かぐやさまは小説家 ―回覧版―
藤光
回覧版
七月。地上では梅雨が明ける、明けないと話題になっていたが、地球から38万キロの虚空を隔てた月の神殿に、夏がやってくることはもちろんなかった。
「あー。退屈」
神殿のあるじ、カグヤは暇を持て余していた。ほとんど住む人のない月面には、時間だけが無尽蔵に存在する。
「なにしてんの、ツクヨミ」
途方もなく広い居間の隅に小さくなってパソコンを覗き込んでいる夫を見つけると、カグヤは話しかけた。じぶんに隠れてひとり楽しんでいるのではないかと邪推したのだ。
「あ」
話しかけられて、とっさに液晶画面を隠してしまったツクヨミは、バツの悪そうな顔。
「なに『しまった』って顔してるのよ。隠さないで言いなさいよ」
すごい顔をした妻からすごまれて、ツクヨミは震えあがった。
「……じつは、三題噺を考えてて」
「なにそれ。ツクヨミってば、読み専じゃなかったっけ。小説を書くなんて珍しいわね――」
パソコンの画面には、カクヨムの自主企画のページか表示されている。
『三題噺の競作』
主催者:藤光
16日後終了
2021年7月31日(土) 23:59まで
お題 「トイレットペーパー」「草」「回覧板」
「あっ。これ藤光の自主企画じゃないの」
「……」
藤光は、かつてカグヤとツクヨミが通っていた(といっても、超光速通信によるオンライン授業だったが)小説家養成学校「カクヨム学園」の同級生であり、カクヨムを中心に活躍する現役のWeb小説家である。
「そうそう! 藤光がKACに『かぐやさまは小説家 ―学園篇―』って投稿した小説読んだ? また、わたしのことネタに書いてたのよう」
「そうみたいだね」
藤光は書籍デビューも果たしており、「わたしのこと」とは、そのとき書籍化された小説『かぐやさまは小説家 ―純情篇―』が、カグヤを主人公に据えたものだったことを指している。
「ことさら、わたしのことをおっちょこちょいに描いてて、失礼しちゃう。また、なにかわたしをネタにやらかそうってんじゃないでしょうね。なになに……三題噺の競作ぅ? 小難しいこと考えてるわね」
三題噺とは、観客に適当な言葉・題目を出させ、そうして出された題目三つを折り込んで即興で演じる落語――のことであり、藤光がやろうとしていることは、これの小説バージョンのようだった(ほぼ、カクヨムの自主企画ページから引き写し)。
「ふうん。藤光にしては、おもしろそうな企画じゃない。で――」
「で?」
とりあえず、ツクヨミはとぼけてみせるようだ。
「書けたの?」
「まだだよ」
あっさり白状した。
きらりとカグヤの目が光る。
「書けてるところまででいいから、見せなさいよ」
カグヤは、ツクヨミからパソコンのマウスを半ば強引に奪い取ると、カクヨムのワークスペースを開いた。「三題噺」と仮タイトルの付けられた下書きがある。カグヤは、下書きの小説を開くと読みはじめた。
「
下書きになっている小説は、行政文書にありがちな、お堅い字句や言い回しに満ちている。読んでいて、まったくおもしろくないのだろう。小説の文体・描写には寛容なはずのカグヤが、眉をひそめて読んでいる。
「なになに……、テラフォームによって月面に草木が繁殖できる環境を整えれば……、地球との貿易によることなく、紙資源の自給自足が実現されることとなり……なにこれ。これをお題のトイレットペーパーと絡めようってわけ? 苦しいなあ。これ、ツクヨミが書いた文章じゃないでしょう」
「え……、あの…」
カグヤは、パソコンデスクの上に出ているクリップボードを指さした。ツクヨミがパソコンの画面とかわるがわる覗き込んでいたものだ。
「そのクリップボード見せてよ。――げっ、アマテラスから回ってきた回覧板じゃん」
クリップボード(回覧板)を一目見てカグヤがつぶやいた。
月の女王、カグヤの姉、アマテラスは、太陽神にして
「姉さんが書いたのかあ。行政官としてはピカイチだけど……。センスないよって、添削断らなかったの?」
「お義姉さんにそんなこと言おうものなら、月面から抹殺されちゃうよ」
無慈悲な支配者というわけだ。
「でも、ほんとでしょ。権力者だからってなんでも手に入るってもんじゃないのよ。知識は教えられても、センスは教えられないからね。姉さんみたいな人は、テンプレが決まってる行政文書は作れても、文体自体にセンスが求められる小説のような文章は書けないのよ」
「カグヤは厳しいね」
ツクヨミもそれを否定しているわけではない。
「言ってあげたらいいのよ。姉さんは小説書くの下手くそだよって。優しいこといってると、カン違いしちゃうよ。だいたい、姉さんは優しいツクヨミに甘えてるのよ」
「そうかい」
「そうよ。わたしに添削させると、文章をずばずば切られたり描写にダメ出しくらって、傷ついてしまうから、そんなことしないツクヨミに読んでもらってるでしょ。ダメ出し怖がって文章が上手になるわけないでしょ。――うーん、これは全面的に書き直しね」
「ぼくが、お義姉さんにそんなこと言えるわけないじゃない」
「わたしがいってあげようか」
「いい、いい。きょうだいげんかには、巻き込まれたくないよ」
そういってツクヨミは、アマテラスの下書き原稿と格闘している。
しばらくは、だまってその様子を見守っていたカグヤだったが……。
「姉さん、この原稿を藤光の自主企画へ送るのかな」
「そうだと思うよ。三題噺の体裁をとってるからね」
「回覧板のお題が消化できていないけど」
三題噺のお題は、「トイレットペーパー」、「草」、「回覧板」の三つである。アマテラスの推進する
「そこもお願いされてるんだよね。『ストーリーと自然に交わるような感じで頼みます』って。でも、お題とストーリーを絡めるって難しくてさ、どうしても詰め込みになっちゃうんだよね」
「そうそう。お題のキーワードだけストーリーから浮いちゃうんでしょ。それって三題噺あるあるよ。姉さんはもちろん、ツクヨミも未熟ね。もう、いいんじゃない、テキトーで」
「だめだよ、そんなのじゃ誤魔化せない。お義姉さん、小説は書けないくせに読者としては鋭いんだから……」
「ツクヨミも言うじゃない」
にやにやとカグヤが笑った。ほんとに楽しそうである。
「いいよ! やっぱり手伝ってあげる。どうせ夏休みの月面は暇なんだし、三題噺の競作じゃなくて、カグヤ、ツクヨミ、アマテラス――三人による小説競作ってことで、藤光の自主企画に乗り込んでやろうじゃないの!」
「それでいいのかな?」
「レギュレーションには書いてないからいいんじゃない」
「……そうじゃなくて
もうカグヤは、ツクヨミの話を聞いておらず、カクヨムのエピソード作成画面の前で「回覧板」がどうの、「トイレットペーパー」がこうのと夢中になって書いている。
「まあ、いいか」
ツクヨミが統治する月面に時間だけは無尽蔵に存在している。
仮にカグヤとアマテラスのあいだに、きょうだいげんかが起こったとしても、時間が解決してくれる……かもしれない。
かぐやさまは小説家 ―回覧版― 藤光 @gigan_280614
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