彦星は捕まった

星来 香文子

☆彡☆彡☆彡


「今日は七夕だね」

『え?』

「いや、え? じゃなくて……七夕だからさ、その……そろそろ、こうして電話じゃなくて、直接君に会いたいなーなんて……」


 2021年7月7日、七夕の夜。

 世間では去年と同様いまだに収束していない例のウィルスのせいで、あまり遠出や旅行はできない。

 絶対に行ってはならないわけではないし、仕事や家族間であれば……なんて、完全に規制されているというわけではないけど、世間的にはあまりよろしくない。

 そのことは重々承知しているけれど、仕事の都合で遠距離となってしまっているし、直接気軽に会うことができず、こうして電話ごしでしか話せない彼女に、七夕の夜くらい会いに行きたいと思うのは、いけないことだろうか?


 本当にこんな状況だからこそ、もう彼女とは2年近く直接会っていないんだ。

 特に彼女が今住んでいる地域は感染者数が多いせいか、絶対に来ちゃダメだとなんどもかわされ続けている。


 クリスマスや正月、ゴールデンウィークのような、大勢の人が集まるってわけではないのだから、ちょっとくらいいいじゃないか……と、俺的には思うのだが、電話越しの彼女はやはり、絶対に来てはいけないという。


『何言ってるの? 私言ったよね? 絶対にこないでって……』

「いや、そうだけど……ほら、ワクチンの接種だって始まってるわけだし……そろそろ、1回くらい…………いいじゃないか。七夕だし……」

『絶対無理。それに、七夕とか関係ないし。ダメなものはダメ』


 彼女は俺が何を言っても、絶対に会ってはくれない。

 今年の初めに一度、サプライズで彼女の家を訪ねたら、インターホン越しに帰れと言われた。

 そとは大雪で、すごく寒かったのに、絶対に家に入れてくれなくて……

 仕方がなくネットカフェで一晩過ごして、翌朝そのまま帰るしかなかったのは今でも苦い思い出だ。


「そんな……ちょっと会うくらいもダメなんて……厳しすぎるよ。ちゃんとマスクもするし、アルコール除菌もするし、ソーシャルディスタンスだって……————」

『とにかくダメなものはダメ。絶対来ないで』

「……ひどいよ。君は織姫なのに七夕の夜に、この彦星に会いたいとは思わないのかい? 俺はこんなにも君に会いたい……愛しているのに……!!」


 思わずクサいセリフを言ってしまって、なんだか気恥ずかしい。

 電話越しの彼女も、無言になってしまった。

 きっと彼女も、照れていることだろう……。


『…………』

「黙らないでよ……言ってるこっちが恥ずかしいんだから」


 俺は自分でも顔が赤いのを自覚しながら、星が綺麗な夜空を見上げた。



 ————この地域は星が綺麗だなぁ



 その時、俺のそばを救急車が通って行く。

 彼女の言葉を待っていた俺の耳に響くサイレンの音が大きくて……


 ————まったく、これじゃあ、彼女の声が聞こえないじゃないか


 サイレンの音に反応して、近所の犬まで吠え出した。


 ————大型犬か?


『あ……い…………の……』

「え? 何? ごめん、救急車の音がうるさくて、よく聞こえない……」


 ————私も愛してるって、言ってくれたのかな!?


 サイレンと犬の鳴き声が収まって、やっとクリアに彼女の声が耳に届く。


『いや、ほんとに、いい加減にしてくれる?』

「え? 何? 何が?」

『あんた……今、また私の家の前にいるでしょ?』


 ————あれ? 俺の織姫は、名探偵かな?



「よくわかったね……開けてよ」


 俺はスマホの通話を切って、玄関のチャイムを鳴らす。

 スマホじゃなくて、インターホン越しに、彼女の声がする。



『帰って』

「なんでだよ……ここまで来たんだから、開けてよ? 会おうよ? 今日は七夕だよ? 離れ離れの恋人たちが1年に1度会う……ロマンチックな日じゃないか」

『そうよ、七夕は離れ離れの恋人たちが1年に1度だけ会える日よ。だけど、あんた、2つ間違ってるわ』

「2つ?」


 俺は自分の間違いが何かさっぱり分からずに、首を傾げた。


『確かに今日は7月7日。一般的には七夕の日だけれど、ここは北海道よ。北海道の七夕は今日じゃないわ……来月の8月7日よ』

「そうなの? それは知らなかった……」

『まぁ、北海道だけじゃなくて東北とか一部の地域でもだけど……』

「もう一つは?」


 ————それは確かに、俺の勉強不足だ


『……私、あんたとはとっくに別れてるんだけど』

「え? またまた、冗談を……俺と君は、愛を誓い合った仲じゃないか」


 ————それはきっと何かの間違いだ


『もう二度と来ないでって、言ったよね? 電話もかけて来ないでって、言ったよね!?』

「いや、何言ってるんだよ!! 俺は君を愛してるし、君も俺を愛してるって……————」

『——……』


 ブチっと音がして、インターホンから彼女の声は聞こえなくなった。


「おい、なんでだよ!! 開けてくれよ!! 会いに来たんだよ!!」


 何度チャイムを鳴らしても、ドアを叩いても、蹴飛ばしても、叫んでも、彼女は全然返事をしてくれない。

 もう一度スマホから電話をしても、話し中になっている。


「開けてよ!! 開けてよ!! 開けろよ!!! 開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ」



 ドアを叩く俺の後ろで、また大型犬が吠えている。

 そして、急患を乗せて病院へ戻って行く救急車のサイレンがまた聞こえて来た。


 ————うるせぇな! 彼女の声が聞こえないだろう!!? 今この瞬間に彼女が電話に出たらどうしてくれるんだ!!



「————お兄さん、何してるの……こんな夜中に」


 サイレンと犬の鳴き声が収まって、クリアに声が耳に届く。

 帽子をかぶった、知らない男が二人、俺の後ろに立っていた。


 もう一度彼女の家のドアを叩こうと振り上げた右手が、その内の一人の顔面にぶつかる。



「————7月7日23時7分、公務執行妨害ね……」





 彦星は捕まった。





 — 終 —

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