第7話 酒場にて(2)

 マルクは黙々と食事を続けた。

 辺りからはこれでもかというくらい大きな笑い声が聞こえてくるのに対して、二人のテーブルだけが静かだった。

 いつか、この場所にも馴染めるようになるだろうか。そんなことを考えながら、マルクはワインをまた一口飲んだ。


 ……そういえば、叔父さんとイーリスさんはどういう関係なんだろう。

 イーリスにしろ、ほぼ他人である人間の男と共同生活を送ることを快諾するものだろうか。

 まさか恋人とかじゃないよな。いやまさか。


 ここに至るまでに聞いた話だと、どうやら叔父の私生活はずいぶんと乱れているようだ。うっかり手を付けてしまったという可能性もある。

 

「聞いてもいいですか?」

「なあに?」

「イーリスさんは、その……叔父とはどういうご関係なんですか?」

「ご関係ってほど親しくはないよ。私も調査隊の一員だったから」

「え? イーリスさんもですか?」

「むっ、失礼な。これでも魔法にはそこそこ自信があるつもりなんだけど」

「す、すみません。元調査隊の方が身近に何人もいるとは思わなかったもので」


 マルクは実際に思ったこととは別の、適当な台詞を口にしてお茶を濁した。

 驚いた本当の理由は、イーリスはエルフだが人間であるマルクからしても見目麗しい容姿をしているからだ。

 ……可愛いからそうは見えなかったなんて、言えるわけがないけどさ。

 そんな歯が浮くような台詞を言う度胸は、今のマルクにはなかった。


「イーリスさんは、どうして面識のない僕を店に住まわせようと思ったんですか?」

「深い理由はないよ。あの店は元々調査隊の報酬として建ててもらったものだし、部屋も余ってたから」

「え? それって、家が建つほどのお金をもらったってことですか!?」


 こんな豊かな町に一軒家が建つだなんて、途方もない金額ではないかとマルクは思った。規模こそ小さめだが、冒険譚としては充分に成功の部類に入るものだ。


「あのね、何か勘違いしてるようだけど五年前のヤズルマはとんでもない田舎町だったんだよ。新居を構える人間自体が珍しかった。だから王都みたいな大都市と違って安く建ったよ」

「あっ……そうか」

 

 ヤズルマがこれだけ賑やかなのは、賢者の地下迷宮が発見され、探索者たちが集まるようになったからだ。


 イーリスは自由気ままに暮らしていそうな雰囲気があり、どこかのギルドに所属しているようにも見えない。だから、当時正体不明であった賢者の地下迷宮に行ったのだろうか。


「地下迷宮はどんな場所なんですか? 僕は入ったことがなくて」


 マルクは、何気なく話を膨らませようとした。

 しかし、イーリスは──


「それは私じゃなく、バルディオから教えてもらって」


 冷たくあしらうように言うと、ステーキの残り一切れを口に放り込んだ。


「バルディオは迷宮がどんな場所なのか説明したの?」

「具体的な話は特には……あ、でも絶対に入るなと言っていました」

「そうね。私もそう思う」

「危険だからですか?」

「それもあるけど、あとは……まあ、少しぐらいならいいか」


 イーリスはジョッキに残ったワインをぐいっと飲み干した。少し酔いが回ったのか、その顔はほんのり赤くなっている。


「もう一つは、迷宮そのものが奇妙すぎて何が起こるか予測できないという点」

「奇妙?」

「知ってると思うけど、迷宮には魔物が出るでしょ」

「ええ。魔晶石が採取できるから、倒すだけでも得があると」

「そう。毎日多くの探索者たちが、迷宮に潜って魔物を倒している。それなのに、


 言われてみればおかしな話だと、マルクは思った。

 魔物とはいえ生物である以上、休みなく狩り続ければ個体数は必ず減るはずだ。

 調査隊が初めて賢者の地下迷宮に入ったのは今から五年前。継続して探索が行われているのなら、魔物が少なくなっていなければ辻褄が合わない。


「普通に考えたら異常なことなんだよ。もしも地下迷宮が無限に魔物を生み出すのだとしたら、魔晶石も無限に手に入ることになる。どこの国も鉱山で掘ってるのに、その必要すらない」

「確かに……。この町が豊かなのも、そのせいですよね」

「このヤズルマを治める辺境伯様は、町を盛り上げるのに熱心みたい。街灯はすべて魔晶灯に置き換えられているし、兵士たちも充分すぎるほど配置されていて治安もいい。普通の家ですら魔導具のおかげでいつでも温かいお風呂に入れる」

「それはいささか豪勢すぎる気もしますが……」


 一応は貴族であるマルクの実家にも、生活で利用する魔導具はほぼなかった。明かりは蝋燭ろうそくやカンテラで、湯も薪を燃やして沸かしていた。手軽さには天と地ほどの差がある。


「ヤズルマの住民であれば、魔晶石を安く買えるからね。町の外に持ち出そうとすれば相応の税をかける。おかげで人口は増えるし、どんどん豊かになるって感じかな」


 魔晶石が発する魔力は、火や水など好きな属性に変質させることができる。魔法を使う際に術者を補助する媒体としても利用でき、どんな魔導具にも使える動力源だが、それ故に油などよりも高価だった。


「マルクもお風呂は好きな時に入っていいよ。これからは私と順番で使いましょ」

「それは助かります」

「私の希望でお風呂を少し広めに造ってもらったからね。とっても気持ちいいよ」

「なるほど……それは」


 一瞬だけ、マルクはイーリスが風呂に入っている姿を妄想した。


「楽しみですね」

「今、変なこと考えたでしょ」

「……まったくもってそのようなことは」

「ふーん、まあ別にいいけど。食べ終わったらお店に帰ろうか」


 二人は食事を終えると、酒場を後にした。

 支払いを済ませる際、やってきたのがあの給仕の少女だったので、マルクは顔をまともに見ることができなかった。


 店に着く頃には、すっかり日は落ちていた。

 マルクは、イーリスが扉の鍵を開けるのを待った。


「おっとそうだった。これ渡しておくね」


 扉を開けたイーリスが差し出してきたのは鍵だった。この店の鍵だろう。


「さすがに鍵が無いと困るでしょ」

「ありがとうございます」


 店に入ると、イーリスが魔晶灯を点けた。

 真っ暗だった店内が急に明るくなる。マルクは蝋燭の明かりとも違う不思議な雰囲気に、少し驚いて店の中を見回した。


 その時、ふとカウンターの上に無造作に置かれている品に目がいった。

 バルディオから預かった【賢者の魔導具】──その一つである刀だ。


「先にお風呂に入りなよ。長旅で疲れてるでしょ? タオルも置いておくから」

「え? あ……はい。そうさせてもらいます」


 イーリスの声で我に返ったマルクは、そのまま風呂に向かうことにした。


 そうして、一日目の夜はゆっくりと過ぎていった。

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