第6話 酒場にて

 イーリスの誤解を解かなければと思いながら、マルクは部屋の掃除を続けた。

 積もったホコリを置いてあったほうきで払ってから、店の裏手にある小さな庭で布団をはたく。

 ふと人の気配がして振り返ると、イーリスが入口前に立っているのが見えた。その顔は相変わらずマルクを軽蔑しまくりだった。


「夕飯を食べに行くよ。この町のこと、何も知らないんでしょ」


 ようやくイーリスが口を聞いてくれたので、マルクは先程のことは間違いだったと説明することにした。


「はい。ところで先程のことなんですが」

「もういいよ。人間の男は年がら年中いやらしいことを考えていると分かったから」

「それとんでもない誤解ですよ」


 店の戸締りを終えてさっさと歩き出したイーリスに対して、マルクは必死に釈明を続けた。


「ベッドを掃除していたところで、あの下着が突然飛び出てきたんです」

「なにその魔法」

「そういう意味じゃなくて表現の一種ですよ」

「なるほど。だから手に取ってじっくり舐め回すように観察していたと」

「変な事実を付け加えないでください。隣の部屋に移すつもりだったんです」

「そういうのもういいから……」


 しかし、続ければ続けるほどにイーリスはあわれみの目でマルクを見るのだった。


「そもそも、自分の下着であれば手元に置くなりクローゼットにしまうなりすべきだと思いますよ、僕は」

「はいはいわかったわかった」


 大体分かってない奴の台詞セリフだった。


「ところでマルク、お金は持ってるよね」

「えっ? まあ、叔父にいくらかもらいましたので」

「より具体的に」

「二十万ジェム、ですけど……」

「そう。なら平気。行こっか」


 どういう風の吹き回しか、急に機嫌が直ったエルフの魔女は歩きに軽くスキップを加え始めた。何が平気なのかマルクには理解できなかったが、不穏な気配がした。


 それから十五分ほど歩いて、二人は酒場の前へとやってきていた。開けっぱなしの扉の中からは、大勢の人々の話し声が聞こえてくる。

 イーリスに案内されたのは、メイジャン通りの一つ隣にあるハッター通りの酒場だった。

 看板によれば、この酒場の名前は『聖なる乙女と金の牡鹿亭』だそうだ。由来は知らないが、何かの物語にでもあやかって付けられているのだろうか。


 料理のいい匂いが立ち込める広めの店内は、まだ夕食には少し早い時間ながらもほとんどの席が埋まっていた。小さな通りとはいえ、なかなかに繁盛しているようだった。

 中央に大きな長方形のテーブルが鎮座し、それを囲うように四人掛けの丸テーブルがいくつか配されている。奥に見えるカウンターは裏で厨房と繋がっているようだ。


 客はごく一般的な町人の身なりをした人間のほか、ギルドで見かけたような探索者らしい恰好の者もいる。

 イーリスは辺りを見渡して、それから空いていた丸テーブル備え付けの椅子に座った。マルクも同じようにして、イーリスの対面に座る。


「この店は私のいきつけだよ。料理はおいしいし、食材も新鮮だからね」

「そうなんですか」

「他にも理由があるけどね。周りを見てみなよ」


 イーリスに言われてマルクが周囲を見渡してみると、酒場の中にいる男性客の多くがイーリスの方をちらちらと見ているのに気がついた。


「この酒場を選んだのには理由がある。どうしてか分かる?」


 急に話を振られてマルクは焦った。今に至るまで、そんな話は一切出てこなかったはずだ。

 イーリスが喋ったことといえば、酒場の人間が自分に注目している、ということくらいだ。だとすれば、この酒場とイーリスには何か関係があるのだろうかとマルクは考えた。

 たとえば、この酒場の名前である『エルフの乙女と金の牡鹿亭』。分解すると、『エルフの乙女』と『金の牡鹿』という二つの言葉になる。


 イーリスと無理矢理関連させようとすれば、当てはまりそうなキーワードとしては『エルフの乙女』だろうか。

 店の掃除もロクにしない怠惰たいださに加え、あの漆黒の下着を身につけているこのエルフを乙女と呼ぶにはすさまじい乖離かいりが生じている気がするが、何か理由があるのかも知れないとマルクは思った。


「もしかして、この店の名前に関係が?」

「残念だけどハズレ。正解はね」


 イーリスはずいっとテーブルに身を乗り出して、マルクにそっと囁いた。


「この服装で店の中にいると、結構な確率で人間の男がご飯をおごってくれる」


 信じられないほどクソみたいな理由だった。

 マルクは勝手に壮大な物語を想像していた自分を恥じた。そして、これからは現実を前向きに生きることにした。


「ご注文はお決まりですか?」


 その時、騒がしい店内でも充分に聞こえるほどの大きな声が二人の耳に入ってきた。

 マルクが振り向くと、そこには太陽のように明るい笑みを浮かべた少女の給仕ウェイトレスが立っていた。


 金色の髪を後ろで一つに結い、白と黒を基調とした給仕服の少女──その明るいサファイアブルーの瞳が、マルクをじっと見つめていた。綺麗な顔をしていながらも、まだあどけなさの残る顔立ちから、マルクよりも少し年下に見える。


「ワインと牡鹿定食の大盛りを二人前。あとモルテン牛のステーキを一枚とチーズ盛り合わせ」

「はーい! まいどあり!」


 イーリスがすらすらと発した注文に、給仕の少女は元気よく返事をすると厨房の方へと歩いていった。


「この店の看板料理、その名も『煮込み続ける鹿肉のシチュー』は絶品だよ。料理が出てくるのも早いし、店員も愛想がいいから私のお気に入りなんだ」

「随分と人間の国での生活に慣れてるんですね。もしかして、エルミナス王国の出身とか?」

「違うよ。私はアルフェイムの出身」


 大陸の北西に広がるファルベールの樹海、その奥にあるアルフェイム王国は大昔からエルフたちが治めている土地だ。

 この大陸に住んでいるエルフは、そのほとんどが樹海のどこかで暮らしている。東の地の底に住むドワーフたちよりもさらに閉鎖的で、外に出る者はそれほど多くはない。そのため、人間の国では大都市に行けば見かけるという程度だった。


 イーリスは一体どこに隠していたのか、テーブルの下から少し厚めの本を取り出すと、開いて読み始めた。

 そうして二人とも無言のまま、ただ料理が運ばれてくるのを待つことになった。


 することがなくなったマルクは、カウンターの方を眺めることにした。

 しばらくすると、先程の給仕が料理の載った木製トレイを両手に持ってこちらに近づいてくるのが見えた。うっかり落としてしまわないだろうかと、少しばかり不安になるほどの量だ。


「お待たせしましたー!」


 給仕の少女は明るい声で、次々と料理をテーブルの上へと置いていく。それからすぐに、今度は別のテーブルへと移動した。


 食事が置かれた後も、マルクは自然と彼女を目で追っていた。明るい子で、自分と正反対の性格だからだろうか。

 視線に気がついたのか、給仕の少女は振り向いて小悪魔めいた笑みを返した。マルクは恥ずかしくなり、思わず顔を背けた。


「…………」


 突き刺さるような視線を感じて顔を前に向けると……イーリスがジトっとした目でマルクを見ていた。


「違いますよ」

「まだ何も言ってないけど」

「誤解です」

「言い訳なんて男としてみっともないよ」


 マルクは頭をかかえた。今日は最悪な日だ。

 そんなマルクを放置してイーリスはボトルに入ったワインを木製ジョッキに注ぐと、一息に飲み干した。


「ふう~」


 満足そうに息をついてから、再びワインをどぼどぼと注いでいく。


「私、こう見えて結構お酒飲むんだよ」

「はあ」


 だからなんなんだよ……。

 そう言いたい気持ちと、嫌な予感がマルクの心中を交錯こうさくした。


「嘘をついた罰として、今日のご飯代はマルクの払いということで」

「それ、絶対この店に来る前から考えてたことですよね……」


 呆れながら、マルクはワインを自分のジョッキに注いで一口飲んだ。

 実家で振る舞われていたっぱいだけのものと違い、様々なスパイスの味がしてとても甘かった。

 続いて、赤色をしたシチューを肉と一緒にスプーンですくい、口元へと運ぶ。

 濃い味付けで、肉はほろほろと口の中で溶けてしまうほどに柔らかい。イーリスが絶賛するのもうなずけた。労働者であれば、明日への気力も湧くに違いない。


「本当においしいですね」


 イーリスは別注していたステーキをナイフで切り分けながら、てきぱきと胃袋に納めていく。マルクには一切れも食べさせる気はないらしい。


「ヤズルマには他にもいい店がたくさんあるからね。今度と言わず、明日にでも連れて行ってあげるよ」


 それ単に飯代をタカりたいだけですよね……とマルクは思った。

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