第28話


要塞への道のりはあっという間に過ぎた。到着した要塞砦は山岳地帯を挟んで隣接する小国群からの侵入を防ぐため、五十年ほど前に作られたものだった。砦を囲む城壁はコリエのものと比べて老朽化が進んでいるものの、その堅牢さは健在していた。


いくつもの軍事品と共に砦に入ったユレン達第四志願兵隊は、軍事品の運搬作業と仕分けで一日目を終えた。明日からは実際に任務に着くことになっていた。


夜も更けた頃、与えられた宿舎の一室にてユレンは変な緊張を感じていた。本格的な殺し合い。その興奮か、恐怖か。色んな考えが濁流の如くユレンを襲う。


前線へ向かった志願兵たちは既にペーゼとリヴォニアの国境を越え、既に入国している頃だ。戦争は始まり、二国の猛攻にペーゼ・リヴォニア軍は前線の維持すらままならない現状である。現在ペーゼは二国から挟撃される形で攻撃されており、マリオラによる都市部への嫌がらせや治安悪化を誘う作戦により、既に軍の動きを操作されていた。


そこへ狙われたモージバオラによる一斉攻撃。ペーゼ西部はその攻撃により一週間で主要都市を二つ失うという甚大な被害を出していた。西部の都市はあと二つしか残っておらず、既に首都へその凶刃が近づきつつあった。ペーゼ首都への攻撃は時間の問題であった。


いつの間にか寝てしまっていたのか、目が覚めた頃には朝を迎えていた。ユレンは部屋を出て砦の塔の上から目前に広がる山々を見る。日はまだ昇っておらず早朝のまどろみと肌寒さが残る時間帯だが、ユレンの意識は不思議と覚醒していた。ここを超えたらリヴォニアではなく小国群の紛争地域、いつどこから敵が現れるか分からない戦場である。


言いようのない緊張はユレンにとって初めての経験では無い。この世界に生まれユレンとして生を受けいつの間にかこんなところまで来てしまった。ユレンが望んでいたこととは裏腹に、世界は変わり続けた。


「ユレン、こんなところでなにしてる」


声をかけられ後ろを振り向くと壮年の志願兵のリガンがいた。元冒険者である彼は第四志願兵隊の中でも実力者の一人であり、冒険者時代に培われた知識は豊富で隊の中でも頼りになる存在だった。


「リガンさんこそどうしてここに。まだ日が昇ってすらいないよ」


「リガンでいいし、敬語も使わなくていい。……なに、単に目が覚めてしまっただけの気まぐれさ。ユレンは確か初陣だったな、緊張するだろうが肩の力を抜いておけよ」


「……簡単に言うな、殺し合いをするんだ」


ユレンは遠くを見つめたまま腰にある剣を撫でる。


「ま、殺しに楽観的なやつらよりはいいさ。……それより聞いたか?ここいらには既にマリオラから野盗たちが侵入して付近の村村を襲ってるらしい」


リガンの言葉にユレンは頷く。既にこの地域にはマリオラから流れてきた野盗たちがいくつも拠点を形成し軍と衝突している。野盗とはいえその集団の数は脅威であり軍の隙をついては略奪のかぎりを尽くしていた。


しかし、リヴォニア軍はこれに対し多くの軍を派遣することが出来ずにいた。マリオラ本軍の軍勢が不明だったからだ。リヴォニア軍を派遣し砦の防衛戦力を減らすことを恐れたのだ。もし砦を奪われてしまうと、マリオラにリヴォニア侵攻の拠点を与えることになってしまうのだ。


「砦内の軍は動かせない。そこで俺たち志願兵の出番って訳だ」


第四志願兵隊に求められる働きは主に二つ。付近の村を荒らしている野盗たちの撃退とその拠点の発見だ。新兵の多い志願兵たちに拠点の制圧は難しいと判断され、拠点を見つけ次第リヴォニア軍隊による早期制圧作戦を実行するという計画になった。

昨日のうちに志願兵隊は十人程度の分隊に分かれており朝礼が終えた後任務に入る手筈だ。


「リガンは……緊張とかしていないのか?」


「緊張してない訳では無いが野盗や盗賊の類は冒険者時代に数え切れないほど相手をしている。大規模な戦闘ならともかくこれくらいの小競り合いなら何の心配もないな」


この世界の冒険者の仕事は多様である。魔物討伐、トレジャーハンター、果てには傭兵や賞金首ブラックリストハンターなどもいる。己の夢を追うもの、それが冒険者である。


「ユレン、殺すのを遠慮したら簡単死ぬぞ」


リガンはユレンにそう呟いた。彼の目は真剣なほど真っ直ぐユレンを見ており、その力強い眼差しに怯みながらもユレンは口を開く。


「……魔物とは違うんだ、躊躇うのが……普通だろ」


「あぁ人間さ、はな」


リガンは合わせていた目を少し逸らす。その瞳からは光が消えていた。


「?」


ユレンはリガンの言葉に首を傾げる。そのリガンの様子にユレンが何か聞こうとした瞬間、砦内全体に響き渡る朝の鐘の音が聞こえた。リガンは鐘が鳴ったのを聞くと踵を返し塔の階段を下っていく。


「まぁ時期にわかるさ。飯でも食おう、腹減っちまった」


「あ、あぁ」


ユレンは拍子抜けした様子でリガンの後を追う。しかし、ユレンはリガンのその言葉の意味をすぐに理解することになる。



―――――――


朝食の時間になる頃には砦内の兵士たちがは起き出しており、食堂からは人が溢れ出すほどの賑わいを見せていた。ユレンは薄味の麦粥と塩漬けされた野菜で朝食を終えると、武器防具を身につけるために与えられた寝室に戻った。同室の兵士たちはまだ食事中なのか誰もおらず、人目を気にすることなくユレンは装備を身につけていった。


普段着の上から皮でできた防具を着込み、心臓を守る鉄の胸当てと両膝を守る膝当てをつける。左腰には長剣を帯び、背中側には短剣を横につけ、最後に狼毛皮のマントを羽織る。


「よし」


自分の身を飾る物々しい装備に満足し、ユレンは軽く笑みを浮かべる。哨戒任務のため荷物になる槍はそのままに部屋に残し出る。


ユレンが砦の広場に着いた頃にはハバル中隊長やクシュオといった隊長格の兵達がすでに集まっており、恐らく今日の任務について説明を受けていると予想出来た。ユレンが手持ち無沙汰であるのもつかの間、次々に集まる志願兵たちに挨拶をしていると集合がかかった。


「これより哨戒任務に入る!各員分隊長の指示に従い行動すること!敵隊を発見した際は深追いせず警戒に留まるようにし、分隊のみで戦闘することは控え情報収集を第一に考えろ。接敵することもあるかもしれないが訓練を乗り越えた君たちなら十分戦えるはずだ、各隊の活躍に期待している」


「「「はっ!」」」


ハバル中隊長の号令が終わると志願兵たちは二十人程度の分隊となり次々と砦を出発して行った。


「よし、みんな準備はいいな。まぁあまり気を張るな、敵を発見するまではただの散歩さ」


分隊長となったリガンの言葉にユレンとその周りの志願兵は笑みを浮かべ頷く。元冒険者であるリガンは志願兵の中でも信用に足る実力の持ち主であるため隊の表情は軒並み明るかった。


砦の門の外には既に兵の姿はなく、各隊は既に哨戒任務に出ていっていた。昼前の落ち着いた天気は心地良く、広がる草原とそびえ立つ大きな山岳の景色が自然の美しさを感じさせた。


「ユレン、同じ隊だったな」


横から話しかけてきたリガンの表情はどこか明るく、ユレンと同じ隊だった喜びなのか嬉しそうだった。


「よろしくリガン。ところで俺たちはどこへ向かってるんだ?」


「俺たちは砦より東にある林付近を見回る予定だ。付近には林業で生計を立てている村があるらしいから今日はそこを目指そうと思う」


「そっか……。何事もなければいいな」


ユレンは憂いを帯びた顔つきを見せる。ユレンにとって辺境の農村は馴染みの深いものであり、そこにある暮らしは簡単に想像出来た。辺境の農村ともなると防衛能力など皆無に等しく野盗などの襲撃にあえば被害は免れないだろう。


「ここ三日ほどでは西側で野盗の発見情報が多いらしい。だからか東にはあまり見回りを出していないそうだ」


「西に兵力が集中してる分こちら側も危ないかもしれない」


リガンはそうだな、と呟くと駆け足での移動を隊に命令する。ユレンの心配が杞憂ならばいい。実際、東側から野盗の報告はあがっていないのが現状である。しかし、いないという確証はどこにもなく、ユレンの不安は伝染するように隊の中に広がって行くのだった。


―――――――


「はぁ、はぁ……」


砦を離れてしばらく経ち既に日が真上にあがった頃、ユレンたちは林の中を移動していた。周りは鬱蒼としており、どこかに人が隠れてもおかしく無いという緊張感が隊の中で漂っていた。また木の根がそこら中に張っていることで地面が隆起して歩きづらく、普段以上に体力を消耗していた。


「……少し、休憩を取ろう」


リガンの言葉に兵たちは小さく頷き、近くの木を背に座り込んだ。ユレンも堪らず腰を下ろすと、皮水筒を取り出し勢いよく水を飲み込む。兵の中には軽く腹を満たすもの、中には既に水を飲み干してしまった者が複数いたためユレンは魔法で水を出してやる。


「ありがとよユレン。しかし哨戒任務だから楽かと思ったらそうでも無いな」


「林に入ってからは特に疲れるな。草木の葉音にいつも以上に反応しちまう」


志願兵たちは一ヶ月におよぶ訓練を乗り越えたため、体力には自信があったはずだった。しかし、地形や精神的不安による疲労は新兵たちにとって初めての経験であり思いもよらぬ苦戦を強いられた。


「……あれ、リガンは?」


ユレンは辺りにリガンを含め数人いないことに気づき、周りを見渡す。


「リガンたちは辺りを少し見回るらしい。同じくらい疲れてるはずなんだけどなぁ」


「元冒険者のやつらはこうゆう場所に慣れてんだろうな、敵わねーや」


ははは、と休んでいる兵たちは笑う。ユレンはそんな雰囲気につられ静かに笑みを浮かべるも、リガンたちとの目に見える実力差に強く拳を握りしめた。


と、その時大きな葉音がユレンたちの方に近づいてくるのを聞き取る。志願兵たちは勢いよく立ち上がると武器に手をかけ音の鳴るほうへ意識を向ける。


「待て待て、俺は味方だ!」


そう言いながら現れたのはユレンたちも知る志願兵の一人だった。その姿を見てユレンたちは武器から手を離し、静かに息を吐き出す。


「なんだよ脅かすなよ、こちとらお前らと違って体力がなくて休憩してたんだぞ」


「悪かったよ。んなことより緊急なんだ、もう少し行ったあたりに焚き火跡があった。しかもかなりの人数分」


その言葉にユレンたちは驚愕で顔を染める。


「野盗のなのか?」


男はとりあえず来いと言うとすぐさま踵を返し走り出した。ユレンたちは置いていかれないようにすぐさま荷物を持ち、座っていた者に声をかけてから追い始める。走り出してすぐに数人の志願兵が見え、その中にはリガンもいた。


「リガン!」


志願兵の声に気づいたのか、リガンはこちらを向く。


「みんな来たか!……見てわかる通りだ、焚き火の数的におそらく二十人以上はいるな」


駆けつけた場所には焚き火跡がいくつかあり、その周りは長時間人が座れるようになのか地面が均されていた。付近には乱雑に食べ棄てられたであろう動物の死骸があり、既に蛆が湧いていた。


「戦時下の今、村人がこんな人数で歩き回るはずがない。村から出ないことも忠告されていたはずだ」


「てことは……」


「あぁ、おそらく野盗らのだな」


リガンの言葉に志願兵たちは生唾を飲む。辺りは草木が生い茂った鬱蒼とした林、既に自分たちは野盗たちに囲まれているかもしれないという恐怖が兵たちの体を縛った。


「落ち着けお前ら、とりあえず近くにはいない。そんなことより問題なのはここからそう遠くないところに村があることだ」


「それって……ヤバくないか?」


志願兵の言葉にリガンは頷く。焚き火はおそらく昨日から一昨日にかけて起こされたものであり、周囲に人の気配がないことからこの場所から既に移動していると予想出来た。


リガンは分隊の面々を見渡し、これからどうするべきかを考える。野盗の人数はこの分隊の人数よりも多いかもしれない。しかし、ほかの分隊を呼び集まるのを待ってる時間はない。新兵もいる中で野盗を相手にするリスク、一度合流するべきなのかを。時間が刻々と過ぎていく中、僅かな焦りがリガンの脳裏を掠める。額にはじんわりと汗が浮かんだ。


「リガン、すぐに村に行こう」


そう声をかけたのはユレンだった。その目は真っ直ぐにリガンを見つめる。


「……行きたいのは山々だが相手の人数は未知数だ。この分隊で相手をするのは不安が残る、一度どこかの分隊と合流して―――――」


「その間に村が壊滅したら意味が無いだろ。それに、今ここで退いたら何のためにこれまで訓練してきたのか分からなくなる」


ユレンの力強い言葉に周りの志願兵たちも大きく頷いた。リガンは元冒険者であり、自分の危機感知能力の高さには自信があった。だからこそ冒険者として活動していた時も無理はせず、深追いもしない安全を期したスタイルを貫いていた。報酬目的の冒険者からはあまり良い印象を持たれなかったが、そのリスク管理能力は冒険者協会からも高く評価されていたし、チームメンバーの死亡数は周りと比べても圧倒的に少なかった。


だからこそリガンの判断は間違いでは無いし、寧ろローリスクという点に関しては優れていた。しかし、ユレンたちにとっては違った。志願兵の多くは農村出身が多く、彼らは近くにある村の存在に自身の村を彷彿させた。そこにある暮らし、そしてささやかな幸せが頭の中に微かに浮かんだのだ。そんな平穏を壊すような危機が迫っているという今の状況を、簡単に見逃せるほどユレンたちは弱くなかった。


「……ダメだ。今はリスクを取るべきじゃないし、もし俺たちが全滅したら軍は東に未知数の敵を抱えることになる」


「わかってる。だから引く判断はリガンの意見を尊重する。けど、まだ村を確認すらしてないじゃないか。襲われていないか確認することはできるんじゃないか?」


ユレンは目をそらさずリガンを見つめる。リガンの頭の中では否定の言葉がいくつか上がっていた。こんな分隊に何ができるのか、無謀だ、既に村は……。しかし、言葉を出そうとすると、自分よりも小さく幼いはずの少年の、まるで深淵のような真っ黒なその目が激しく、己に主張するのだ。


リガンを含め周りの志願兵たちは、ユレンから目が離せなかった。子供が兵士の真似事をしているかのような風体の、その小さな体に視線が意識が、引き寄せられた。


言葉は甘く、なんでも実現するだろうという子供の戯言。しかし、そこには惹き付けられてやまない不思議な魅力があった。


「……くそ、俺の、負けだよ……っそんな目で見つめんじゃねぇよ。ったく若いってのは羨ましいぜ、俺まで熱くなっちまう」


リガンは悔しそうに笑みを浮かべ、そう言った。その言葉にユレンも喜びを見せ、感謝を伝えようと口を開く。しかし、その言葉は真剣な表情に戻ったリガンによって遮られた。


「ただし、基本は哨戒・警戒に徹すること。無理な戦いは仕掛けないし全員の安全が守れないと判断したらすぐに引くからな。これは、分隊長としての命令だ」


「わかった。もしごちゃごちゃ言ったら殴ってでも止めてくれ」


「そうならないように願ってるよ。……よしそうと決まれば直ぐに出発する。全員覚悟はいいな」


リガンの言葉に全員が頷く。すぐさまユレンたちはその場を後にし、村があるであろう場所へと足を早めた。覚悟を決めたユレンたちの進行速度は早く、疲れを感じさせないほどのちから強さを感じさせた。


しばらくすると林を抜け、その目の端に映るのは村と林の境界を表わす柵であった。リガンはそれを確認すると志願兵たちを集合させた。


「もうすぐ村が見えるだろう。ここからは分隊をさらに半分に分けて行動する。半分は先行し村の様子を確認する。野盗の類がいなければそのまま顔を出すが、もし既に野盗がいた場合は状況を見て攻撃か撤退を決める。その時は俺の判断に従うように」


リガンはユレンに対し念を押すように見つめそう言うと、周りの面々は可笑しそうに笑みを浮かべた。ユレンは恥ずかしさを覚えながら、少しはにかみ頷いた。


「もう半分は村の入口を抑えて貰う。野盗は焚き火の後を残していたことから素人の集まりだと予想できるが、その数は油断出来ない。うち漏らした際にはそちらで対処してもらう」


リガンはそう言うと、周りの志願兵たちをぐるりと見渡す。


「いきなりの初戦になるかもしれないがこれまでの訓練を思い出せ。この一ヶ月やれることはやってきた、負け癖は捨てここらで一勝拾いに行くぞ!」


「「「おおおおおおおお!」」」


「よし、じゃあ半分に別れろ!戦闘経験があるやつとないやつで半々になるようにな。ユレン、お前は俺と先行部隊だ。期待してるぞ」


「っ、了解!」


「準備出来次第すぐに出発する。各自装備の確認をしておけよ」


一分もしない内にユレンたちの分隊は二つに分かれる。リガンはそれを確認し、待機部隊の隊長となった男に二三言話すとユレンたち先行部隊は村へ向かって歩みを進めた。待機部隊は先行部隊を少し後から追う。


結成した先行部隊には緊張が漂っており、村までの道のりがやけに長く感じられた。きっと大丈夫、ユレンはそう自分に言い聞かせるように心の中で復唱する。天気も良くなんの憂いも含んでいないような空、こんな日に悪いことが起こるはずがない。大丈夫、大丈夫……。


「……村の入口が見えてきたな」


隊を先行する志願兵の言葉に一同は生唾を飲み込む。リガンは後方にいる待機部隊に手を上げると、静かに息を吐きゆっくりと口を開く。


「突入する」


リガンの言葉を聞くと先行部隊の面々は静かに、されど素早く村の中に入っていく。ユレンは逸る気持ちが抑えられないのか速度が次第に上がっていき、遂には先頭にまで来てしまっていた。

リガンは何か言いたげな表情を浮かべるが、口を開くことは無かった。


村の中に入ってしばらく歩くが村人の姿は一人も見られない。田畑も荒らされた様子は見られなかった。人気のない村を進んでいると目の端に建物を捉える。


「家だ」


目の前には村人の住居がいくつか映る。一同は住宅地に入ったことに静かに息を吐くが、近づくにつれてその目から希望は消えていった。


ほとんどの住宅の壁やその周辺の地面には乾いた血痕があり、着いていたはずの木のドアはボロボロに壊され辺りに散らばっていたのだ。家の中に人影はなく、既に荒らされたと言ってもおかしくない散らかり具合いだった。。


「……もっと村の中心に退いたのかもしれない」


「待てユレン、既に状況は最悪だ。この村は既に襲撃にあっていて生存者すらいるか分からないんだ。一度体勢を立て直してから――――」


リガンがユレンに説得をしようとした際、ユレンの視界にはリガンの後方から上がる真っ黒な煙に目がいった。周りの志願兵たちもそれに気づいたのか指を指す者も現れる。


「煙……。今上がったならまだ生存者がいて応戦してるのかもしれない……!」


ユレンはそう言うと煙の元へ一目散に走り出す。


「ユレン一人で行くな!待て!」


リガンはユレンの肩を掴もうと手を伸ばす。しかし、その手が届くことはなく、リガンの言葉もユレンの耳には入らなかった。がむしゃらにユレンは、目に映り揺れる黒煙へ向かう。急なユレンの行動に志願兵たちも呆気に取られるが、リガンがユレンを追って走り出したのを見て後を追いだす。


走るにつれてユレンの息遣いは荒くなり、動悸は激しくなっていった。早く早くと足を動かし地面を蹴る。いつの日かもこんな風に必死に走っていた、そんなことを思いながらも頭の中は正体の分からない不安と焦りで溢れていた。


煙の元へ近づいて行く途中に見えた住宅もボロボロで、地面は多くの血痕で溢れていた。いつからか周囲には吐き気を催すような血の匂いと腐った肉を焼いたような悪臭がしており、ユレンは顔を顰める。その臭いの濃さに後ろを走る志願兵の中にむせてる者もいた。


「ユレン!」


追いついたリガンに肩を捕まれユレンは走るのを止める。大きく肩を動かすような息切れをしながら、その鋭い目付きをリガンに向ける。


「ユレン、一度落ち着け。ここまで来たらもう引き返さない。煙の元まであともう少し、ここからは足音を消し隠密に行動する。いいな?」


リガンの言葉にユレンは大きく頷く。リガンは先行部隊の面々に指示を出すと、ユレンに変わり先頭に立ち、ゆっくりと足音を立てないように住宅の影から影へ移動し始めた。


ユレンもそれに習い、静かに息を整えながらリガンの後ろについて行った。静かな移動をしているからか、次第に煙の元から物音や人の声が聞こえ始めた。リガンは志願兵たちを振り返り、周りに散るように手振りをする。二三人になり周りに散らばっていった志願兵たちの背中を見て、リガンはゆっくりと歩みを再開させた。


「―――――んで俺たちが―――」


「臭くて―――――」


既に広場での会話が聞き取れる距離まで近づいたリガンは、ゆっくりと住宅の影から広場に顔を覗かせる。


(――――遅かった!!!)


拳を力強く握る。歯を食いしばり目には怒りを宿したリガン。その視線の先には、重そうに何かを抱える男たちがいた。木材が組まれた大きな焚き火を囲み、重そうに何かを燃える炎の中に雑に投げ入れていた。男たちの表情はやや気だるげで疲れているのが目に取れた。


ヒィヒィと文句を言いながら乱雑に積まれていた引きずるように運ぶ。まるで物のように。リガンの指は既に腰の剣にかかっていた。


「なぁあいつ何時までヤッてんだよ」


「あ?……ちっ、おい!いつになったら飽きるんだよ変態!」


男たちの視線の先には炎の陰に隠れてよく見えないが、何かに覆い被さり細かに動いている肥えた男の姿があった。男たちの問いかけにその肥えた男は、何かが喉に詰まったような野太い声をあげる。


「はっ、はっ、……こ、こいつ、俺の言うこと聞いたらぁ、ぃ、生かしてやるって言ったぁのに、こ、断りやがってぇ」


ヒキガエルのような下卑た笑い声を上げ男は激しく動く。


「だ、だから、こいつの目の前で、父親は嬲り殺して、は、母親と妹は、ぉ、犯して殺してやったんだ。へ、へへ、そしたらこいつ、、し、舌噛んで死んでたんだ。死んでたんだよぉぉ!ぉ、俺が、殺してやりたかったのにぃぃ!」


男は既に動かないを殴る。肉を潰すような打撃音が聞こえ、なんの反応もないのに男は満足そうに笑う。


「し、死んでも殺してやる。何回だって、ぉ、俺を舐めやがって、、許さなぃ」


殴る。地面と激突しトマトが潰れたような水気のある音が辺りに響き渡る。何度も、何度も。その様子を見て周りの男たちも目を合わせ、諦めたようにため息をつく。


「あーあ、スイッチ入っちまった。さっさと手伝えっての」


男たちは呆れたような視線を男に向けると、時間の無駄と考えたのか作業に戻ろうとした。


「死ね、死ね、死ね!」


我慢の限界だった。リガンは怒りで頭が真っ白になっていた。部隊に合図するのも忘れ、殺意に満ちた眼をその肥えた男に向ける。この男を殺す、リガンは剣に手をかけ勢いよく足を踏み出した。狙うは首、必殺の一撃で全てを終わらせてやる。


剣が僅かに抜かれその光沢が輝く。……しかし、リガンのその一撃が男に届くことは無かった。


「―――――――ぶへ?」


何が起こったのか。そこには宙を舞う男の首と斬撃を放った少年の姿があった。ひどくゆっくりとしたスピードで、まるで天から降るように落ちる男の首。その表情は何が起こったか分かっていないのか呆気に取られていて、快晴の空を染めるような鮮血を辺りに撒き散らした。


リガンの目は確かに見えていた。この惨状を見て信じていたものが崩れ去ったような、深い絶望に染まる少年の顔が。だからこそ何も出来ないと思った、もう動けないと判断した。しかし、彼は自分よりも早く一撃を、その刃が届いた。


少年には無かった、人を殺すという躊躇いが。返り討ちに合うという恐れが。殺し切れるかという不安が。


何よりも誰よりも最短に、最速に、真っ直ぐ。その汚れた穢らわしい言葉がもうあの口から漏れないように。生命を絶つ一撃を。


自然と体は着いてきた。ユレンの目の奥には男の首までの道筋がハッキリと見えた、そしてただそこに剣を振るった。世界と自分がたった一つになったような、感覚。


音もなく、色もない。そこにあるのは研ぎ澄まされた殺意。


「―――――――――ぁぁぁああああああああああ!!!!」


それは産声だ。


「あ、あ、……ば、化け物っ」


残酷なる世界なる母が産んだ。


「っ!全員抜剣!!!」


さぁ、喝采せよ。


「死ねっっ!!!」


誕生の瞬間だ。

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