はよく行われるのですか?」
「いや? 一年に一回あるかないかだな。たまたま何かのついでに立ち寄ったんだろう」
「そうでしたか」
「まあ、今日は運が悪かったと思って諦めてくれよ」
伯爵への対応については今後も気を付かないと。マルクは忘れないようにした。
ヤズルマの剣士と賢者の地下迷宮 亜行 蓮 @agyoren
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