第7話
今の俺にとって注目を浴びることは恐怖だ。他者からの視線が的を射る矢先に変わる。関わりが少ない人からの声かけは晒し者の証に聴こえる。
昔と違う。
幼い頃の傷跡が残ったまま大人になっていく。
俺が変わったのはたった小さなきっかけだ。
小学生の時、よく見かける一時的な仲間はずれの遊びが流行っていた。あの時は俺と関わりが少ないクラスメイトが遊びの対象になっていた。
あの遊びに対して俺は良い印象はなく、遊びに加わらずにクラスメイトに話かけていた。俺の行動を気にしない人が多かったが、中には一部気に入らない者もいた。
それが積み重なって、ある日『遊び』は『いじめ』に変わった。
そこからは対象のクラスメイトの不登校、クラス内でのいじめのアンケート、先生からの情報収集と転がる様に事態が悪化した。
虐められていたクラスメイトは転校していった。転校前に個別の呼出で、『遊び』の時から今まで仲良くしていたことへの感謝と今までの経緯を聴かされた。そこでようやく自分がこれまでの出来事の原因になってしまったことに気がついた。
ショックなことに気づいたからといって、大きく人が変わったようにこれからの立ち振る舞いが変わる事はなかった。
ただ、心の芯にあるものが恐怖するたびに、気持ちに蓋をする癖がついた。あの出来事から学んだ自分を守る手段だ。
「今日は一段と酔ってるね」
ユリカの声で現実に意識を引き戻される。指の先に先程まで俺に話しかけていた相手がいた。
指摘を受けて、よくよく観察するといつも以上に酔いの周りが速いような気がする。
「たしかに、何かあったんですかね?」
「あれは奥さんだね」
カクテルが入ったグラスごとユリカは俺の隣に席を移動して来た。言葉の端に酔いの雰囲気があるが、酒豪故かユリカは普段とあまり変わらない様子であった。
「はあ……」
「奥さんの具合が良くなってきたんだって」
「奥さん、何か病気だったんですか?」
「脳梗塞だって。頭の方はある程度大丈夫らしいけど、手足がよくないんだって」
ユリカは枝豆に手を付けながら話した。
「なんでも利き手が動かしづらいから慣れるまで大変だったらしいよ。今回の公演出ずにサポートに力を入れようか迷うくらいに」
「それ大丈夫なんですか」
「大丈夫だから今ここでハイテンションになってるでしょ」
「たしかに」
「あとね、奥さんの後押しもあったからね。私は私の為だけに人生を注ぐ人と結婚した訳でなく、『私と貴方』の為に人生を送ってくれる人と結婚したのって口説き文句付きでね」
「良い奥さんですね」
「律儀に毎公演見に来てるくらい旦那さんのファンだね」
「で、それ話して大丈夫だったんですか?」
「井戸端会議好きに話したんだから大丈夫でしょ」
「劇団のトップとしてはどうでしょう……」
「なによー」
ユリカがふざける様に怒ったそぶりを見せる。こちらも負けじとふざけた素振りで怖がり、酔った大人2人でふざけ合った。
大切な人に注ぐだけの人生は素晴らしい。
大切な人に注ぐものと同じくらい自分自身の人生を大切にすることも素敵だとわかる。
似ているが異なる人生の歩み方だと俺は感じた。どちらが良いかと聞かれると、どちらが素晴らしいとか素敵だとか称賛できるほど物事が解っていない。
でも、ユリカの話にあった奥さんの考え方は羨ましいなとほんのり感じた。
その後はあーだこーだと飲み会特有の中身が半分詰まった話が続き、自然と宴の終わりが近づいた。
「今日の公演どうだった?」
飲み屋を出て各々帰路に着く中、ユリカは尋ねてきた。
「何って……本当に成功して良かったと思ってますよ」
「ふーん」
一呼吸置いてユリカは次の言葉を繋げる。
「さっき飲み会で出た話、私は本気で考えてるよ」
「えっ……勝負に負けたらウィスキーをジョッキ呑みするやつですか?」
「する訳無いでしょ!できるけど!」
駐車場近くは人通りが閑散としていて、薄明かりの街頭が歩道と車道を照らす。対面に位置するユリカの影が仄かにコンクリートに映し出されていた。
「あんたの役をもっと前に出るやつにすること」
「ユリカさんもそう思ってたんですね。それは話題の中でお断りしました」
「それはなんでよ?」
「なんでって……」
問いの返しに言葉を詰まらせた。ユリカが質問の答えに食い下がることは今まで何度もあったが、今はいつもより圧を感じた。
「劇団内でも経歴があり、実力もまあまあある。そろそろチャレンジしてみたくないの?」
「絶対に嫌です」
『俺』を知っている人だからこそハッキリ言える。
「嫌な理由は?やっぱりまだ辛い?」
「そうじゃ無くて……」
古傷はもう痛くないはずだ。嫌と言えるもやを漁って言葉を探す。
「……ナオをもっと助けたいから。今まで以上に時間をとられるのは嫌です」
もやから出た言葉は弱々しいものだと思った。でもピッタリと当てはまる答えだと感じた。
「それは本心でいい?」
「……はい」
傷口を庇うための言い訳かどうか。咄嗟に出た言葉に、俺は心の中で半信半疑になりながら言い分を通した。
「わかった。劇団にはいい感じに伝えとくよ」
「えっ」
「だいぶ前から話題に上がってたの。こっちで止めてたんだけど、今日出ちゃったからとりあえずの言質とったの」
「そうだったんですね。よろしくお願いします」
いつもより言葉に齧り付いてきた理由がわかりほっとする。
「おーい、おかあさん!こっちこっち」
ユリカの娘のチサトが駐車場の奥から手を振って声を出していた。飲酒運転をしない様に予め娘に迎えに来てもらう様、ユリカは頼んでいた様だ。
「ユウくん、ありがとうね。ついでに送ろうか?」
チサトは格好をつける様に親指で自動車を指していた。言動にふざける癖が有るのは母親のユリカ譲りだろうかと思った。
「いや、大丈夫。ここから近いから酔い覚ましに歩いて帰るよ」
2人に向かって手を振りながら駐車場を出て行った。
表通りに向かうと建物や街灯などの光でごった返している。真夜中なのに明るい道をのんびりと歩いていた。先程の圧から解放されたからか少し肩の荷が降りて体が少し軽く感じた。
周囲を眺めながら歩いていると目当ての信号を見つけた。もうすぐ信号は点滅して間も無く赤に変わることを知らせていた。
いつもなら急いで信号機に向かって走り込むが、今日はいいやと思った。信号機の注意信号に関係なく、次の青信号を待つためにゆっくりと歩道を歩んだ。
自分を歩む 市ノ咲春 @shino_syun
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