サンセットオッサントドラゴン

弓チョコ

サンセットオッサントドラゴン

 陽が、暮れる。


「きるるる……」

「む?」


 ふと聴こえた音の方へ振り向く前に、涙を拭いて。


「きるるるる……」


 見ると、夕陽が目の前にあった。


「おわっ」


 それは音ではなく声だった。驚いて一歩、いや二歩ほど後ずさる。それは不思議な見た目をしていた。


 砂や泥で所々汚れているが、赤焼け色の鱗で覆われている。

 高さは俺と同じくらい。175と言ったところか。しかし頭から尻尾までの全長は、300は下らないだろう。

 真っ黄色な眼と、猫のように縦長の瞳孔。『きるる』と何かを擦っているような鳴き声は、大きなワニのような口から発せられている。

 後頭部に牡鹿のような角。首は細長く、しなやかに曲線を描いている。その代わり胴は太くがっしりとしていて、4本指の脚の爪などはまるでナイフのように尖っている。

 尾も長く、体長の半分はある。ぺたんぺたんと忙しなく動いている。


「きる……」

「……お前……」


 そして『竜』に本来あるべき、これだけは外せない『最強生物の証』である、翼は。

 広げるとゆうに500はいこうかという大きさだ。今はコウモリのそれのように畳まれており、背中の上に収納されている。


 が。


「怪我、してるのか」


 左側の翼が、畳まれてはいるが歪んでいた。根本。付け根の部分が折れ曲がっている。

 俺は竜の身体に詳しくはないが、骨折していることはすぐに分かった。こいつは、飛べないのだ。

 野生の竜は気性が激しいと聞く。こいつに鞍や馬銜が着けられていないことを見ると、野生であるのは間違いないみたいだが。


「……くぅるるる」


 随分と大人しい。いや、弱っているのか。弱く嘶いて、俺に近付いてくる。警戒心が無いのか、俺に敵意が無いことを野生の勘か何かで悟ったのか。


「…………俺も、泣いてたんだ」






――






「今更何しに帰ってきたのよ、この役立たず!」


 この日は妻の命日だった。俺は毎月欠かさず、月命日に参っていた。もう、それくらいしかやることが無いからだ。

 妻には迷惑を掛けた。確かに戦争中であったとは言え、妻と娘を放ったらかして戦地へ行き、敵兵を殺していた。家には寄り付かず、妻が流行病に冒されたことなど知らずに。国の為。家族の為にと、人生を捧げるように戦っていた。


「……あなた」


 戦争に勝ち。意気揚々と帰ってきた時には。

 全て遅かった。


「あなた」


 何度謝っても、許してはくれなかった。ずっと微笑みながら、俺へ喋り掛けていた。妻は頭の中をやられていた。そういう病だったらしい。


「わたし、はね」

「!」


 最期に。一度だけ。

 俺の声が届いたのか、会話を返してくれた。


「……誰かの――……」


 年甲斐もなく、みっともなく。大声を出して号泣した。妻が何と言ったのかも、自分の叫びで聞こえなかった。


 知らない間に嫁に行っていた娘には散々、罵倒された。

 『役立たず』と。






――






「こっちに来てたか。随分と逃げ回ったな。無駄に」

「!」


 続いて、若い男の声がした。声色から分かる。楽しそうだ。それは竜の後方からやってきた。


「ん? 誰だオッサン。何してんだ。地味に」


 その男は、俺を見下してそう言った。別の竜の背に乗って、手綱を引いている。灰色の鱗の竜だ。種類なんかは詳しくないが、怪我をした赤焼け色の竜より倍ほどの巨体だった。


「……ただの墓参りだ」

「そか。謎にな」


 鞍がある。だが軍服ではない。となると竜騎士ではなく、野良の竜乗りか。竜は総じて気高く、認めた者しか背に乗せないと聞くが、その基準は人間には図り知れない。訓練を受けた兵士でなくとも、認められることはあるのだろう。


「悪いけどオッサンさあ。そこの仔竜、俺の獲物なんだわ。足止めしといてくれてサンキュな。何気に」

「獲物だと?」


 このような軽そうな若者であっても。


「そうそう。『サンセットスケイル』なんざ、稀少でよ。高く売れるんだわこれが。けど勿論、速すぎ強すぎで中々捕まえらんねえ。群れから仔竜を引き離して怪我させて、大変だったんだぜ。地味に」

「…………にいちゃん」

「あん?」


 竜については、詳しくない。俺は長年兵役していたが、竜騎士にはならなかった。手続きがややこしいと聞いたからだ。妻と娘の為に手っ取り早く稼ぎたかった俺は、専門の教育機関の卒業が必須らしい竜騎士の道には進まなかった。


「にいちゃんが竜乗りなのに、他の竜を捕まえて殺して、鱗を剥いで売るのか」

「ははっ。そりゃアンタ。人も人同士で戦争してるだろ。臓器だって捌いて売る。竜だって当然、同族同士殺し合うぜ。派手にな」

「…………なるほど」


 恐らく。

 竜のことを扱う、国の法律では。竜より人が保護されるのだろう。人の国であるから。


「きる……るる」


 この若者がやっていることは別に犯罪ではなく。俺が今からやろうとしていることは人間からは非難されるようなことなのだろう。


「可哀想だとは、思わないのか」

「はぁ? だっはは! オッサンのくせに純情だな!? こちとら仕事だぜ!? そもそも『飛んでこそ』の竜! 『空の王者』『最強生物』だろ! 翼の折れたそいつはただの『役立たず』だ。なら俺が金儲けに使ってもバチは当たらねえどころか、利用価値があったと感謝して欲しいね。派手にな!」

「――!」


 こいつは。この竜は。

 俺と同じで『役立たず』らしい。






――






 人に調教された竜は、命令があるまで動かない。俺は竜という生物の生態には詳しくないが、『竜騎士との戦い方』は熟知している。


「がっ!?」


 まず、竜を操る手綱を切る。戦争が終わったとは言え、まだまだ物騒だ。町外れの墓地へ行く時は必ずナイフを持ち出している。革製の丈夫な手綱だと分かっているが、俺のナイフ術もまだ一応は錆付いていないらしい。


「は!? この――!」


 慌てて伸ばしてきた腕を捕まえて、引きずり下ろす。関節を捻って、遠心力でぶん回す。昔は得意だった軍隊式格闘術だ。


「ぐはぁっ!!」

「ぐるるるっ!!」

「止まれ」


 主人の危機を察知した灰竜が唸るが、ナイフを即座に男の首筋にあてがう。


「ぐる……!」


 すると大人しくなる。竜はとても賢い。『ナイフが武器』ということを理解しており、『自分が動けば主人が死ぬ』ことも理解できる。


「…………」


 投げ飛ばした時に、腰を痛めた。これはブランクがあったな。物凄く痛い。が、我慢して何ともないフリをする。勘の良い竜に悟られてはいけない。

 男は既に気絶していた。完全に不意打ちだった。正面からやり合っていれば恐らく負けていただろう。この筋肉。体格。若く立派だ。日に日に衰えを感じる俺とは大違い。


「そら。連れて行け。もう来るなよ」

「……ぐるるァ!」


 そいつを背に乗せてやる。すると灰色の竜は一目散に去っていった。竜とは本当に賢い生き物だな。


「…………何をしてんだか俺は。あいたた……」


 痛めた腰をさすりながら、振り返る。


「きゅるるぉっ」

「む」


 サンセットスケイルとか言っていたか。こいつの声色が変わった。お礼を言っているのか。


「……――違う」


 その真っ黄色の瞳に。影が映った。背後だ。俺も振り返る。


 まだギリギリ、夕焼け空だった。もう沈む。その、数秒。俺の目に飛び込んできた。






――






 赤焼け色の鱗が夕陽で反射し、黄金に煌めく『群れ』が、夕空を飛行していた。群れだ。100や200の竜の群れ。遠くの方に。夕陽を目指すように。


「きゅるるぁおっ! きゅるあ!」

「…………」


 仔竜はしきりに鳴きながら、腕や怪我していない方の翼を動かしている。尻尾は先程より荒ぶっている。

 俺はしばらく見とれていた。野生の竜の、それも稀少種の群れを見たのだ。こんなのは初めてだった。


「……あそこに、帰りたいのか」

「きゅるるぁ!」

「……飛べない竜は役立たず。らしいな」


 ――わたし、はね。


「怪我。手当してやるよ。俺は医者じゃないが、最低限はできる。これでも退役軍人でな」

「きゅるるっ」


 ――誰かの――


「お前はこれからも狙われるだろうな。怪我が治るまで、場所を移動する必要がある。……なあ」

「きゅるるっ! きゅるるぁっ♪」

「分かったのか。賢すぎだろ。嬉しそうな声出しやがって」


 陽が、暮れる。

 妻に先立たれ。娘には愛想を尽かされて。だが俺はまだ。


「行こうか。竜には、詳しくないんだがな」


 ――誰かの為に頑張れるあなたを、好きになったんですよ。


 人生100まで。

 後半戦が始まったばかり。

 俺の人生はまだ、これかららしい。

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