プロのアルマジロハンター

新代 ゆう(にいしろ ゆう)

プロのアルマジロハンター

 アルバイトを終えて携帯を確認すると、カズヤから一言、『集合』とメッセージが来ていた。彼は何かおもしろいことがあると僕に集合をかける習性があるから、今回も何か暇をつぶせるようなことが起きたんだろうなと思った。


『いまバイト終わった。本屋寄ってから行く』


 厨房でフライパンを振っている先輩に「お疲れさまでーす」の声を掛けたあと、僕は急いで近くの書店を目指した。今日はいま話題の漫画、『プロのアルマジロハンター』の最新刊が発売される。前巻の発売からもう一年以上が経過していた。それも仕方がない、作者は去年、婚約者に関するあることで炎上したのだ。とにかくカズヤとの暇つぶしも大事だが、いまはやっと発売されたこの漫画が最優先だ。


 書店には「本日発売! 今話題の漫画『プロのアルマジロハンター』」と目に悪そうな色合いのポップがでかでかと飾られていて、その人気を象徴するように最新刊がカートに巨大なピラミッドを形成していた。僕はそれをひとつ手に取ったあと、会計時に特典のイラストを受け取り、急いでカズヤの家を目指した。


 彼の家を尋ねるときは基本家の施錠をしないから、僕はそのまま玄関のドアノブを引いた。いやに家賃の安いアパートだから、そもそも鍵が正常に機能していないのかもしれない。案の定鍵は開いたままだったので、「ただいま」と声を掛けると、ワンルームの奥から「お前の家じゃねえよ」といつもどおりの声が返ってきた。


「で、なんかあったの?」


 早速僕が本題に触れると、彼は某洋菓子屋の前に立つマスコットキャラクターのように、にんまりと妖艶な笑みを浮かべた。それからポケットに収まっていたスマートフォンを取り出す。


「いや、おもしろい迷惑メールが届いたから」


「はあ、それだけ?」


「いいから見てみろよ」


 彼からスマートフォンを受け取り、画面を見る。件名に『助けてください』と書かれたメールは、こう続いていた。


『婚約者が私を殺そうと計画しています。計画の内容は以下の通りです。

 日時 七月十五日 十八時頃

 凶器 グリーンピース

 方法 グリーンピースの過剰摂取による殺害

 助けてください。婚約者に殺されます。彼はプロのアルマジロハンターです。そうなると私に勝ち目はありません。謝礼はいくらでも出します。決行日の七月十五日十七時頃、彼は新宿駅にいるはずです。長身で全身真っ黒の男です。サングラスを掛けています。私は家で彼を迎え撃つ準備をします。そのためには時間が必要です。彼に話しかけるなりして足止めしてください。私は死にたくありません。助けてください』


「ははっ、プロのアルマジロハンターって!」


 読み終わると同時、思わず大きな笑い声が漏れてしまった。


「迷惑メールつくるなら、もっと真面目に書けよって話だよな!」


 グリーンピースによる殺害というは、単行本の三巻で主人公がオオアリクイを捕まえるときに使った方法だ。このメールの主もあの作品が好きなのかもしれない。


「試しに返信してみようぜ!」


「『俺がヤツのアルマジロを握りつぶしてやる。安心して待て』ってのは? 五巻で主人公が駆けつけたときの台詞」


「いいな! そうしよう。よし、送信っと。七月十五日って今日だろ? 新宿、行ってみないか?」


「うわ、いいな、それ!」


 なるほど、と思った。「おもしろい迷惑メールが届いた」と言われたときは正直拍子抜けしたが、カズヤの暇つぶし能力はそれだけに留まらなかったらしい。


 * * * * *


 梅雨が終わったばかりで夏らしい暑さが続いている。もう十八時を迎えるとは言え、外のかんかん照りになったアスファルトの上を歩き続けていたら、いまごろ僕たちは二巻でアルマジロハンターに狩られたエジプトミイラのようになっていたことだろう。


「おい、嘘だろ……!」


 新宿駅の改札を出たとき、僕は数メートル先を歩く男を見て思わず立ち尽くしてしまった。隣を歩いていたカズヤも僕と同様、「マジかよ……」と言葉を残したまま歩みを止めている。


「あれ本物だよ。僕、話しかけてくる!」


 驚くことに、前を歩いていたのは『プロのアルマジロハンター』の作者、小野シスターさんだった。いつもなら話しかける勇気が湧かなかっただろうが、運がいいことに、今日の僕は単行本の最新刊を持っている。僕は人に衝突することを厭わず、彼の元へ一直線に駆け寄った。


「あの、すみませんっ」


 心臓が高鳴っているせいで声がうわずっていたが、そんなことを気にしている場合ではない。きっかけは信憑性委員会も真っ青なあの迷惑メールだったが、今日新宿に来てよかったと思う。


「なんだい?」


 彼はかけていたサングラスを外し、返事と一緒に聖母のような笑みを向けてきた。あまりの眩しさに僕は、彼の表情を見つめ続けることができなかった。


「あの、小野シスターさんですよね! えっと、あの、ずっとファンでした! そうだ、いま、さっき買った最新刊があるんです。よかったらサインください!」


 おそるおそる彼の顔を見上げると、小野シスターさんは先ほどと同じマリア様のような笑みを浮かべていて、「バレちゃあ仕方ないね。もちろんだよ、ボーイ」と黒いジャケットの内側からサインペンを取り出し、単行本の裏表紙にサインをくれた。


「ありがとうございますっ! 一生大切にしますっ」


 彼は僕のお礼を背中で受け取ると、一度こちらを振り返り、ウインクを飛ばした。


「すげえ……。アルマジロハンターのバッファロースマイルだ……!」


 唐突に、心の底から沸き上がる激しい震えを誰かに伝えたい衝動に駆られた。そこで僕はようやくカズヤの存在を思い出した。彼は小野シスターさんと出会えた感動のあまり未だ動けずにいることだろう。しかし、振り返った先のカズヤの顔に貼り付いていたのは、僕の想像していた喜びの表情ではなかった。それだけではなく、あろうことか小野のシスターさんが去っていった方向を送られている視線には嫌疑心が含まれているような気がした。


「どうした?」


「あのさ、あの作家ってなんで炎上したんだっけ」


「婚約者が前科持ちだって判明したからだろ。でもあの人は関係ないよ」


「長身でサングラスを掛けた、全身真っ黒の男だろ? 関係あると思わないか?」


「いや、まさか」


 たしかに彼は長身だったし、サングラスを掛けていたし、それに黒いジャケットを羽織っていた。迷惑メールに書かれていたのは彼の漫画を踏襲したかのような殺人計画。いや、まさかそんなわけない。


 * * * * *


『――人気漫画家、小野シスター氏が自室で倒れているのが見つかりました。警察は殺人事件として捜査を進めており、容疑者と見られる鴨ノ橋花子氏は依然見つかっておりません。彼女は小野シスター氏と婚約関係にあり、以前大麻取締法違反や殺人未遂で逮捕された経歴が……』


 翌日流れたニュースを見て、僕は言葉を失った。まさか、僕のせいで。現実から逃げたくなった僕は、そのままベッドに倒れ込み、ネットの海に潜り込んだ。しかしどのサイトも小野シスターさんの死を悲しむ掲示板や呟きにまみれていて、心が休まる場所がなかった。真相なのか、それとも誰かの妄想なのかはわからないが、妙に納得できる書き込みを見つけた。


『ある情報筋によると、婚約者の鴨ノ橋氏は以前からストーカー行為や殺人未遂、薬物乱用を繰り返していたらしい。薬物の幻覚症状で婚約者から殺されると発狂することもしばしば。今回は小野シスター氏の原稿を見てそれを殺人計画だと勘違いしたんじゃないか?』


 カズヤに送られてきた迷惑メールはどうやら他の人にも送られていたらしい。僕と、たまたま送られてきたカズヤが行動してしまったせいで彼が死んでしまった。


 ぼーっと天井を眺めていると、一通のメッセージがあった。スマートフォンの画面へ視線を滑らせると、送信元はカズヤだった。


『集合』


 自室にいても気分が落ち込ませることしかやることがない。カズヤは何かおもしろいことを見つけたのだろう。気晴らしにいいかもしれない。そう思って彼の家に行くと、そこには引きつった顔のカズヤがいた。


「なあ、助けてくれ……」


 そう言ってカズヤが見せてきた画面には、こう書かれていた。


『件名 ありがとうございます。

 あなたのおかげで命拾いしました。その勇気ある行動に惹かれました。よければ結婚を前提にお付き合いしませんか。この前付いていったから、家は知っています。近いうちにお伺いしますね』


 押し入れから物音がした。その音は、アルマジロハンターである主人公が、獲物を狩るときに使う両刀を抜いたときの効果音にそっくりだった。

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