第3話 その事件はあまりにも唐突だった


 7月なかばの木曜日だった。夜、いつものようにツイッターを開くと、とんでもない事件が流れてきた。嘘だろ、と思いながらタイムラインを流していくが、ニュースサイトの速報も出来上がっている。


 カザフスタンのフィギュアスケーター、デニス・テンさんが、アルマトイ市中で刺されたというニュースだ。犯人は20代半ばの男性二人組。テンさんの車のミラーを取ろうとした二人組と言い争いになり、そして刃物で太ももなどを刺され、意識不明の状態のまま病院に搬送だれた。


 タイムラインには、スケートファン、スケート関係者、そしてスケーター仲間の、悲鳴、無事を祈る声、怒り、哀切が流れてくる。

 流れてくる情報が現実とは思えなかった。それでも事実を知るためのツイッターを動かす手が止まらない。嘘だろ、を頭の中で何度も繰り返す。あっていいのか。ある日突然、誰かと言い争いになって刺されるなんてことがあっていいのか。いきなり世界から消えるなんてことがあって、いいのか。


 いいはずがない。


 医師の蘇生措置、関係者の祈りは届かず、搬送された病院でテンさんが亡くなったと知ったのは、やはりタイムラインの中でだった。原因は出血性ショックだった。

 

 *

 

 テンさん、と書くのが一番いいのだろう。しかしここではデニスと書かせていただく。


 デニスは09年の世界選手権から知っている。わずか15歳の少年が、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第二番」を滑り切っていたのだ。しかも振り付けはタラソワだ。ショートプログラム15位から総合8位までジャンプアップした演技は圧巻だった。


 タラソワのプログラムは、良く言えばロシア的でノーブル、悪く言えば古臭くて新採点とイマイチ噛み合っていない時がままある。これはちょっとどうなのか、と思うプログラムはたくさんある。


 しかしデニスのピアコンは、15歳の男の子がこんなに滑れるものなのか、と静かに目を剥いた。滑れる、踊れる、からだが柔らかい。ジャンプも問題がない。ものすごく音感がいい。今どきのスケーターは、男子でもビールマンスピンもできないと世界で戦えないのか、と恐慌した。09年当時、これからが楽しみだったし、世界で活躍するだろうとも思った。


 そしてデニスは世界のトップスケーターになった。ショート・フリーを「アーティスト」で揃えた13年の世界選手権は素晴らしかった。ソチ後は辛いシーズンが続いたし、平昌は彼にとって不本意だっただろう。しかし彼は良いスケーターだ。どこかでまた復活するに違いない。


 そう思っていたのだ。

 

 *

 

 特別ファンではなかった私がここまで悲しくなったのだ。関係者やスケーターの悲しみは計り知れないだろう。デニスが亡くなった穴はこれからもずっと埋まらない。


 そしてはたと気がつく。

 セリョージャの次のフリー、デニスの作品だ。しかも処女作にして、遺作になってしまった。この世でデニスが残した、唯一のプログラムだ。


 きっとこのプログラムを、セリョージャはTHE ICEで滑る。それを私は、素直に楽しむことはできるのだろうか。そして、私を含む我々スケートファンが、デニスを喪った悲しみから、「唯一残したプログラム」に対して、それを滑るセリョージャに対して、過度な重圧を与えたり、余計な投影をしたり、変な理想を追い求めたりはしないだろうか。


 アイドリッシュセブンの百ちゃんが言っていた。「アイドルを苦しめるのは、いつだって好きの感情なんだよ」と。


 スケーターを苦しめるのだってきっと「好きの感情」だ。


 頭の片隅でそんなことを考えながら、旅の日がやってくる。

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2018年、推し旅。 神山雪 @chiyokoraito

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