僕と考えるヒロインの定理。

斜めの句点。

1.

1.1o いざ考察部。

 僕は小説を趣味で書いている。


 人間がもつ言語が動物の鳴き声と異なるのは、単語を組み合わせて文章を構成できることだ。

 「天敵がきた。危険だ。」という情報と伝えために、鳥などの動物は「ケェー」などと鳴く。「天敵がどこかに行った。安心。」という情報を伝えるために「ケーッケ」と鳴く。


「だから、小説を書いているあなたは、人間としての能力をいかんなく発揮しているわけね。」

「なんですか、その褒めかた。」


 僕は考察部のパイプ椅子に座っている。


「小説の感想が欲しかったのでしょう?」

「小説の感想なんですかこれ。」

「……内容については、口を噤みたいのだけど。」

「なんで。」

「面白くない。」

「う。」


 あまり表情を変えない彼女とはいえ、面と突き付けられると、言葉が心に深く刺さる。


「短編小説でよかった。これを一冊分書かれてたら途中で読みやめてしまっていたでしょうね。」

「う。」


 実はもっと長々と書いていて、その冒頭だけ持ってきたんだけど、


「これ、実はもっと長いでしょう?」

「なんで判ったんですか。」

「面白くはないけれど、続きを想定している内容ではあるわね。」

「面白くない面白くないって畳みかけないでくれます?」

「事実を述べてくれる人間は貴重よ。怒ってくれる人を大事にしないさいって言葉があるけれど、年を取ると無暗に怒れない理由が判るわ。つまびらかに意見を言ってくれる人は貴重よ。」

「2歳差でなにを。」

「それならあなたは中二と同じなのかしら?」

「……。」


 考察部の部長なだけはある。黒鐘くろかね紅椛もみじは実に考察部の部長らしく、僕の考えを否定する。


「それで、あなたは考察部に入ってくれるのかしら?」

「……はい。僕が聞いていた通りの部活だってことは判ったし、入らない理由はありません。」

「それなら私はあなたを歓迎するわ。考察部へようこそ。」


 そういって、黒鐘紅椛はテーブル越しに手を差し出した。



 僕は高校に入学した初日に考察部の部室を覗いていた。


「……誰もいない。」


 考察部は私立七式部ななしきぶ学園が有する、特色ある部活動の一つだ。僕がこの高校に入学した理由の一つである。

 比較的短かった気がする入学式、そのほか諸々の手続きを終えて、さっそく部室に来てみたわけだが、誰もいなかった。というか。鍵がかかっているのでドアの前で立ち尽くしていた。


「今日は帰って明日また来るか。もしくは誰が来るとも知れずに待ち続けるか。」


 僕はタイトなスケジュールを持たないのだから、十二分な時間を消費して考えてみる。明日に繰り越す手段が最も真っ当だろう。でも、今日のこの時間は毎日のように空いておらず、あと数分待つだけで部室が解錠され、部活動が始まるのかも知れない。


 廊下の向こうから、校舎の廊下と高校の上履きが鳴らす足音が聞こえた。向くと一人の女学生が歩いている。 

 彼女は僕を視認すると、小走りに駆けよってきた。僕は無言で頭を下げる。


「……ええと、もしかして考察部に用事?」

「あ、はい。そうです。ここですよね。」

「それは合ってる。紅椛の知り合いとかだったり?」

「いえ、考察部に興味があってきたんですけど、考察部のかたですか?」

「そうだよ。それより、興味があるってことは入部希望?」

「まだ決めたわけではないですけど。」

「へえー、ほおー。」


 なんだか身なりを眺められている気がする。それほど耐性がある訳じゃないので気恥ずかしい気持ちがある。ただ羞恥は一過性だ。必要なら甘んじて受けよう。


「上履きの色からして新入生。制服は着慣れてない感じ。荷物は多め。中身は教科書かな。……あってる?」

「え、ええ、まあ。」


 なんだか表面上の情報から話軽いことを並びたてられた。考察部ってそういうこともするのだろうか。


夏仍かよ、新入生に絡んでなにしているの?」

「あ、紅椛!、入部希望者だよ!」

「……本当に?」


 後ろから奇麗な人が現れた。黒く長い髪が、なぜか美しく見える。怖さを感じない無表情から、近寄りがたい圧が覗く。


「……はい、入部希望です。」

「そう、それなら部室を見学していくといいわ。鍵を開けるわね。」


 そう言われ、僕は部室のドアの前から身を引き、解錠されるのを待った。

 がちゃりと響き、慣れた手つきでドアを開放すると、部室の中の椅子に案内された。座って室内を眺めると、色々な本が並んでいる。中央を陣取るテーブルには、3人分のマイクと性能の良さそうなノートPCが置かれている。


「棚が気になる?」

「はい。」


 対面に座ったモミジと呼ばれた女学生は、僕を真っ直ぐ見定めている。前言撤回して、やはり怖い人かもしれない。


「ここは考察部の部員が使えそうな書籍を持ってきていて、並べているわ。下の段ボールには昔の部員が記録していたCDが入っているけれど、見返したことはないわね。」

「CDですか。」

「そうね。最近だとSSDに記録しているから、棚が要らない位に圧縮できているのよ。」

「CDだと、1GB入らないですよね。」

「650MB、700MBね。」

「SSDはTBですか。」

「そう。1024倍入るわね。」

「CDが1000枚か、整理するのメンドそう。」

「1日に1枚使ったとしても年間200枚程度よ。」

「……すると、もしかしてCD以降のデータは全てSSDに入ってますか?」

「ええ。16TBのSSDを経費で買ったから、動画撮影でも始めない限りはこの一つで事足りるわね。」


 そう言って、ノートPCにUSB接続された黒い箱を指さす。考察部のこれまでの活動のすべてが詰まっているあの箱の価値は如何ほどか。



「……それで、入部希望というのは本当?」

「はい。」

「部員は私と夏仍の3年生二人。女子だけになるのだけれど、大丈夫かしら?」

「活動内容からして会話しない選択肢はないし、私たちも話しやすいようにするけど、何かあったら言ってね。」


 モミジさんとカヨさんが実情を話してくれる。確かに、不安はある。しかし人の少ない部活動に赴く上で考え抜いていた事象だ。3人の部活動なら、性別が統一されるか、ひとりぼっちか、この二択。目的に達するために必要なら不安は耐えるべきだ。


「そこは問題ないです。それより、部活内容を見学させてくれませんか。」

「見学?」

「そうです。

 ……うん、僕が考察部に入りたい理由から話しますね。」


 そうして僕は小説について語り合う人間が欲しいことを告げた。



 その日の夜、温かい湯に浸かって今日のことを思い出していた。


「……いや、あんなにボロクソに言われるとは。」


 あの部室内にいるうちは緩やかな緊張によって落ち込みはしなかったが、振り返ると褒められた記憶が殆どない。頑張ったで賞しかもらえなかった。

 

 ボロクソに評価してくれる人間が貴重だという論には同意する。

 僕が小説を誰にも見せてこなかったのは、正当な評価をもらえないことがありありと分かっていたからだ。加えて出版社に持ち込む勇気もなく。


 どうでもいいことを議論する場が僕は欲しかった。たかだか友人は、何度も何度も議論すると友人でなくなってしまう。勉強に関することですら話し合えない友人に、高望みはしていない。


「明日が楽しみ。」


 勉強について悩んだり同級生について悩んだりすることも無く、楽しみで満たされた高校生生活の始まりは非常に幸福な境遇であるのだから、僕は幸福だ。しかしこのことに気付くタイミングはまだ先の話。


「それにしても紅椛さん、奇麗だったなぁ。僕も髪伸ばせばあんな風になれる?

 ……ないか。」

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