1.2c[物語の書き始めに気を付けること]

 放課後、考察部の部室。


「それじゃ、はじめよっか。」


 夏仍さんはそういうと、録音のスイッチを入れ、マイクに口を近づける。


「今日の論題は一色いっしき文叙ふみのさんの提案により[物語の書き始めに気を付けること]となりました。

 なおこの部室内での会話は全て録音され、十年間保存されます。異議のある方は挙手を。

 ……では発言を許可します。議論を開始してください。」


 堅苦しい文言だ。


「いまのは何ですか?」

「端的に言うなら、考察部としての体裁を保つための呪文よ。」

「体裁ですか。」

「そう、見かけはお喋りをするだけの怠惰な部活なのだから、体裁が必要なのよ。」

「……たしかに。」


 伝統ある部とは言え、今後消滅する可能性は十分にある。部活動として正しく活動していることを知らしめなければならない。


「ま、体裁を整える為にも、論題について話そっか。」

「そうね。」


 入部して初めてだからと僕に課せられた論題の提示は、僕の個人的な好奇心から選んだ。利己的な動機でも良いのかと夏仍さんに聞いたけど、それでいいらしい。


「物語の書き始め、ね。」

「何から話す?」

「個人的には設定とかストーリーの概要とかだと思うんですけど。」

「待って。具体的な内容に入る前に、用語の定義から始めましょう。」

「用語の定義ですか?」

「そう、あなたの言う『物語』は、どういった意味で使っているのかしら?」

「え、物語、ですか?」


 考えたこともなかった。そういえば、タダの文章と物語の違いは何だろう。


「こういうときに、ここの辞書を使う訳だ。

 ……ええと、要するに『人物や事件について散文的に書いたもの』って感じかな。」

「散文というのは韻文ではない、つまり韻を踏んだりしていない文のことよ。」

「となると、登場人物がいない物語は存在しないってことで良いんですかね。

 ……登場人物のいない本?」

「教科書とかは物語ではないわね。」

「あとは……、虫の観察日記とか?」

「観察している人について書けば物語ね。」

「そっか。」

「物語を書くにあたって、登場人物がいる事が最低条件だということですね。そうなると、物語にとって最も重要なのは登場人物ってことですか?」

「そうとも限らないわね。」

「……?」

「物語にとって登場人物は必要不可欠だけれど、物語の面白さに登場人物が必要不可欠だとは限らないわ。」

「……そっか!、木造建築に木材は必須だけど、建築の良さは建築家と大工に掛かってるもんね。」

「いや、……作者が面白い話を書けるなら物語じゃなくてもいいとか、そういう解釈になりませんかそれ。」

「そうね。木造建築で例えるなら、間取りの良さや収納の多さ、そういった生活面での良さを考えると丁度いいかしら。」

「それならわかります。」

「そっか、そっちのほうが良いか。」

「いい木材を使うことと間取りをよくすることは両立できるわね。つまり、物語を面白くする要素も同じこと。登場人物で面白くすることもできるし、ストーリーや設定といった他の要素で面白くすることもできる。」


 物語には登場人物が必須。だけど物語を面白くする要素は登場人物以外にもいっぱいある。


「……それで、書き始めに考えるべきことはなんですか。」

「書き始めってどういう状態なの?」

「そうね……、夏仍は読書感想文なら書いたことあるかしら?」

「あるよ。」

「何を考えて書き始めた?」

「……なんも考えてなかった気がする。」

「そこがただ文章を書くことと物語を書くことの違いよ。」

「だって、読書感想文ってただの宿題だし、物語を書くぞーって意気込んでる時より適当になるのは仕方なくない?」

「僕は割と考え込んで書いてましたけど。」

「それは小説書いてるからでしょ。」

「まあ、そう言われるとそう思いますけど。」

「事実として普段から文章を書いている人は少ない。だから文章を書く前に全体の構成を考える人は珍しいのよ。」

「だよね、私だけじゃないよね?」

「私は先に考える人だけどね。」

「私がまさかの少数派!?」


 文章を書く際に何も考えずに書き始めるのって逆に難しい気がするんだけど、そもそも長文を書く機会ってそれほどない。僕だって小説を書いているからこそ、原稿用紙の一枚や二枚簡単に埋められる。経験として特異な部類なのかもしれない。


「それで、書く前に何を考えるべきですかね。」

「そうね……、何が書きたいかは考えるべきだと思うけれど、それは当然のことだから特別気を付ける事柄ではないかも知れないわね。」

「……いや、重要じゃないですか?、何が書きたいかを明確にするのは。」

「例えば?」

「そうですね……、異世界転生が書きたいって考えたとき、すぐ書き始めると多分失敗します。」

「そうなの?」

「異世界転生って言っても色々ありますから、昔は所謂チート系が多かったんですけど、最近だと悪役令嬢とかが流行ってますね。」

「潮流に乗るかどうかはともかく、しっかり細分化しないと書いている途中で迷いそうね。」

「最近の、いや最近じゃないか。WED小説って基本的に出落ちが多い気がするんですよね。

 例えば……『転生したら妖精でした』だと、一話でタイトル回収されるでしょうね。その後の話を全く考えてなくても一万字くらいは書けると思います。」

「はーすごいね。私は書ける気がしない。」

「タイトル回収を複数回行う手法が使えそうね。」

「冒頭だけじゃなくですか?」

「そう。転生した直後にタイトル回収の一回目が起こるのはわかるとおもうのだけれど、タイトルが過去形であることを利用すれば、もう一回タイトル回収できるわ。」

「うーん……?」

「そうか!、妖精じゃ無くせばいいんですね!」

「そう。」

「え、どういうこと?」

「妖精じゃ無くすんです!、人間だった主人公が転生して妖精になったのと同じで、妖精だった主人公が人間に戻るんですよ!」

「つまりタイトルを『転生したら妖精だったけど前世の知識で人間に戻りました』という意味だと解釈するのよ。」

「……あー、なるほど。話の最後にタイトル回収を持ってこれるんだ。冒頭で回収してその後はダラダラ続いているだけより面白そう。」


 確かに、物語の最後辺りでタイトルの意味が分かるストーリーは面白い。


「これは設定の面白さになるんですか?」

「構成の面白さだと思うわ。妖精という種族の設定が面白いなら別だけど、最後に人間に戻るというのは物語の構成に当たるんじゃないかしら。」

「……つまり、冒頭の話と終わりの話を考えてタイトル付けるのが、物語の書き始めに気を付けること、ってことでいい?」


 そうだった。論題を忘れていた。


「それだけではないと思うのだけれど、重要なことだと思うわ。」

「僕も賛成です。」

「それなら、今日の考察のまとめに入ってもいい?

 ええと……、物語の書き始めに気を付けることは、冒頭と結末を考え、タイトルを付けること。理由は結末でタイトル回収が成されると面白いから。

 他に何か意見はありますか?」

「一つ。」


 紅椛さんが手を上げる。


「冒頭で一度タイトル回収をする理由は、タイトルを見て読み始めた読者の期待を回収するため。途中で読むのをやめてしまわないようにね。」

「意見ありがとうございます。

 他には……、ないですね。

 では本日の考察部の活動を終えたいと思います。」


 夏仍さんはそういうと、録音のスイッチを切った。部室に静寂が訪れる。気の休まる空気だ。


「……どうだったかしら、文叙ふみの。」


 紅椛さんがこっちを向いて微笑んでいた。思わずドキリとする。


「あ、えっと、そうですね、有意義な時間だったと思います。」

「固いわね。」


 目を逸らして答えると固いと言われる。ちゃんと返答できないのはあなたの所為だ。


「議論しているうちは話せていたじゃないの。」

「そうですけど、話す内容が決まってない方が話しにくくないですか。」


 目を合わせて反論する。


「……紅椛が楽しそうでなにより。」

「なに?、夏仍は楽しくなかったの?」

「いいや。紅椛が人とちゃんと話してるだけで私は楽しいよ。」

「コミュニケーションに障碍しょうがいがあるかのように語るのはやめて。」

「それならクラスメイトとくらい話せるようになりな!」

「……。」


 ……え。紅椛さん?



「僕が書いてる小説って、動機は何だっけ。」


 今日の活動を元に自分を振り返ろうと思ったけど、思い出せない。シャンプーまみれの頭をマッサージしながら苦悶する。


「自分ならこんなのより上手く書けるとかそういう動機だっけなぁ。」


 不純というか現実を知らなすぎるというか、あまり信じたくない動機だった気がする。それでも、今も面白くて続けてるんだから、動機はどうでもいいのかも知れない。良くも悪くも小説の評価に作家は必要ない。


「……うまくなりたいなぁ。」

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僕と考えるヒロインの定理。 斜めの句点。 @constant

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