第5話 雑貨店のイーリス

 バルディオからイーリスの店への行き方を教わったマルクは、ギルドを出て再び大通りへと戻った。


「行きたくない……」


 しかし、その足取りは町に来た時と比べてとても重い。理由はやはり、これから向かう先である魔女のもとに行くのに抵抗を感じるからだった。

 マルクは兄レオニールの魔法をこれまで何度も目にしている。何もない所に突然火を発生させたり、水を創り出したりするのだ。

 自慢の息子が魔法を使えることを両親は大いに喜んでいたが、マルクにとっては恐ろしいものに思えた。先の見えない暗闇が怖いと感じるのと同じように、未知のものへの恐怖心とでも言えるだろうか。


 そんな得体の知れない力を扱うことを生業なりわいとするのが魔女なので、マルクが薄気味悪いと感じるのは当然だった。

 実家にいた頃に読んだ本に出てきた魔女が決まって腰の曲がった老婆として描かれていたことも、そんな気持ちに拍車はくしゃをかけた。


 くだんの魔女は裏通りとはいえこの豊かな町に店を開いているくらいなので、長年かけて資金を集めたのだろう。ともすれば、魔女は相応の年齢だろうとマルクは推測した。


 しかしその資金は、本当にまっとうな手段で得たものなのか、はたまた犯罪にでも手を染めているのか……想像したところで段々と寒気がしてくる。


 顔を合わせるのが今日だけならばまだましだったが、これからその魔女と共同生活を送るのだ。わずかでも彼女の逆鱗に触れるような真似をすれば、命取りになりかねない。

 いまさらながら、バルディオからイーリスの素性についてもっとくわしく聞くべきだったとマルクはとても後悔した。


「行きたくない……」


 死んだ魚のような目をしながら力なく呟いたあと、マルクは手に持っている刀の入った麻袋を見つめた。

 魔女に会いたくはないが、国王陛下に献上することになるかもしれないミルディンの魔導具を持っているし、何より自分の下宿先だ。行かないという選択はもうできなかった。

 マルクはとぼとぼと、バルディオに教えられたとおりに道を曲がって、何本か先の裏通りへと入っていった。


 メイジャン通りという名前が正式なものであるこの裏通りは、華やかな大通りから一転してジメジメしていて無駄に暗かった。

 通行人はまったくおらず、路上は掃除もされていない。母親が物心ついた子どもに『あそこには行っちゃだめよ』と一番に教えそうな雰囲気をかもしだしている。


 道の端では顔を赤くした浮浪者らしき男が地面にあぐらをかいて酒瓶をあおっていた。無造作に置かれた木箱の上では、黒猫が大きな黄色い目を光らせながらこちらをじっと見つめている。

 マルクは麻袋を両手で抱えながら、早足で魔女の店へと向かった。


 時間にして二〇分ほど歩いたところで、目的の場所は見つかった。

 縦に長い、町でよく見かけるような三角屋根の二階建て。白い壁から突き出ている鉄看板に『イーリス雑貨店』と書かれていることから、ここで間違いなさそうだ。


「魔女の店だ……」


 もうどうにでもなれ! そう思いながらマルクが扉を開けると、上に付いていたベルがチリリン、と鳴った。店内に入ってすぐさま振り返り、大きな音が出ないように手で押さえながら扉をそっと閉める。


「いらっしゃい」


 不意に背後から若い女性の声が聞こえて、マルクの心臓の鼓動が早まる。

 恐る恐る後ろを向くと──ごちゃごちゃと乱雑に物が置かれた店の中、フリルがあしらわれた白のワンピースを着た少女が、カウンターの上で頬杖をつきながらマルクを見ていた。

 輝くような銀色の長い髪、くりっとした大きな目に黄玉トパーズ色の瞳をした、マルクと同じくらいの年頃の少女だった。

 少女の耳は長く尖っていて、綺麗な白い肌が映える。

 どう見てもエルフだった。


 人間ですらないじゃないか、叔父さん……。


 今頃、バルディオは自分が驚いている姿を想像して笑っているに違いないとマルクは思った。

 マルクは人間以外の種族と話したことがない。だから、このエルフの少女に何をどう話せばいいのか分からず、言葉が出てこない。

 ひとまず失礼のないように接しようと思って、相手を観察することにした。

 じっと見つめるマルクに対して、エルフの少女は頭の上に疑問符ぎもんふを浮かべているかのような表情で首をかしげ、彼を見つめ返した。


「「…………」」


 しばしのあいだ見つめ合ったところで、マルクはそもそもイーリスがどんな容姿をしているのか知らないことに気がついた。

 想像では老婆か何かだと思っていたので、少なくともこの少女はイーリス本人ではないだろう。そう考えたマルクは、店主を呼んでもらうことにした。


「こんにちは。失礼ですが、イーリスさんはおられますでしょうか」

「私がイーリスだけど、尋ねる必要があるくらいに店主っぽくない?」

「えっ……! いや! 想像と違って、とてもお若い方でしたので」

「エルフは人間と比べて寿命が長いからね。それで、私に何か用?」

「申し遅れました、私はマルク・ニブルノアです。叔父のバルディオ・ニブルノアの紹介で参りました」


 マルクが自己紹介をすると、イーリスは「おお」と言って手をポンと叩いた。


「あなたがバルディオのおいね。どんな奴が来るのかと思っていたけど、予想していたよりもだいぶ真面目そうに見えるね。娼館にも入り浸ってなさそうだし」

「行ってませんよ」


 叔父は周囲からどのような人間だと思われているのだろう……。

 マルクは心の底から不安になった。


「私がこの雑貨店の主人、イーリスだよ。これからよろしくね」


 イーリスは頬杖をついたまま片手をひらひらさせて、軽い挨拶をした。あまりにも軽いので、マルクはエルフの流儀か何かだと思った。


 それにしても、てっきり怪しげな老婆だと思っていた魔女がまさかエルフで、しかも自分とほとんど年齢の変わらない少女の外見をしているという事実に、マルクは何とも言えない気持ちになった。


「呼び方はマルクでいい? 私もイーリスでいいから。これから一緒に住むんだし、仲良くやろうよ」

「こちらこそ、ご厄介になります。イーリスさん」


 マルクはイーリスに向かって深々と頭を下げた。


「そんなにかしこまらなくてもいいよ。毎日それだと疲れちゃうでしょ」

「はあ、気をつけます」

「それじゃあ、早速だけどこの家の説明をしよっか」

「あ、その前に……」


 それもあったが、先に自分に課せられた仕事をこなすことにした。

 マルクは持っていた麻袋の紐をほどいて刀を取り出すと、カウンターの上に置いた。


「なにこれ?」

「叔父から預かってきました。鑑定していただきたいそうです」

「バルディオが? 何だかうさんくさいな……呪いとかついてない?」

「ミルディンが直々に作った魔導具だそうです」

「まさか、【賢者の魔導具】? 冗談でしょ?」


 それまで落ち着いた様子だったイーリスは、急に目を大きく見開いた。

 賢者の魔導具が出てくることは、この町ではよほど珍しいことのようだった。


「そんなに珍しいんですか?」

「……まぁいいや。少し見てあげる」

「よろしくお願いします」


 イーリスは刀を両手で持ち上げると、様々な角度から見始めた。

 魔導具の仕組みを知らないマルクにはただ彼女が刀を眺めているようにしか見えないが、実際にはそうではないのだろう。


「ヤズルマ式の剣みたいね」

「鞘から抜けないので、叔父も困っていたみたいです」

「ふーん……」


 イーリスは刀を弄ぶようにあちこち触っていたが、ほどなくして再び口を開いた。


「なるほど。そういうことか」

「何か分かったんですか?」

「何も分からなかった」

「分からなかった?」

「何も分からないということが分かったということよ」


 自信満々にこの人は何を言っているんだろう……。

 マルクは混乱した。


「あのう……それはつまり?」

「言葉通りの意味ってこと。これはミルディンの魔導具の一つで間違いないよ。だから、私には詳しく調べることはできない」


 イーリスはそこまで話すと、刀をカウンターの上に置いた。


「この魔道具を作ったミルディンという奴は、とんでもない天才だったみたい。悔しいけど、魔導具には多少の知識がある私にすら仕組みがさっぱり理解できない。私だけじゃない、今の時代にこれを解析できる人なんていないかも」


 マルクはバルディオがギルドの執務室で言っていたことを思い出した。

 国王陛下に献上された賢者の魔導具は、宮廷魔法使いたちがその仕組みを研究をしているところだと。


 宮廷魔法使いといえば国王直属の魔法に熟達した専門家集団であり、このエルミナス王国で最も優秀な魔法使いたちである。

 そんな彼らですら苦戦するような品に、一介の雑貨店の主であるイーリスが太刀打ちできないのも当然に思えた。


「これはしばらく預からせてもらうね。バルディオには、まあ適当に言っといて」

「は、はあ」


 とても依頼に対する答えになっているとは思えなかった。

 しかし、こうして叔父が大事な魔導具の鑑定を頼むくらいなので、二人がそれなりに親しい間柄だと推測したマルクは、鑑定結果について文句を言わないことにした。


「さて。じゃあここでの生活について色々と説明するね」


 イーリスはカウンターから出ると、すぐ横にある木製の階段を指差してみせた。


「まずは部屋だけど、二階の好きな場所を使っていいよ。荷物がいくらかあるけど、他の部屋に移しておいて。掃除は自分でしてね。下宿させてあげるんだから、それくらい我慢してよ」

「部屋を貸してもらえるだけで充分です。早速見てきます」

「よろしくね。ちょっと早いけど、私は店じまいをするから」

「分かりました」


 マルクは踏めば軋んだ音を立てる階段を上がって、店の二階に移動した。

 二階には扉の付いた部屋が四つほどあった。どこでもいいとイーリスが言っていたので、一番手前にあった扉を開けてみる。


「うっ!?」


 目の前に現れた光景に、マルクは思わず顔をしかめた。

 古びた大杖、書物、チェストボックス、用途不明な道具の数々……果ては脱ぎっぱなしの服までがうず高く積み上げられた部屋だった。

 他の部屋も開けてみたが、どれも似たようなありさまだった。


 マルクは、人間とエルフの種族間における『いくらか』という尺度の相違について学んだ。そうして、どこを選んでも一緒なので、階段に一番近い場所を自分の部屋とするべく片付けを始めた。


 大きな物から順に隣の部屋へと運んでいく。しばらく作業を続けると、ようやく部屋の床とベッドが見えた。ホコリが目に見える程度に積もっているので、シーツなどは替えないとどうしようもなさそうだった。


 木製の窓を開けて換気をする。すぐ下には、ついさっき歩いてきた暗いメイジャン通りがよく見えた。


 とりあえず、寝床の掃除だけは今日中に終わらせないといけない。

 掛け布団はホコリまみれなので、一度外ではたかないと使えないだろう。そう思ったマルクが両手で布団をはいだところで──ベッドの中から黒い布切れが飛び出て、ぱさりと床に落ちた。


「何だろう、これ」


 マルクは布切れを両手で持って、左右に広げてみた。

 黒くて小さい、両端に一組の紐がついた布切れ──女物の下着だった。


 ……これはきっと店の商品だろう。

 いくら人間とは文化が異なるエルフとはいえ、自分の下着くらいはそのへんに放置しないだろうとマルクは根拠なく思い込むことにした。


「ねえ、今日の夕食なんだけど」


 気づかないうちに二階にやってきていたイーリスが、部屋の入口の横からちょこんと頭だけを出してマルクに話しかけ──そこで石像のように固まった。


「…………」


 しばしの沈黙の後、イーリスはものすごい勢いでマルクに接近し、ひったくるようにして手から下着をうばい取ると、数日放置された生ゴミでも見るような目でマルクを一瞥いちべつし、無言のまま階段を下りていった。


「……最悪だ」


 マルクは今の醜態に加えて、これからの波乱に満ちた生活を想像してその場に膝から崩れ落ちた。

 そうしてしばらくののち、部屋の掃除を再開した。

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