衝動

稲荷 古丹

衝動

「まだ暑いね」


 そう言って君は僕の手を引いていく

 夕暮れの校舎の廊下はペンキをぶちまけたように赤くて、擦り傷を嗅いだ時と同じにおいがする

 学校の皆はそこら中に転がっていて、手とか足とかバラバラだ

 顔が無くなっている人もいるけど、あんまり人の顔を覚えない方だから、有っても誰だか分からないと思う


 夏服の君はとても綺麗だけど随分赤く汚れちゃっている

 血のシミ抜きには炭酸水が良いって昔見た映画で言ってたよ

 でもそんなことお構いなしに君は僕を連れていく

 人間だったものを幾つも蹴り飛ばして、僕が歩きやすいようにしてくれる


 君は僕に優しいね

 どうしてなのかは知らないけれど


 ねえ


 階段の途中で声をかけると君が振り返る

 小首を傾けて悪戯っぽく微笑んでる、顔にべったり張り付いた血もちょっと格好良いくらい似合ってる気がする


「なぁに?」


 蒸し暑さも忘れるくらい涼しげな君の声


 どこにいくの?


「屋上」


 僕の問いかけにみじかく答えて、また歩き出した

 こつこつ、と二人の上履きが階段を叩く音だけが響いて、遠くのセミの鳴き声もやけにはっきりと聞こえる

 きっと学校で生きている生徒はもう僕らしかいないんだろう

 先生達もきっとどこかで転がってるに違いない


「一番好きな場所なんだ」


 振り返らずに言う君は、何だか少し得意げなようだった

 上の階でも誰かだったものが沢山転がっていた

 気になったから聞いてみた


 僕も殺すの?


「殺さないよ」


 どうして?


「食べるから」


 どうして?


「教えない」


 どうして?


「分からないと、知りたくて、気になるでしょ?」


 うん


「それがいいの」


 僕たちは屋上にどんどん近づいていく


 確かに気になるんだ

 僕が気が付いた時には皆は声も上げられなくなっていて、

 目の前には君がいて、ああ、きっと僕も僕じゃないものになるんだって、

 そう思っていたのに


 どうして君は僕を連れていくんだろう

 皆と同じようにならなかったんだろう

 それが気になっちゃって、君の手を取ったんだ


「あ、ちょっと待っててね」


 屋上の一つ下の階で君は僕の手を放し、一人で跳ねるように上へ向かった

 僕に逃げられてもいいのかな?

 どうせ捕まっちゃうだろうから意味ないか


 金属が壊れるけたたましい音が鳴り響いて、びっくりした僕は体を強張らせた

 正直、今日一番驚いたかもしれない


 ややあって戻ってきた君は少しばつが悪そうな顔をして


「鍵持ってたんだけど落としちゃったみたいで。驚かせて、ごめんね」


 それがとても可愛くて、もう一度君の手を取ると、

 さっきよりも君の指が熱いように思えた


 屋上の扉は壊れていた

 紙切れのようにぐしゃぐしゃになって、無造作に放っておかれていた。

 本来扉があったはずの空洞から景色が見える


 外に出ると蒸し暑くて、急に汗が噴き出した

 セミの鳴き声もより一層激しく耳に届くけど、それ以外の音も声も聞こえない


 まだ日は完全に沈んでなくて少し茜色に染まった校舎が見える

 屋上は立ち入り禁止だったから、来ることも見ることも初めてだった

 金網もフェンスも何もない平べったい空間が広がっていた


 遠くの運動場にはところどころに赤いシミみたいなものがあって、その上に人だったものが散乱している

 ああ、本当に皆いなくなっちゃったんだなぁ


「やっぱりまだ暑いね」


 振り返ると君がにこにこと笑っている

 でも君は汗をかいてないし、暑さに辟易してるわけでもない

 きっと夏服も暑いって言葉も、そうした方がいいからしてるだけなんだと思う


 でも、もうそんなことしなくていいんじゃない?


「ほんとだ、そうだよね」


 そうして二人でくすくすと笑いあった


「君だけは食べたかったの」


 うん


「この学校で一番好きなこの場所で」


 うん


「ねえ、やっぱり理由、知りたい?」


 ううん、いいや


 きっと僕には想像もつかないことなんだと思う

 皆が死んだ理由も、僕をここで食べたい理由も、


 聞いたところで理解できるかも納得できるかも分からない

 どうしたって僕が生きることはないのなら、

 食べられたいって思えてる内に食べて欲しい


 皆には悪いけど、僕だけは食べたいって言ってくれたの

 正直、嬉しいんだ

 おかしいかな?

 けど何故か君がそう言って僕だけをここに連れてきてくれたことを、とても嬉しく思うんだ


 ありがとう


「こちらこそ、ありがとう」


 君は少し泣きそうな顔をしながら、どろどろと溶けるように崩れていく

 綺麗な肌がどんどん黒く染まって、液状になった君が屋上に少しずつ広がる

 ずっ、ずっ、ずっ、と僕に這いよってくる君を見つめていたら、

 ひゅっ、と液体から伸びた触手のようなものに、僕は絡めとられた


 力を入れる間もなく君に倒れこんだ僕の後ろから、べりっ、と音がして背中に焼けるような痛みが走った。

 きっと皮を剝がされたんだ


 ぬめぬめとした生温かい感触に包まれていると、お腹をぐりぐりと押されて、やがて僕のお臍のあたりの皮膚が、ぷつんと切れて僕の体に君が潜り込んできた


 あ、あ、あ

 痛い

 痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛いいたいいい、おながいたいかきまぜいらいいたいいたいいたいぎゃいぎゃいがあがががががぎゃぎゃぎゃぎゃ


「痛いよね?怖いよね?上手く食べてあげられなくてごめんね」

 

 お腹の中から寂しそうな声がする

 泣かないで、僕こそ我慢できなくごめんね

 大丈夫だよ、食べていいよ


 ねえ、もしかしてだけど、ひょっとしてだけど

 君は僕の事、好きだったのかな

 自惚れてるかな、けどそうだったら嬉しいな


 君が僕の中で蠢くたびに、僕が君の中に入っていく

 君が僕の喉を通ってくる、もうすぐ脳もたべられちゃうね

 だんだん、きみが、わからなくなって、きた、ざんねん、だ、けど、

 き、みが、うれしい、なら、し、あわ、せ


 いきて、て、よ、かった、よ

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衝動 稲荷 古丹 @Kotan_Inary

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