最終話 未来を紡ぐ
仲間たちは各国へ帰ったり、それぞれ旅立ち、およそ一月が経った。
ロゼスやイーシェアは、メイクール国復興のために日々忙しく過ごし、アルは、それ以上に奮闘していた。
アルには、復興以外にも王になるための勉学にも励まねばならず、その忙しい時間の合間に、城でひっそりと過ごすことも多いパティに毎日顔を見せていた。
パティは、記憶を失ってすぐの頃は、何だかぼうっとしていることも多かったが、今はそんな時間も減り、城の中で快活に動き回ったり、執事や召使いと会話を弾ませたりするようにもなっていた。
恐らく、他の天使と同じように、彼女の中の天使であった記憶が消え、そのため、頭の中がぼんやりとしていたのだろう。
だとすれば、パティの記憶がなくなったのは、神の仕業――、記憶は消去されたのか。
ならば、もう、以前の記憶は戻ることはない、とアルは思った。
(僕を思い出すこともない)
アルは既に、それを受け入れていた。
アルとパティは共に夕食を取り、その後、庭園を歩くのが日課となっていた。
メイクール国の城周辺は、まだ戦いの跡が色濃く残り、瓦礫や木々が散乱している箇所がある。
多くの兵士が倒れ、人手が足りていないので、なかなか修繕が進まないのだ。
「パティ、今日は何をして過ごしていたんだ?」
「昨日と同じです。縫物や、パンの焼き方を習ったり、それに、兵士の方たちに飲み物を配ったりと、お手伝いをしました」
楽しそうにパティは言ったが、言った後、表情が曇った。
「ですが、わたし、裁縫も料理も全然できないのです。……どうしてでしょうか? 記憶がないのは仕方がないですが、わたしは今までどうやって暮らしていたのでしょう?」
天世界では、裁縫も料理もすることがなかっただろう。
以前、パティは一人で過ごすことが多かったと言っていたが、本を読んだり、お気に入りの神と話しをしていたらしい。
「アルは、知っているのですか? 前のわたしは、どんな暮らしをしていたのですか?」
「パティ、君は……」
アルは少し悩み、考えながら答える。
「君は、他国の、ここよりもずっと静かな—―、ひっそりとした村の教会で暮らしていて、裁縫や料理をするほど体が丈夫ではなかったんだ……。体は良くなったけれど、村がなくなり、行き場のなくなったパティは、メイクール国へ来ることになったんだ」
そのシナリオは、パティが苦しまないようにと、アルは彼女のことを思ってついた嘘だ。
自分を人間だと思っていた方が、パティにとっては良い。
天使たちの記憶を消し去ったのも、人として生きる道を神は示したのだ。
君は天使だった――、そう言ったなら、今までのパティとの旅の思い出を話すことになる。
恐らく二度と思い出すことのない、今となっては、天使という未知なる存在であった過去を他人から聞かされるのは、辛く、パティは今の自分を否定したくなるかもしれない。
翼も記憶もないパティには、過去に縛られることなく、自由に生きて欲しい。
それがアルの願いだ。
だから、パティが天使だったことは、絶対に口にしないとアルは決めていたし、天使だったパティを知っている者はほとんどいないが、口止めしている。
二人は、奇跡的に壊れていないベンチに腰掛けた。
「パティ、君は、とても頑張っていると聞いているよ。すぐにという訳にはいかないが、きっと、色んなことが楽しくなるよ」
アルは朗らかに言って、パティの頭に、ぽんと触れた。
「僕にできることがあったら、何でも言って」
アルがにこっと笑んでいうと、パティは胸のあたりがぽかぽかと温かくなった。
アルは疲れているのに、絶対に、毎日こうして会って、散歩の時間も欠かさない。
嬉しい――、と思う反面、アルの睡眠を削ってしまって、パティは申し訳ないとも思う。
それでも、アルと二人で散歩をする時間は、パティにとって、待ち遠しい時にもなっていた。
決して美しいとは言えない庭園で、薄黄色の半月の月光が、その壊れた木々や散乱した瓦礫を優しく照らしている。
ベンチに腰掛けたパティはアルを真っすぐに見つめていた。
「アル、そう言ってくれて、ありがとうございます。ですが、もう充分、アルはわたしを助けてくれています」
パティは少し恥ずかしそうだが、はっきりと言った。
「……今度はわたしがアルを助けられるようになりますから、待っていてください」
月光に照らされたパティは、そっと笑んだ。
その笑顔があまりにも綺麗で眩しくて、パティの言葉が嬉しくて、アルは、思わず、パティを抱き締めていた。
「アル……?」
強く抱き締められたパティは、戸惑ってアルの名を呼ぶが、アルは、まだ、背中に回した腕を放さなかった。
「パティ、君の気持ちが嬉しいよ」
月光の満ちる中で、以前、パティは告白してくれたことを、アルは思い出していた。
あの時、酷いことを言って、パティを傷付けた。
彼女を思ってそうしたが、それは正しくはなかった。
今の自分は、全てを忘れているパティに、都合の良い部分だけを見せている――。
アルは自分の狡さに、嫌気が差し、ぱっと体を放す。
「……お礼なんて、言わなくていいよ。僕は、前に君に酷いことを言った。パティは覚えていないけれど、君を傷付けたんだ。パティ、それでも僕は……」
アルは、真っすぐなパティの瞳から目を逸らし、俯きがちに言う。
「パティ、僕は……」
――君が好きだ。
ずっと前から、この先も、その思いは決して変わらない。……でも、今はまだ、言えない。
「アル、泣いて、いるのですか……?」
パティの澄んだ声に、アルははっとし、いつの間にか頬に落ちた涙を、さっと拭う。
「何でもない、大丈夫だ、パティ」
パティは、アル、と呼びかけ、アルの手を取った。
パティの小さな白い手がアルを包む。
「アル、覚えていないので何があったか分かりませんが、わたしは、以前のことを聞きません。だって、わたしは、前のわたしとはきっと違うから……。
アルは、わたしに言ったことで、もう充分、悲しんだのでしょう? だからもういいです。気にしないでください。わたし、どうしてか、アルが悲しんでいるのを見たくないのです」
パティは、慈愛に満ちた笑顔で、その手と同じ温かさで言った。
「……ああ、分かった」
――ありがとう、パティ。
礼をいうのは、僕の方だ。
「パティ、僕を助けたいって言っていたけど、もう充分、助けられているよ」
アルもまた、微笑んだ。
――記憶を失っていても、パティはパティだ。
以前の自分とは違うと言っていたが、そうじゃない。
話し方も、仕草も、笑みも、性質も、パティは何も変わっていない。
例えどんな困難があっても、記憶が戻らなくても、僕は、パティと生きていく。
また始めから、恋をする。
二人の未来を、長く長く、死ぬまでずっと、紡いでいく。
今度は君を悲しませたりなんかしないから。
誓うよ。
この手を、二度と、絶対に放さない――。
「パティ、そろそろ、行こうか」
アルはパティと繋いだ手を軽く引っ張ると、ベンチから立ち上がるよう促した。
パティは、柔らかな表情で、頷く。
そのまま、城へと二人が歩き出すのを、月だけが、見ていた――。
終わり。
あとがき。
ようやく完結いたしました。
こんなに長く、また、未熟な作品にお付き合いいただいて、ありがとうございます。
[魔のものと~]は、これで完結ですが、その後のお話を、少しだけ、別作品として、載せる予定です。
バトルはほぼなく、ラブコメ(?)にしようと思っているので、気軽に読んでいただけたらと思います。
魔のものと天使と、人間の世界で~王子に恋した天使、争いに巻き込まれながら旅をする~ かんの沙梨 @sarikan
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