5

 マクスウェル先生が再び教会に姿を表したのは、秋の終わり頃でした。

 その頃にはもう私の足はすっかり変形し、布で巻かなくても、小さな三角形をきちんと保っていました。元の靴は履けなくなり、私よりもずっと小さな子供が履くための靴を履いていました。

 先生はいち早くそのことに気付いたようでした。褒めてもらえるかと思ったのに、彼は大変厳しい顔をしていました。

「この足はあなたがやったのですか? シスター・クララ」

「ええ」

 シスターは涼しい顔でお答えになりました。

「アイリスをここへ送ったと聞いてから嫌な予感がしていました。貴女は本来、彼女がいずれ外に出ても暮らしていけるように教育せねばならないはずです。ところがアイリスに手話も教えておられないどころか、その上また……」

 そう言いかけて、マクスウェル先生は同席していた私の方をちらりと見ました。私には聞かせたくない話がある、とその顔にはっきり書かれていました。

「アイリス、少し外してちょうだいな」

 シスターに頼まれたので、私は応接室を出ることにしました。ドアを閉める際、マクスウェル先生の「あなたが……様のご息女でなければ……」とお話しになるのが聞こえました。

 部屋に戻って読書をしようと思いましたが、何となく気持ちがざわざわと落ち着かず、外を歩くことにしました。

 よく晴れて気持ちのいい午後でした。時折山から冷たい風が吹き、糸杉の林がざわざわと揺れました。

 教会の前庭から遠くにある海を見ていると、遠くの方からひとりの老婆がやってくるのが見えました。年に似合わず足の速いおばあさんで、みるみるうちにこちらに近づいてきます。シスターに何か用なのかと思って待っていると、おばあさんは私の目の前に立ち、さらに顔を近づけてひそひそと話し始めました。

「あんたの歩き方がおかしいんで、みんな気にしていたんだよ。やっぱり何かあったんだね」

 おばあさんはそう言いながら、私の足元を見ました。

「あのねお嬢ちゃん、この教会のシスターはあんなに綺麗で虫も殺さないような顔をしているけど、本当は怖ろしいひとだよ。あんたの前にもかわいい女の子がいたんだけど、その子はとうとう死んじまったんだから……あたしの旦那が死体を運び出したんだよ。その子は舌を抜かれていたんだって」

 そのとき、私たちの後ろでバタンという音がしました。教会の扉を開けて、マクスウェル先生とシスター・クララが出てきたのです。おばあさんはふたりに頭を下げると、逃げるように――実際逃げていったのでしょうが――村の方へと帰っていきました。

「マクスウェル先生がお帰りになるわ」

 シスターが私に微笑みかけました。マクスウェル先生はその顔と、それから私の顔を交互にご覧になってから言いました。

「よろしいですかシスター。愛玩犬を飼うのとは違うのですよ」

 シスターは「存じております」と答えました。

 風が吹き、彼女のベールを揺らして、プラチナブロンドの髪が午後の日差しに輝きました。彼女の眼鏡のレンズが、何か大きな生き物の目であるかのように、白く光りました。そのときふいに私は、いつだったかの彼女の言葉を思い出したのです。


 うるさい犬は嫌いよ。




 以前、マクスウェル先生から「何か困ったことがあったら知らせるように」と名刺をいただいたことを、私はもちろん覚えていました。

 そしてこの小さな足にされたことは、先生や村人のおばあさんからすれば、おそらく「困ったこと」なのだろうと想像することもできました。

 でも、手紙など出してどうなるというのでしょう。もしもマクスウェル先生に何事かを訴え、その結果この教会から連れ出されたとして、私はどこへ行けばいいのでしょうか。また拘置所へ、それとも前にいたような孤児院に連れていかれるのでしょうか。

 孤児院、と考えると、私の体には怖気が走るのでした。あのどうしても顔を思い出せない、私が声を出さないことを喜んだ職員のことを、どうにも思い出さないわけにはいかないのです。アイリスはかわいいねと猫なで声を出しながら、その実腕力でもって私を脅していた男の、獣のようなおぞましい体臭が嫌でも蘇ってくるのです。

 もちろん、拘置所にも戻りたいとは思いませんでした。私が口をきけないために、てっきり耳も聞こえないものと勘違いした一部の刑務官たちは、私に「犬」とあだ名をつけて堂々と呼んでいました。その名前は私に、あの男の一物を食いちぎったときの不快な感触を思い出させる、嫌なものでした。その行為のために私は、孤児院を出て拘置所へ行くことになったのです。

 私はマクスウェル先生の名刺を破いて、捨ててしまいました。だって、この三角の足でよく磨かれた教会の床を踏みしめ、小さな礼拝堂でオルガンを弾いて、美しいシスターと暮らすことが、どうして「困ったこと」になるでしょう。

 幸い、私は「うるさい犬」ではありません。吠えることができないのだから、どうしたってそうはならないのです。舌を抜かれて死ぬことなどありえません。

 私が「賢くてかわいい犬」であるならば、私にとっては楽園のようなこの教会で、シスターといつまでも楽しく暮らすことができるのです。

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