231 エピローグ⑤

「え、ちょ……なにすんの!」

 クルミは慌ててダンを引き剥がした。


「だってお前さ、俺が好きだろ?」


 かあっと頬を朱に染め、戸惑うクルミに、ダンは何でもないことのように言った。

 クルミは大きな瞳をぱちくりさせた。



 ――好き、は、好きだけど、この先も、ダンとの関係は、仲間のまま変わることはないと思っていたし、それでいいとも思っていた。

 それなのにそんなことを言われて、どうしようか……。どうせ、一緒にいられないのに……。


 うーん、と考え込むクルミに、

「おい、悩むなよ!」

 ダンは突っ込む。


「俺、海賊やめるから。後始末つけたら、お前の元に向かうよ」

 ダンはクルミを逃すまいと手を掴んで、真剣な眼をして言った。

「え? な、なんで……」


「クルミははっきり言わなきゃわかんねえから言うけど、俺にとっては、クルミの方が大事なんだ」

 深い緑色のダンの瞳から、クルミは目が離せなかった。



「……好き、だった、クルミのこと、ずっと前から」



 ダンは照れながらも、真っすぐにクルミの目を見ていた。


「海賊やってるやつと、恋人になんてなれねえだろ? だから、辞める」


 ――恋人……?


「何で、急にそんなこと!」

 

 その二文字の意味を理解すると、クルミは、まだダンに言われたことを消化できないまま、口を開いた。


「ダンは、今まで、そんなこと言わなかったでしょ! それに、あたしのため、って言って、色々、諦めて欲しくない」

 クルミは照れを隠すように俯き加減に、不機嫌に言った。


「勘違いするなよ、俺がそうしたいんだ。俺にとってはもう、クルミの夢に乗っかることが、俺の夢なんだ。だから、一緒に、クルミの夢を叶えさせてくれ」


 ダンがぐっと力を込めてクルミの手を握ったので、クルミが再びダンに視線を合わせると、ダンは不安そうな顔をしていた。



(あたしを失うことを、恐れている……?)

 


 ――ダンがずっと、あたしを好きだった……?

 いつも護ってくれていたのも、あたしを好きだったから……?


 真剣に、答えなければいけない。

 だってダンは、こんなに真っすぐ、思いを伝えてくれた。

 あたしにとってもダンは、特別だから。



「本当に、いいの?」

 背丈の小さなクルミは、腰を曲げていつもよりずっと顔の近づいたダンに、確認する。

 すると、ダンの顔が、ぱあっと輝いた。


「ああ。俺、もう、クルミと離れたくねえんだ。今度会う時は、恋人になってくれ」

 

 クルミは何も言わなかった。というか、言えないのだ。色んなことを聞き過ぎて、意味を理解するのがやっとだ。


「何だよ、返事しろよ」

「えっと……う、うん」

 男からのアプローチを受け入れたことがないので、クルミは躊躇いながら、小さく言った。


 ダンはにっと、悪戯っ子のように笑む。

 彼の笑顔が眩しい――、と初めてクルミは思った。



「少しの間離れるが、もう離さねえぞ」


 ダンはクルミをぎゅっと抱き締めた。

 

「……なあ、クルミ、お前、キス、初めてだったよな?」

 確認するようにダンが訊いてきて、クルミはどきっとした。なぜそんなことを訊くかわからないが、そう言えば、初めては、ネオにされたのだ。


「え、えっと、そう言えば、ネオが急にしてきて……」

「はあ!? 何だよ、それ」

 ダンは明らかに不機嫌になった。

「俺がいない間は、絶対、男の前で油断するなよ」

 

 ダンは何を言っているのだろうとクルミは思った。


(あたしにキスしてくるような物好きは、ネオくらいしかいないけど……)


 再び、ダンはぐっと顔を近づけて、キスをしてきて、背丈の小さなクルミをすっぽりと包み込んだ。


 クルミは、またも顔がかあっと熱くなるのを感じたが、もうダンを無理に引き剥がそうとするのは止めようと思った。



 ――引き剥がすのも疲れるし、それに、くっついているのも悪くはない、気がする。

 


 クルミは、温かなダンの大きな背中で、両手を結ぶ。



 ――心臓の音が聞こえる。

 抱き締められていると、あたしの音だけじゃなく、ダンの心音も、とくん、とくん、と胸に響いてくる。


 ……なんだろう、なんでだろう。

 あたしはこの音を、いつまでも聞いていたい気がした。




 その頃ツバキは、一人、まだメイクール国の王都にいた。

 王都の魔物は粗方始末したので、国はほとんど平和だ。芝生に横になり、空を見上げる。

 ゆったりとした時間が流れている。


 サラを失った悲しみは、まだ胸の中にはびこっている。目的を失い、ほとんどの力を失い、この先どうすればいいか全く思いつかないし、やる気も出ない。

 故郷へ帰る気にもなれない。


 共に戦った仲間たちには軽く別れの挨拶をしただけだったが、それで良かったと思っている。

 アルもロゼスも国を復興させるというはっきりとした目的があり、クルミにも夢があり、それを実現させるために、真っすぐに進んでいく。

 何もない自分は、何だか、彼らの傍には居づらかった。


「くそ……」

 そう言って体を起こすが、立ち上がりはしなかった。


 ツバキは、少し動いたことで、自分が腹を空かせていることに気付いた。そう言えば、ここ二日ほど、水くらいしか口にしていない。



(飯を食うことすら忘れるなんて、オレは、死にてえのか?)


 

 自分らしからぬ考えに、ツバキは自嘲する。


 いや、単純に、目的を失って、進むべき道がなく、迷っているだけだろう。自分を殺すという選択肢はツバキにはない。

 例えどんなに悲しみに支配されていようとも、生きていく。これまでもこれからも、それは変わらない。


 ――ともかく、飯を食おう。

 その後、ここではないどこかへ行く。

 

 漠然と決めたのはそれだけだ。


 まだ痛みの残る体を動かし、ツバキはようやく、歩き出した。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る